有名な忘却曲線です。
覚えたつもりでも、その後何もしないと自然に忘れてしまうという、誰にとっても共通の生物的特性。
逆にいえば、「こうすれば忘れない」という明確なアドバイスです。
覚えの悪い子の多くは、「やってできない」のではなく「そもそも復讐をしない」ことに原因があるのだという話です。
有名な忘却曲線です。
覚えたつもりでも、その後何もしないと自然に忘れてしまうという、誰にとっても共通の生物的特性。
逆にいえば、「こうすれば忘れない」という明確なアドバイスです。
覚えの悪い子の多くは、「やってできない」のではなく「そもそも復讐をしない」ことに原因があるのだという話です。
ただ今帰宅。
日曜午前様の帰宅とは、われながらなんというワーカホリックでしょう(笑)。
通常新聞折込やポスティング業者に広告宣伝チラシの頒布をお願いしており、今回もこれまで同様に計15000枚ほど巻きましたが、今日は自分自身もこれを行い、それが今終わって帰ってきたと。
本当は日中これを行いたいのですが、昼は昼でやるべきことが目白押し。
例えば、現在4月から別ネームで4か所教室を展開するプランがあって、そちらの仕事が結構忙しい。
昨日も横浜の法務局まで用事があって遠出したり、月曜も役所を回ったりと、一分一秒が惜しい感じ。
来年は、受験生合格率を必ず100%とすべく、今から全力で突っ走る覚悟です。
いくら講師にパワーがあっても、教わる子供にとってはそんなこと関係ありません。
一部のよくできる子以外、生徒にとっては講師にパワーがあろうとなかろうと、自分たちにいかに楽しくわかりやすく勉強を教えてくれるかが問題なのであって、講師のキャラやポテンシャルはどうでもよい。
でも、この場合(多くの場合)、子供たちは「勉強それ自体」を期待するというよりも、それを含む環境、手順、もっとわかりやすくいえば場の盛り上げ方の上手い下手の方を重視します。極端な話、少しくらい教え方が下手でも一緒にその場にいて楽しいと感じる講師の方を多く求めます。
そういうわけですので、私の立場からすると、「講師パワー」には、この「場の盛り上げ方」の要素も加えて講師にリクエストすることになります。
これが結構難しい。
講師の資質として、勉強がよくできても、それがイコール人間的な面白さというわけではないからです。
話題の豊富或いは貧弱の差、と言い換えても良い。
たまに、そんな私のリクエストを勘違いしてか、いかにも面白くないジョークを引っ提げて無理に生徒たちの輪の中に入り込もうとする講師もいたりしますが、今どきそんな魂胆丸出しの姿勢が子供たちに受け入れられるはずもなく、そういう時はほぼ例外なく「なにこのヒト」という冷たい視線を返されてあっけなく沈没とあいなる。
講師というのは、ホント難しいのです。
ACSの授業では、基本的に講師は生徒が発するすべての質問に対して、それらがよほどマニアックであったり、突拍子もないものでない限り、即答できます。
これは決して他塾を云々するわけではありませんとお断りいたしますが、以前他塾からACSに転塾してきた中学生が、その塾で使っていた問題集の中で明らかな誤答(しかも講師が!)がいくつか混じっていたことがあります。
これなど、もってのほかですね。
講師も人間ですし、完全無欠というわけではありませんから、或いは時として即答できない(もしくは即答する自信が今一つ持てない)問題があることも否定はしません。
でも、そういう時は、しっかり着実に資料を調べたりなどの補強を行った上で生徒にそれをフィードバックしています。
でも、そういうケースはほとんどなく、ほぼ即答できますが。
すごい自信。
学習障害という言葉、そういう現実に直面している子、その保護者の方が世の中にはたくさんいます。
これまで何人かそういう子に出会ってもきました。
私は医師ではありませんし、その方面の研究を特別にしたわけでもありませんので、この仕事をしてはいても、厳密な意味においてはこれについて全くの素人の範疇に等しいです。
ですが、学習障害というものは、まさに千差万別、十人十色の症状があると言うことは経験から分かります。
学習障害と言ってひとくくりにああだこうだと断定し、それをベースに方針を決めることが如何に無謀で危険なことかを知っています。
以前、学校と病院とで学習障害と「認定」を」下されて当会にやってこられた方がいました。
<続きは後ほど>
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今日も深夜の帰宅。
今年の3月は例年になく忙しい。
三ツ境の教室で今まさに順次行っている保護者面談の資料やまとめつくりをしていたら、いつのまにやら午前零時を回って、どうりでおなかもすいたわけだわと、深夜2時までやっているガストでようやく夜の食事。
町はとうの昔に睡眠の時間帯で、どこも真っ暗に近い静寂。
で、肝心の面談ですが、今年の保護者の方は皆さん熱心且つしっかりとご自分あるいはご家庭の方針のようなものをもって臨んでくださるので、短い時間の中身の濃いこと濃いこと。。
いうまでもなく、子供さんが通う学校の場というのは、「勉強を襲えてもらう場」であると同時に、テストやその他の評価基準で各々の評価が下される、いってみれば真剣勝負の場でもあります。
そこには、たとえば「うちの子はこういうハンデがあるので、少し成績に手を加えてくださいよ」などといった個人の要望は聞いてはもらえません。
出来る子もそうでない子も、評価がなされるテストの際は、皆平等に扱われます。
であるからこそ、ここに学習塾が存在する一つの理由があるのだと思います。
学習塾は、この「学校における評価の際の真剣勝負」に臨んで、少しでもその生徒の後押しができるように全力を尽くす。
そして、この道の末に、成績向上、そして受験に臨んで、これに成功、すなわち合格が待っている。
今行っている、明日からも引き続いて行う面談は、いかにしてこの効果を引き上げていくかという一点に絞って、具体的方策をともに練り上げる場です。
これについてはまったくもって私の個人的方針なのですが、ACSでは、講師が生徒を呼ぶ際、呼び捨てや「お前」などの粗野な言葉はご法度です。
高校生だったとき、担任の教師がクセで常に我々生徒を「お前」とか「お前ら」などと呼んでいたのですが、なぜかそれがたまらなく嫌でした。
教師にしたら、それで親近感を醸し出している気でいたのかもしれませんが、生徒の方からしたらそんな親近感は大きなお世話、という声が少なくありませんでした。
もっと昔、小学校の時、5・6年生の担任だった見山先生(女性)は、基本的に男子女子問わず「さん」付で生徒を呼んでいましたが、それに慣れていたせいかもしれません。
子供心に、「この先生は小学生の私たちをちゃんと認めてくれているんだな」と感じていた思い出が今もあります。
とにもかくにも、私は、少なくとも教室の中においては講師に対して、生徒を呼ぶ際は基本的に名前で、しかもちゃんと「さん」や「君」をつけて呼ぶことを求めています。
ちょっと堅苦しいかもしれませんが。
「腰越の古民家で2時間study」。
今週も土曜18:00から20:00開催します。
対象は小中学生、科目は1つ増えて、国語、数学(算数)、英語の3科目です。
時間で分けて3科目見ることも可能です。
ACSはボランティアではありませんので無料というわけではありませんが、そこは工夫を加え、小学生8000円(月4回、計8時間)、中学生11000円〈同上)と、平均的な学習塾の個別もしくは少人数スタイルよりもかなり低めに抑えました。
それでも指導内容は十分ご満足いただける充実さです。
しかも、毎回授業の初めに1回分を納めてくだされば構いませんの※、もしも次回は来られない、或いはしっくりこなかった、などといった場合には、次回以降の拘束が一切ございませんのでとても安心なシステムです。
勿論、ここで行う限りは入会費、よくあるその他会費などの余分なコストも一切かかりません。
最低限のコストで一回2時間学び放題というわけです。
場所は、江ノ電腰越駅から徒歩数分(子供の足でも3分かかりません)。
当日は、腰越駅までお迎えに出ますので、迷うこともございません。
お近くお方なら、本当に歩いてきていただけますし、江ノ電をお使いの方も、駅までのお迎えと見送り付きですので安心してお子さんを送り出せます。
スペースに限りがございますので、一定の人数に達しましたらその回のstudyは締め切りとなりますので、次回の開催にお越しください。
お申し込みは、今週の土曜の会は、明後日木曜の夜8時までです。
夕方4時以降0120-513-955〈フリーダイヤル)に直接お申し込みください。
「ちょっと勉強でわからないところがあるんだけど」という皆さんのお越しをお待ちしています。
※例:小学生→当日分2時間みっちりやって2000円
【東大式 高校数学 学習法】
前回予告した、高校数学の勉強法についてのレポートです。
高校の数学は、中学校と比較して量が増えます。
学校配布の問題集だと実感しにくいが、本屋の参考書コーナーに行くとわかります。1年次でⅠ、Aの二つがあります。特徴は以下の通りです。
・覚えて使いこなせないといけない公式・解法が大幅に増える
・中学と比べて記述の分量が大幅に増える。問題一つが重い。
・求められる応用力の高度化。教科書と実際の受験の問題のギャップが大きくなる。
これに対する策としては…
・理想的には問題集は3周まわす。一回では「解き方を確認しただけ」で終わってしまいます。
・わからなかった場合、模範解答を見ながら自分で一行ずつ書いて作成し、整理していく。
・市販の参考書は難化しています。情報に振り回されないようにまず学校配布の教材をしっかりやることが大事です。
高校数学を学習していく上で一番注意しなければならないことは、中学と比べて大幅に分量が増える事です。
高校では大抵の場合学校から自習用の問題集が配布されますが、定期試験一週間前になって初めてこれに手をつけた場合、試験範囲の問題を全て一回解き終わる前に試験が来ると思ったほうがよいでしょう。
ゆえに定期テストで得点を獲るために普段から計画的に学習しておく必要があります。
さて、「一回解き終わる前に試験本番が来る」と書きました。
では、配られた問題集をこなすには学校で部活が休みになったりする試験一週間前から始めるところを10日前くらいから始めればよいのでしょうか?
いいえ、それではまったく足りません。
高校数学では、基本的な計算問題のようなものを除けば一題一題がとても難しくなります。
その結果、「一回解いただけ」だとただ模範解答を眺めただけ、写しただけで終わってしまうことになるでしょう。
実際の試験で求められるのはそのような問題を通じて身につけた学力で問題を解くことです。
この点を踏まえると問題集は定期試験までに試験範囲の問題を「三周」まわす必要があります。
一回目で解法を確認し、二回目でそれを吐き出す練習をし、三回目でその問題が解けるかのチェック、という流れでやっていきます。
三回やるといっても同じ問題なので、想像するよりは時間も手間もかかりません。
また、解いているとき、わからない問題があったら、模範解答を見るだけで終わりにせず、それを参考にきちんと自分で手を動かして学校の先生が板書するような丁寧な解答を記述式の答案として出しても大丈夫なくらいの質で作りましょう。
作る過程で解答の一行一行の展開をきちんと理解しましょう。
「一行一行を丁寧に書くことが数学力向上のコツだ」とアドバイスする大学の数学の先生もいます。
以上をまとめると、高校数学は分量が多いので、定期試験までに高校が配布する問題集を3周こなせるように計画的に学習すること、というのが基本方針になります・・・・・・2年生2学期までは。
さて、なにやら不吉な一言を付け加えたのでその解説をします。
本来高校の学習内容は、高校3年の3月までに終わらせればいいという前提でその分量が決められています。
ところが、一番有名な大学入試の試験であるセンター試験は1月半ばにあるのです。
つまり学校の授業のペースに合わせていると受験までに全部終わらないよ、という事態が生じるのですね(日本史が一番顕著)。
ですから、それを何とかするために自力で何とかする必要があります。
これを行うためにも、高校1・2年でしっかりとした学力をつける必要があります。(部活引退してからやればいいなんて気の抜けたことは考えないように!)
さて、今までは定期試験の話をもっぱらしてきたので、ここからは実際の大学入試の学力試験にでてくるような難しい問題を解くにはどうしたらいいか、という話をします。
大学入試では要求される応用力が高校受験より大幅に高度になるので、一通り定期試験の勉強が終わったレベルの理解では恐らく実際の入試問題に手も足も出ないということになるでしょう。
このような問題を解くには意外な裏技のような手段はありません。
「まずは基礎を100%理解すること」に尽きます。
以前、天王町の教室のスタッフに真夜中の時間帯に仕事の件でメールを送ったことがありました。
勿論、それを読んですぐに取り掛かれ、などといった非常識なものではなく、翌日にそれを確認して仕事にかかってもらうという内容でした。
しかし、翌日そのスタッフが呆れた声で言いました。
答えはこうです。
「何時から何時までというような決まった睡眠時間はありません」
仕事があって、体力と気力とがあればいつでも仕事をしますし、睡眠は日中も含め、適当に空いた時間に細切れに取るだけです。
だから、見方によってはいつでも眠気がありますし、反対にいつでも仕事に臨んでフルスロットルの準備万端です。
決して良い子の皆さんにはお勧めできない生活リズムです。
で、今何をしていたかというと、先日ここで書いた、今年の高校受験で唯一志望校に入れなかった子のことをああでもないこうでもないと考えていました。
塾人として、合格率は常に100%でなければならず、これが99%でも決して満足なんかできません。
99人合格しても、一人が失敗したなら、性格としてどうしたってその子のことをしばらくの間は考えてしまいます。
この子のために、何かしてあげることはできないだろうか、と。
前回、社会という科目について書きました。
今回は数学について。
数学、特に高校生の数学については、なんといっても「解く問題数を多く」、に尽きます。
5門や10問くらい解いてやった気になっていたのでは全然足りません。
例えば実際のテストは手を変え品を変えた形で問題が出されますので、5問10問やったくらいでは、およそ必要なパターンのまさに5%や10%をなぞったにすぎません。
それと、テストということでいうなら、1週間や10日前にちょろっとやっただけでは絶対的に勉強(対策)の量が足りません。
明日か明後日のうちに、このあたり(数学の勉強法)を詳しく解説したわが自慢の東大OB講師のちょっと厚みのあるレポートをここにアップしますので、是非ご覧いただきたいと思います。
それでは。
本文を書いている私(K)は、専門が英語と社会全般(地理歴史公民、高校は現代社会、地理、倫理、日本史世界史各B)ですが、社会に関しては全般的に生徒たちの食いつきがよくありません。
覚えることばかりで面倒くさい。
そんな感じなのかもしれません(実際、そんな言葉をよく聞きます)。
でも、事実は「覚えること」だけではありません。
むしろ、「覚えること」は、その先の考察をして行く上で最低限必要な知識のベースでしかなく、この時点でつまずいたり引っかかっていたのでは、社会という科目が本来持っている面白さの入り口にも立っていないのと同じです。
高校生であれば、そんな文句は聞こえないフリでもしてさっさと先を急いだりもしますが、中学生であれば、それではせっかくの社会の楽しさを早々と捨てさせてしまうに等しいので、ここでは様々な工夫を凝らしています。
例えば、地理と歴史を組み合わせて立体的(または複合的)に解説してみたり、言葉や文章だけでなく、図、表、地形図などを駆使して視覚に訴える手を用いる、などなど。
おかげさまで、これが結構好評で、多くの生徒の皆さんが「社会、面白い」と言ってくれるようになりましたし、現実にテストの点数も上がっています。
今後は、いかにもっとわかりやすく、そして興味や関心を刺激して授業を展開できるかのさらなる工夫と組み立てを行っていくこと、これに尽きます。
理想は、「英語も数学も好き。だけど社会が一番好きだしテストの得点源」と誰もが言ってくれるようになることです。
徒歩で藤沢校に向かっていたとき、立て続けに二人の女性から声を掛けられました。
一人は、直接の関係はないのですが、笑顔の素敵な初老の方で、あまり愛想が良いので、いつの頃からか、通りで会ったとき、どちらからともなく「こんにちは」などと声をかけるようになりました。
今日もそう。
「あら、お久しぶり。お元気そうで」
私はともかく、そういう相手の女性の方が1年前に会った時に比べてずいぶん顔が細くなっていたのが少し気になりましたが、そこは女性のこと、そういう外見についての言葉は一種タブーなので、ぐっとこらえた次第です。
もう一人は、今月いっぱいで卒業退会する高3生の女の子の保護者。
彼女は小学1年生から高校3年生まで、計12年間も通ってくれた、いわば普通の商売言葉でいえば、大のお得意さんです。
この春無事進学が決まり、今日はお互いに「長い間本当に有難うございました」と。
改めて、本当に長い期間通ってくださり、有難うございました。大感謝です。
ということで、その後しこしこと一人事務仕事に精出していた土曜の夜でした。
今日は夕方から、藤沢校でこのところたまっている事務仕事に全力集中です。
一昨日は、三ツ境のスタッフが同じく事務仕事で深夜零時過ぎまで頑張っていました。
学習塾ですから、授業(やその在り方)に集中すると、どうしても事務的な業務が二の次になってしまいがちです。
子供たちには、勉強は優先順位をつけて、とか偉そうなことをいうのに、当の本人がその後順位のものを(本来後順位ではないのですが)、溜めてしまっていたのでは話になりませんね。
藤沢は、事務sのスタッフともいうべき人間が配置されているのですが、それをチェックすることは必要で、ここでいう事務仕事の中にはそれらも含まれるのですが。
昨年、こうして事務仕事に勤しんでいたとき、子供さんを連れて急にやってきた保護者の方がいました。
「あのう、入会の説明を聞きたいんですが」
こういう瞬間は、それで一瞬で事務仕事をまた脇に追いやってしまうんですがね。