前号エントリー記事の最後や過去のエントリー記事でも触れた、北朝鮮人ジャーナリストの件の続報です。今更私がごちゃごちゃ書くよりも、下記のメールを読んでくれた方が早いと思うので、私宛てに来た支援要請のメール本文の全文をそのまま転載します。
■転載開始■
前にも紹介したとは思いますが、これは今後皆で育てていくべき動きです
アジアプレスと石丸氏に支援を!
http://www.asiapress.org/apn/archives/2007/11/24164255-1035.html
(以下引用)
北朝鮮民衆に発表の広場を!
アジアプレスはアジアの独立ジャーナリストのネットワークです。
ソウル、大阪、東京などに事務所を置き、アジアの様々な国のジャーナリストが、「アジアのことはアジア人が伝える」をモットーに、自分の国、自分の民族のことを世界に発信しようと活動しています。
アジアプレス大阪事務所では、在日コリアン、韓国人、中国朝鮮族、日本人、そして北朝鮮から脱出してきた`脱北者`が「北朝鮮取材チーム」を組んで活動してきました。最初は、今から14年前の1993年、朝中国境地帯の取材したのがきっかけでした。
なかなか入国できない、あるいは入国してもまともな取材のままならない北朝鮮。その本質、核心に迫るためには、どのような取材方法が最善なのか、それをずっと考え悩んだ結果、「北朝鮮取材チーム」を作って朝中国境に通い続けてきたのです。
この取材の過程で、私たちは北朝鮮から中国に出てきていた越境者、脱北難民に会い続けてきました。その数はこれまで600人以上になります。
「北朝鮮取材チーム」が追い求めているテーマは一貫しています。
「北朝鮮はどうなっているのか」です。北朝鮮の人々はどのように暮らしているのか、何を考え、何を願っているのかを知りたかったのです。
そのためには、できるだけ大勢の北朝鮮の人々と会う必要があったのでした。
北朝鮮問題の核心に迫るには、外部に住んでいる者には限界がありました。
北朝鮮は世界最強の情報鎖国だといっても過言ではありません。
その壁を外部の人間が乗り越えて記録活動をするのは、極めて困難です。
北朝鮮の実態を世界に伝えるためには、北朝鮮の人々自身が北朝鮮のことを記録し、伝え、主張する営みがどうしても不可欠だと、私たちは考えるようになりました。
しかしながら、北朝鮮国内で取材活動して、その成果を国外に持ち出すというのは、極めて危険な行動です。命を落とすことになるかもしれません。
安易に頼むことは厳に慎まなければなりません。
一方で、中国に逃れてきた人の多くが、北朝鮮国内の民衆の苦難について、世界に知って欲しい、伝わって欲しいと切実に考えていました。
私たちは何百人もの越境者、脱北難民のインタビューを継続して繰り返していましたが、その中から、自ら祖国の実態を世界に伝える仕事をしたいと申し出る人が現れ始めました。2000年頃のことです。
私たちは、内部で討論を重ねた末、危険を覚悟してでも、記者として活動したいという強い意思を持った数人を、サポートすることに決めました。
こうして、アジアプレス大阪事務所に、北朝鮮の内部にジャーナリストを育てるプロジェクトが始まったのでした。
そもそもジャーナリズムとは何なのか、という言葉の説明から始まり、記事の書き方、ジャーナリスト職業倫理、パソコン、ビデオカメラなどの機器の使い方を教えました。
北朝鮮社会への認識の方法や、国際情勢について、討論を繰り返しました。
今、伝えなければならないことは何なのかについても、何度も何度も議論を闘わせました。
その過程で、私たちは実に多くのことを学び、彼らもジャーナリズムの重要性を理解してくれました。
数年の時間が必要でしたが、こうして、伝えること、記録することを職業とするという、確固とした志を持った数人の「北朝鮮人ジャーナリスト」が誕生したのです。
今、彼らは私たちチームの一員となって、北朝鮮内部で取材活動に従事しています。
この「リムジンガン」を、私たちは、始まったばかりの「北朝鮮ジャーナリズム」の具体的発表の場として育てていきたいと考えています。
■転載終了■
■転載開始■
前にも紹介したとは思いますが、これは今後皆で育てていくべき動きです
アジアプレスと石丸氏に支援を!
http://www.asiapress.org/apn/archives/2007/11/24164255-1035.html
(以下引用)
北朝鮮民衆に発表の広場を!
アジアプレスはアジアの独立ジャーナリストのネットワークです。
ソウル、大阪、東京などに事務所を置き、アジアの様々な国のジャーナリストが、「アジアのことはアジア人が伝える」をモットーに、自分の国、自分の民族のことを世界に発信しようと活動しています。
アジアプレス大阪事務所では、在日コリアン、韓国人、中国朝鮮族、日本人、そして北朝鮮から脱出してきた`脱北者`が「北朝鮮取材チーム」を組んで活動してきました。最初は、今から14年前の1993年、朝中国境地帯の取材したのがきっかけでした。
なかなか入国できない、あるいは入国してもまともな取材のままならない北朝鮮。その本質、核心に迫るためには、どのような取材方法が最善なのか、それをずっと考え悩んだ結果、「北朝鮮取材チーム」を作って朝中国境に通い続けてきたのです。
この取材の過程で、私たちは北朝鮮から中国に出てきていた越境者、脱北難民に会い続けてきました。その数はこれまで600人以上になります。
「北朝鮮取材チーム」が追い求めているテーマは一貫しています。
「北朝鮮はどうなっているのか」です。北朝鮮の人々はどのように暮らしているのか、何を考え、何を願っているのかを知りたかったのです。
そのためには、できるだけ大勢の北朝鮮の人々と会う必要があったのでした。
北朝鮮問題の核心に迫るには、外部に住んでいる者には限界がありました。
北朝鮮は世界最強の情報鎖国だといっても過言ではありません。
その壁を外部の人間が乗り越えて記録活動をするのは、極めて困難です。
北朝鮮の実態を世界に伝えるためには、北朝鮮の人々自身が北朝鮮のことを記録し、伝え、主張する営みがどうしても不可欠だと、私たちは考えるようになりました。
しかしながら、北朝鮮国内で取材活動して、その成果を国外に持ち出すというのは、極めて危険な行動です。命を落とすことになるかもしれません。
安易に頼むことは厳に慎まなければなりません。
一方で、中国に逃れてきた人の多くが、北朝鮮国内の民衆の苦難について、世界に知って欲しい、伝わって欲しいと切実に考えていました。
私たちは何百人もの越境者、脱北難民のインタビューを継続して繰り返していましたが、その中から、自ら祖国の実態を世界に伝える仕事をしたいと申し出る人が現れ始めました。2000年頃のことです。
私たちは、内部で討論を重ねた末、危険を覚悟してでも、記者として活動したいという強い意思を持った数人を、サポートすることに決めました。
こうして、アジアプレス大阪事務所に、北朝鮮の内部にジャーナリストを育てるプロジェクトが始まったのでした。
そもそもジャーナリズムとは何なのか、という言葉の説明から始まり、記事の書き方、ジャーナリスト職業倫理、パソコン、ビデオカメラなどの機器の使い方を教えました。
北朝鮮社会への認識の方法や、国際情勢について、討論を繰り返しました。
今、伝えなければならないことは何なのかについても、何度も何度も議論を闘わせました。
その過程で、私たちは実に多くのことを学び、彼らもジャーナリズムの重要性を理解してくれました。
数年の時間が必要でしたが、こうして、伝えること、記録することを職業とするという、確固とした志を持った数人の「北朝鮮人ジャーナリスト」が誕生したのです。
今、彼らは私たちチームの一員となって、北朝鮮内部で取材活動に従事しています。
この「リムジンガン」を、私たちは、始まったばかりの「北朝鮮ジャーナリズム」の具体的発表の場として育てていきたいと考えています。
■転載終了■
まだまだブログに書ききれない事がある。次の話題もその一つ。久しぶりに北朝鮮・拉致問題の話題を、大分遅くなりましたがアップします。
これは、少し前に、ある「救う会」関係者の方とメールで遣り取りしていた時の話題です。その方(仮にAさんとしておきます)は、横田滋さんの北朝鮮拉致被害者家族会・代表引退(飯塚副代表が次期代表に内定)のニュースについてひとしきり説明した後、今までの「救う会」運動を振り返ってみて、「昔と比べたら運動が大きくなったのは確かだが、失ったモノも大きかった」として、「救う会」、もっと広義には拉致被害者救出運動の「誤り」について、自分の思いを書き綴っていました。
以下、そのAさんの思いを、要旨の形で抜書きしておきます。
●「救う会」は、事あるごとに「拉致被害者救出運動は国民運動である」と言っていたが、結局は保守・右派運動としての枠を超える事は出来なかった。だから、917直後の国民的盛り上がりを、その後もずっと持続する事が出来なかった。
●その原因は、中西輝政氏などの論調に典型的に見られる様に、拉致被害者救出運動を「保守ナショナリズム再生運動の象徴」として捉えてしまっている事だ。しかし、それでは保守・右派運動としての殻を打ち破る事は出来ない。そうではなくて、北朝鮮・拉致問題は、ナショナリズムの問題としてではなく、人権問題として捉えられなければならなかったのではないか。
●そうする事で初めて、北朝鮮問題を歴史認識や過去の植民地統治の清算問題から切り離して、普遍的な人権問題として国際社会に訴えていけるようになるし、左派に対しても、「日本の平和主義が、他国の独裁・人権蹂躙に対して、どこまで抑止力足りえるのか」「大国に寄りかかって戦争で解決するのでも、見て見ぬ振りをするのでもなく、自分達が理想とする平和・自由・民主主義を他国の人民も享受出来るようにするには、一体何が出来るのか」という新たな課題を提起できる、そういう運動になれたのでは無かったのか。
●「歴史問題は棚上げにしよう、まず被害者と、北朝鮮民衆を救おう、そのためには私たちも変わる努力をするから、左派の方々も反省すべき点は反省してともにやっていこう。保守だけではこれ以上広がらないんだから」と言う視線があったら、もう少し何か出来たかも知れない。
私も、上記のAさんの意見には基本的に賛成です。寧ろ、これは今までも拙ブログなどで繰り返し言ってきた事です。この意見が今回、私の様な左寄りからだけでなく、「救う会」系で自身もどちらかといえば右派系のAさんからも出た所に、この意見の普遍性が見てとれます。
但しその上で、Aさんの先の意見に一つ補足しておきますと、日本の平和主義は、「自国さえ平和であれば良い」というエゴイスティックな一国平和主義では決してありません。それは「専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う」「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」という日本国憲法前文の規定からも明らかです。
そういう戦後の日本国民が本来持っていた平和・人権志向を、平和共存・核廃絶や民族解放やフェアトレードといった国際連帯の視野にまで高めるのではなく、その反対に、自国エゴやエコノミック・アニマルのレベルにひたすら貶め続け、戦後保守政治の支柱としてきたのは、他ならぬ日米安保体制や歴代自民党政権の方ではなかったのか。60年安保闘争から国民の眼を逸らさせる為に当時の池田内閣が提唱した「所得倍増政策」なんて、その最たるものでしょう。日本の戦後左翼がそれに抗する上で必ずしも充分ではなかった事も確かですが、主犯の米国や自民党がそれを口にする資格はありません。
Aさんの言う「救う会」運動の「誤り」「失ったモノ」の話に再び戻します。
私やAさんが言っているのは、別に「左派イデオロギーを受け入れろ」と言う事ではありません。敢えて逆説的な言い方をすれば、「救う会」が靖国や日の丸・君が代や9条改憲に賛成であっても別に構わないのです。要は、最低限、他のマイノリティー解放運動との連帯や、他の社会的弱者への共感の気持ちを持ち合わせているかどうか、です。元来は保守右派の国民新党が、何故左派系からも一定の理解(支持とまでは行かなくとも)を得ているかと言えば、そういう最低限のモラルは備えているからです(少なくとも外面だけでも)。
「救う会や家族会にはそれが無かったのだ」とまでは言いません。「他を顧みるような余裕など無かった」というのが、正直な所だと思います。しかし、それが結果として「ヘイトスピーカーの跳梁跋扈を許してしまった」のは事実です。事ある毎に「ワーキングプアは自己責任」「格差など取るに足らない問題」「日本は弱者天国」「沖縄人はタカリ」云々など、ことさら他のマイノリティーの神経を逆撫でするような発言をする人物が、堂々と「救う会」の幹部やシンパに納まっている今の現状は、どう見ても異常です。そういう輩が、いくら慣れない口調で表向きだけ平和・人権・民主主義だの言った所で、全然説得力がありません。また、それは横田さんたち拉致被害者家族の気持ちとも相反するものです。
そういう「自己責任論」や「寄らば大樹の陰」「出る釘は打たれる」「何事も分相応に」「下見て暮らせ傘の下」といった、日本国民が未だに引きずっている遅れた人権意識や保守的な感情にことさら阿り、それを恰も日本古来の「伝統」や「美徳」であるかのように取り違え、「保守再生運動」のエネルギーにまで昇華して、安倍・麻生・石原などの自民党タカ派政治家の提灯持ちに終始し、盛んに左派・リベラルを攻撃しながら(例:イラク日本人人質バッシング)、そのくせ当の自分達はと言うと、「我々は、自民党政権を叱咤激励する側、マジョリティー(多数派)の側に立っているのだ」「家族を取り戻したいという人間愛に満ちた活動なのだから、国民は自然と我々を支持してくれる筈だ」という思い上がりの気持ちが、在ったのではないでしょうか。
しかし現実は寧ろ逆で、そういう遅れた反人権意識に阿っていたからこそ、政府側に見捨てられた途端に「家族会バッシング」を浴びる事になったのです。「イラク日本人人質バッシング」や「ジェンダーフリー・バッシング」などのバックラッシュ現象と「家族会バッシング」は全て同じ土壌から生まれたものですが、そういう問題意識や危機意識も「救う会」運動には殆ど皆無でした。
北朝鮮・拉致問題解決を目指す運動に今求められているのは、単なる戦前復古運動から、本当の意味での人権や民主化を基調とする運動に転換を図る事だと思います。例えばビルマ民主化運動やクルド難民救援運動の様に。特定失踪者調査会の荒木和博氏が進めているバルーン・プロジェクトや、タイ・中国・ルーマニア人拉致被害者との連帯などは、ひょっとしたら、そういう元々の大衆運動としての原点に立ち返る上での萌芽的な動きなのかも知れません―但し、これは荒木氏の歴史観や政治的立場を肯定するものではなく、あくま大衆運動の一つの在り方として、という意味ですが(念の為)。
例えば、北朝鮮取材を精力的にこなしてきた独立系左派ジャーナリストである石丸次郎氏の手によって、脱北者や北朝鮮住民の中から、金正日体制や朝鮮労働党の支配とは無縁の、本当の意味でのジャーナリストが生まれようとしている、というニュースなども(11月20日付産経新聞記事)、「救う会」としてももっと注目して然るべきではないでしょうか。
(関連記事)
・空気が読めず自分の身に即して考える事の出来ない人たち
http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/1241212f1f136e43a7f5b3816ab6fa7a
・拉致問題を言い募りつつ、実際は北朝鮮解放に敵対するという自己撞着
http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/afdafeaea30803c9953ff8d4daf892b2
・何世紀になっても人権感覚が19世紀のまんまの人たち
これが「救う会」や「新しい歴史教科書をつくる会」の歴史認識・人権感覚。こんな土俵でいくら金正日と対決しても、傍から見れば「どっちもどっち」でしかない。
http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/d48e2f604284282138b12c606bc0b59a
・国全体がやらせ・格差社会の北朝鮮
石丸次郎氏が育てた北朝鮮人ジャーナリストの事を取り上げています。
http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/a76d040fb8eff684c67bad086ed1dd88
これは、少し前に、ある「救う会」関係者の方とメールで遣り取りしていた時の話題です。その方(仮にAさんとしておきます)は、横田滋さんの北朝鮮拉致被害者家族会・代表引退(飯塚副代表が次期代表に内定)のニュースについてひとしきり説明した後、今までの「救う会」運動を振り返ってみて、「昔と比べたら運動が大きくなったのは確かだが、失ったモノも大きかった」として、「救う会」、もっと広義には拉致被害者救出運動の「誤り」について、自分の思いを書き綴っていました。
以下、そのAさんの思いを、要旨の形で抜書きしておきます。
●「救う会」は、事あるごとに「拉致被害者救出運動は国民運動である」と言っていたが、結局は保守・右派運動としての枠を超える事は出来なかった。だから、917直後の国民的盛り上がりを、その後もずっと持続する事が出来なかった。
●その原因は、中西輝政氏などの論調に典型的に見られる様に、拉致被害者救出運動を「保守ナショナリズム再生運動の象徴」として捉えてしまっている事だ。しかし、それでは保守・右派運動としての殻を打ち破る事は出来ない。そうではなくて、北朝鮮・拉致問題は、ナショナリズムの問題としてではなく、人権問題として捉えられなければならなかったのではないか。
●そうする事で初めて、北朝鮮問題を歴史認識や過去の植民地統治の清算問題から切り離して、普遍的な人権問題として国際社会に訴えていけるようになるし、左派に対しても、「日本の平和主義が、他国の独裁・人権蹂躙に対して、どこまで抑止力足りえるのか」「大国に寄りかかって戦争で解決するのでも、見て見ぬ振りをするのでもなく、自分達が理想とする平和・自由・民主主義を他国の人民も享受出来るようにするには、一体何が出来るのか」という新たな課題を提起できる、そういう運動になれたのでは無かったのか。
●「歴史問題は棚上げにしよう、まず被害者と、北朝鮮民衆を救おう、そのためには私たちも変わる努力をするから、左派の方々も反省すべき点は反省してともにやっていこう。保守だけではこれ以上広がらないんだから」と言う視線があったら、もう少し何か出来たかも知れない。
私も、上記のAさんの意見には基本的に賛成です。寧ろ、これは今までも拙ブログなどで繰り返し言ってきた事です。この意見が今回、私の様な左寄りからだけでなく、「救う会」系で自身もどちらかといえば右派系のAさんからも出た所に、この意見の普遍性が見てとれます。
但しその上で、Aさんの先の意見に一つ補足しておきますと、日本の平和主義は、「自国さえ平和であれば良い」というエゴイスティックな一国平和主義では決してありません。それは「専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う」「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」という日本国憲法前文の規定からも明らかです。
そういう戦後の日本国民が本来持っていた平和・人権志向を、平和共存・核廃絶や民族解放やフェアトレードといった国際連帯の視野にまで高めるのではなく、その反対に、自国エゴやエコノミック・アニマルのレベルにひたすら貶め続け、戦後保守政治の支柱としてきたのは、他ならぬ日米安保体制や歴代自民党政権の方ではなかったのか。60年安保闘争から国民の眼を逸らさせる為に当時の池田内閣が提唱した「所得倍増政策」なんて、その最たるものでしょう。日本の戦後左翼がそれに抗する上で必ずしも充分ではなかった事も確かですが、主犯の米国や自民党がそれを口にする資格はありません。
Aさんの言う「救う会」運動の「誤り」「失ったモノ」の話に再び戻します。
私やAさんが言っているのは、別に「左派イデオロギーを受け入れろ」と言う事ではありません。敢えて逆説的な言い方をすれば、「救う会」が靖国や日の丸・君が代や9条改憲に賛成であっても別に構わないのです。要は、最低限、他のマイノリティー解放運動との連帯や、他の社会的弱者への共感の気持ちを持ち合わせているかどうか、です。元来は保守右派の国民新党が、何故左派系からも一定の理解(支持とまでは行かなくとも)を得ているかと言えば、そういう最低限のモラルは備えているからです(少なくとも外面だけでも)。
「救う会や家族会にはそれが無かったのだ」とまでは言いません。「他を顧みるような余裕など無かった」というのが、正直な所だと思います。しかし、それが結果として「ヘイトスピーカーの跳梁跋扈を許してしまった」のは事実です。事ある毎に「ワーキングプアは自己責任」「格差など取るに足らない問題」「日本は弱者天国」「沖縄人はタカリ」云々など、ことさら他のマイノリティーの神経を逆撫でするような発言をする人物が、堂々と「救う会」の幹部やシンパに納まっている今の現状は、どう見ても異常です。そういう輩が、いくら慣れない口調で表向きだけ平和・人権・民主主義だの言った所で、全然説得力がありません。また、それは横田さんたち拉致被害者家族の気持ちとも相反するものです。
そういう「自己責任論」や「寄らば大樹の陰」「出る釘は打たれる」「何事も分相応に」「下見て暮らせ傘の下」といった、日本国民が未だに引きずっている遅れた人権意識や保守的な感情にことさら阿り、それを恰も日本古来の「伝統」や「美徳」であるかのように取り違え、「保守再生運動」のエネルギーにまで昇華して、安倍・麻生・石原などの自民党タカ派政治家の提灯持ちに終始し、盛んに左派・リベラルを攻撃しながら(例:イラク日本人人質バッシング)、そのくせ当の自分達はと言うと、「我々は、自民党政権を叱咤激励する側、マジョリティー(多数派)の側に立っているのだ」「家族を取り戻したいという人間愛に満ちた活動なのだから、国民は自然と我々を支持してくれる筈だ」という思い上がりの気持ちが、在ったのではないでしょうか。
しかし現実は寧ろ逆で、そういう遅れた反人権意識に阿っていたからこそ、政府側に見捨てられた途端に「家族会バッシング」を浴びる事になったのです。「イラク日本人人質バッシング」や「ジェンダーフリー・バッシング」などのバックラッシュ現象と「家族会バッシング」は全て同じ土壌から生まれたものですが、そういう問題意識や危機意識も「救う会」運動には殆ど皆無でした。
北朝鮮・拉致問題解決を目指す運動に今求められているのは、単なる戦前復古運動から、本当の意味での人権や民主化を基調とする運動に転換を図る事だと思います。例えばビルマ民主化運動やクルド難民救援運動の様に。特定失踪者調査会の荒木和博氏が進めているバルーン・プロジェクトや、タイ・中国・ルーマニア人拉致被害者との連帯などは、ひょっとしたら、そういう元々の大衆運動としての原点に立ち返る上での萌芽的な動きなのかも知れません―但し、これは荒木氏の歴史観や政治的立場を肯定するものではなく、あくま大衆運動の一つの在り方として、という意味ですが(念の為)。
例えば、北朝鮮取材を精力的にこなしてきた独立系左派ジャーナリストである石丸次郎氏の手によって、脱北者や北朝鮮住民の中から、金正日体制や朝鮮労働党の支配とは無縁の、本当の意味でのジャーナリストが生まれようとしている、というニュースなども(11月20日付産経新聞記事)、「救う会」としてももっと注目して然るべきではないでしょうか。
(関連記事)
・空気が読めず自分の身に即して考える事の出来ない人たち
http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/1241212f1f136e43a7f5b3816ab6fa7a
・拉致問題を言い募りつつ、実際は北朝鮮解放に敵対するという自己撞着
http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/afdafeaea30803c9953ff8d4daf892b2
・何世紀になっても人権感覚が19世紀のまんまの人たち
これが「救う会」や「新しい歴史教科書をつくる会」の歴史認識・人権感覚。こんな土俵でいくら金正日と対決しても、傍から見れば「どっちもどっち」でしかない。
http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/d48e2f604284282138b12c606bc0b59a
・国全体がやらせ・格差社会の北朝鮮
石丸次郎氏が育てた北朝鮮人ジャーナリストの事を取り上げています。
http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/a76d040fb8eff684c67bad086ed1dd88
「戦後レジームからの脱却」を唱える安倍政治につい最近まで振り回されてきた日本とは対照的に、お隣の朝鮮半島では「冷戦体制からの脱却」を求める動きが更に新しい形で姿を現してきた様です。この一つの動きが、10月4日に発表された盧武鉉・韓国大統領と金正日・北朝鮮党総書記との共同宣言です。
日本では、ブッシュ・ネオコンサイドからの北朝鮮・金正日批判報道の影響も有って、朝鮮半島といえばとかく「脱・冷戦」から一番縁遠い地域の様に思われてきました。しかし、この地域でも実は、古くは1972年の南北共同声明を皮切りに、最近では2000年6月15日の金大中・金正日による最初の南北首脳会談と、何度も「脱・冷戦」の動きがあったのです。しかしその都度、米日ネオコン・タカ派の台頭や北朝鮮政府の瀬戸際政策によって、その動きはいつも頓挫させられてきたのでした。
それで今回の南北共同宣言ですが、字面だけで読む限りでは、「総花的で余り変り映えのしない内容だ」という印象がどうしても否めません。確かに共同宣言には「休戦体制に終止符を打って平和体制に移行する」という事が謳われていますが、これにしたって、今までの共同宣言にも個々の表現こそ違えども今までも何度も謳われてきた事だからです。更に今までよりは一歩踏み込んで、「共同漁労区域」の設定や「海州を中心とした西海平和地帯構想」、「南浦・安辺の朝鮮協力団地(開城工業団地の様なものか?)の建設」といった、より具体的な提案が列挙されていますが、これも経済改革・開放に消極的で軍事優先に傾斜しがちな北朝鮮政府の姿勢を考えると、「果たしてどこまで実現出来るのか」「単なる言葉遊びの域を出ないのでは」という懸念が拭えません。国内に多数の政治犯収容所を抱え住民に移動や職業選択の自由すら与えない今の北朝鮮の政治が変らない限り、つまり北朝鮮が民主化されない限り、これらは全て画餅にしかならないのではないでしょうか。
では「全く今までと同じで変り映えがしないか」と言えば、実はそうとも言えないのです。確かに共同宣言の字面だけを見る限りでは総花的な印象しか拭えませんが、一歩目を現実に転ずれば、そこにはこの20年なり30年なりの朝鮮半島の変化が確実に見てとれます。
まず80年代に、韓国では軍事政権が崩壊し民主化が成し遂げられました。次いで90年代に入ると、ソ連が崩壊し中国も改革開放路線を確固たるものにしました。そして、その頃から今に続くグローバリゼーションとIT革命の進展で世界は一体化し、北朝鮮も次第にその流れとは無縁ではいられなくなりつつあります。
その中で、北朝鮮国内では経済特区の設立が為され、初期の羅先・新義州の試みは上手く軌道には乗りませんでしたが、次の開城(ケソン)工業団地の場合は一定の成功を収め、韓国を始め、日本を含む外国企業が進出し北朝鮮現地住民の雇用にも踏み出しています。今や韓国ソウルから北朝鮮の開城に向かう高速道路がDMZ(非武装地帯)を越えて伸びているのです。今回の盧武鉉大統領の訪朝でも、この道を歩いて休戦ラインを越えた事で話題になった所です。この地点に限って言えば、既に南北間で人・物・金の流れが形成されているのです。記事冒頭にあるのはウィキペディアに掲載されていた開城工業団地内のファミリーマートの写真です。北朝鮮の兵士が何とファミリーマートで買い物をしているのです。
北朝鮮では多分ここだけにしかないのでしょうこのファミリーマートと、その前で談笑・休息する朝鮮人民軍兵士の、奇妙な組み合わせ。この北朝鮮のコンビニでは一体何を売っているのでしょうか。店内では北朝鮮の人々がファミマの制服を着て朝鮮語で「いらっしゃいませ~」とか言っているのかな。日本のコンビニ業界では、売っている食品の安全性や、バイトの低賃金や、本部・FC加盟店との間のロイヤリティを巡る訴訟トラブルといった問題が頻発している訳ですが、北朝鮮ではここでも店内に金親子のご真影が飾ってあって労働党が威張っているのだろうか・・・。いろいろ想像の種が尽きません。
この新自由主義の象徴とも言えるコンビニや、韓国からの送電で稼動していて従業員も朝鮮労働党生え抜きの熱誠党員ばかりという、丁度日本で言えば江戸時代における長崎の出島みたいな感じの開城工団ですが、そのままでは北朝鮮の経済開放や民主化には結びつかないのは確かでしょう。しかし当時の出島も全く歴史的に意味が無かったのかと言えば、決してそうではありませんでした。杉田玄白の「解体新書」や平賀源内のエレキテルの実験、緒方洪庵の適塾に見られる如く、出島から伝わった蘭学の知識がその後の日本社会に与えた影響も決して小さくはありませんでした。
北朝鮮の自由化・民主化を巡る議論については今まで、「国交正常化で市場経済が広まれば自然に民主化される」というものから「米国の力を借りて力ずくで民主化してやるのだ」というものまで色々ありますが、そのどれにも民衆があまり出てきません。出てくるのは自由化・民営化万能論者の守銭奴みたいな資本家か、ネオコン礼賛・靖国崇拝・弱い者虐めの2ちゃんネットウヨクみたいな御用政治家ばかりです。そのどちらが「民主化」を主導して仮に成功したとしても、それは真の民主化とは程遠いものになるでしょう。
いくら外との交流が深まっても、それが一方通行に終わり、人民に双方向での移動や職業・人生選択の自由が保障されなければ、とても真の開放とは言えないのは、かつての帰国事業の例からも明らかです。北朝鮮民衆自身が双方向に向かう自由を求めて立ち上がってこそ、初めて真の民主化が達成されます。それを準備する役割を開城のファミリーマートが果たせてこそ、初めて「出島」としての意義があったと言えるのではないでしょうか。
(参考資料)
・特集 2007南北首脳会談(韓国・連合ニュース)
http://japanese.yonhapnews.co.kr/ikst/9100000001.html
・南北関係発展と平和繁栄に向けた宣言全文(同上)
http://japanese.yonhapnews.co.kr/Politics2/2007/10/04/0900000000AJP20071004003900882.HTML
・北朝鮮が対外政策を「先経政治」に、専門家が指摘(同上)
http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2007/10/08/0200000000AJP20071008002600882.HTML
・韓国“平和定着を重視”/南北首脳会談/軍事境界線 徒歩で/盧大統領「民族の苦痛解消」(しんぶん赤旗)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-10-03/2007100307_01_0.html
・金正日, 韓国人拉致被害者はいない…自ら越北(デイリーNK)
http://www.dailynk.com/japanese/read.php?cataId=nk01300&num=1254
・南北共同宣言 「平和繁栄」と言うなら(中日新聞・社説)
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2007100502053971.html
・人権を置き去りにした南北首脳会談(朝民研)
http://www.asiavoice.net/nkorea/2007/10/post_213.html
・もう一つの非融和的関与政策論(同上)
http://www.asiavoice.net/nkorea/2007/06/post_198.html
・開城工業地区(ウィキペディア―開城):例のファミマの写真もここに有り。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%8B%E5%9F%8E
・NHKスペシャル「北朝鮮帰国船~知られざる半世紀の記録~」
http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=300&date=2007-10-08&ch=21&eid=3924
日本では、ブッシュ・ネオコンサイドからの北朝鮮・金正日批判報道の影響も有って、朝鮮半島といえばとかく「脱・冷戦」から一番縁遠い地域の様に思われてきました。しかし、この地域でも実は、古くは1972年の南北共同声明を皮切りに、最近では2000年6月15日の金大中・金正日による最初の南北首脳会談と、何度も「脱・冷戦」の動きがあったのです。しかしその都度、米日ネオコン・タカ派の台頭や北朝鮮政府の瀬戸際政策によって、その動きはいつも頓挫させられてきたのでした。
それで今回の南北共同宣言ですが、字面だけで読む限りでは、「総花的で余り変り映えのしない内容だ」という印象がどうしても否めません。確かに共同宣言には「休戦体制に終止符を打って平和体制に移行する」という事が謳われていますが、これにしたって、今までの共同宣言にも個々の表現こそ違えども今までも何度も謳われてきた事だからです。更に今までよりは一歩踏み込んで、「共同漁労区域」の設定や「海州を中心とした西海平和地帯構想」、「南浦・安辺の朝鮮協力団地(開城工業団地の様なものか?)の建設」といった、より具体的な提案が列挙されていますが、これも経済改革・開放に消極的で軍事優先に傾斜しがちな北朝鮮政府の姿勢を考えると、「果たしてどこまで実現出来るのか」「単なる言葉遊びの域を出ないのでは」という懸念が拭えません。国内に多数の政治犯収容所を抱え住民に移動や職業選択の自由すら与えない今の北朝鮮の政治が変らない限り、つまり北朝鮮が民主化されない限り、これらは全て画餅にしかならないのではないでしょうか。
では「全く今までと同じで変り映えがしないか」と言えば、実はそうとも言えないのです。確かに共同宣言の字面だけを見る限りでは総花的な印象しか拭えませんが、一歩目を現実に転ずれば、そこにはこの20年なり30年なりの朝鮮半島の変化が確実に見てとれます。
まず80年代に、韓国では軍事政権が崩壊し民主化が成し遂げられました。次いで90年代に入ると、ソ連が崩壊し中国も改革開放路線を確固たるものにしました。そして、その頃から今に続くグローバリゼーションとIT革命の進展で世界は一体化し、北朝鮮も次第にその流れとは無縁ではいられなくなりつつあります。
その中で、北朝鮮国内では経済特区の設立が為され、初期の羅先・新義州の試みは上手く軌道には乗りませんでしたが、次の開城(ケソン)工業団地の場合は一定の成功を収め、韓国を始め、日本を含む外国企業が進出し北朝鮮現地住民の雇用にも踏み出しています。今や韓国ソウルから北朝鮮の開城に向かう高速道路がDMZ(非武装地帯)を越えて伸びているのです。今回の盧武鉉大統領の訪朝でも、この道を歩いて休戦ラインを越えた事で話題になった所です。この地点に限って言えば、既に南北間で人・物・金の流れが形成されているのです。記事冒頭にあるのはウィキペディアに掲載されていた開城工業団地内のファミリーマートの写真です。北朝鮮の兵士が何とファミリーマートで買い物をしているのです。
北朝鮮では多分ここだけにしかないのでしょうこのファミリーマートと、その前で談笑・休息する朝鮮人民軍兵士の、奇妙な組み合わせ。この北朝鮮のコンビニでは一体何を売っているのでしょうか。店内では北朝鮮の人々がファミマの制服を着て朝鮮語で「いらっしゃいませ~」とか言っているのかな。日本のコンビニ業界では、売っている食品の安全性や、バイトの低賃金や、本部・FC加盟店との間のロイヤリティを巡る訴訟トラブルといった問題が頻発している訳ですが、北朝鮮ではここでも店内に金親子のご真影が飾ってあって労働党が威張っているのだろうか・・・。いろいろ想像の種が尽きません。
この新自由主義の象徴とも言えるコンビニや、韓国からの送電で稼動していて従業員も朝鮮労働党生え抜きの熱誠党員ばかりという、丁度日本で言えば江戸時代における長崎の出島みたいな感じの開城工団ですが、そのままでは北朝鮮の経済開放や民主化には結びつかないのは確かでしょう。しかし当時の出島も全く歴史的に意味が無かったのかと言えば、決してそうではありませんでした。杉田玄白の「解体新書」や平賀源内のエレキテルの実験、緒方洪庵の適塾に見られる如く、出島から伝わった蘭学の知識がその後の日本社会に与えた影響も決して小さくはありませんでした。
北朝鮮の自由化・民主化を巡る議論については今まで、「国交正常化で市場経済が広まれば自然に民主化される」というものから「米国の力を借りて力ずくで民主化してやるのだ」というものまで色々ありますが、そのどれにも民衆があまり出てきません。出てくるのは自由化・民営化万能論者の守銭奴みたいな資本家か、ネオコン礼賛・靖国崇拝・弱い者虐めの2ちゃんネットウヨクみたいな御用政治家ばかりです。そのどちらが「民主化」を主導して仮に成功したとしても、それは真の民主化とは程遠いものになるでしょう。
いくら外との交流が深まっても、それが一方通行に終わり、人民に双方向での移動や職業・人生選択の自由が保障されなければ、とても真の開放とは言えないのは、かつての帰国事業の例からも明らかです。北朝鮮民衆自身が双方向に向かう自由を求めて立ち上がってこそ、初めて真の民主化が達成されます。それを準備する役割を開城のファミリーマートが果たせてこそ、初めて「出島」としての意義があったと言えるのではないでしょうか。
(参考資料)
・特集 2007南北首脳会談(韓国・連合ニュース)
http://japanese.yonhapnews.co.kr/ikst/9100000001.html
・南北関係発展と平和繁栄に向けた宣言全文(同上)
http://japanese.yonhapnews.co.kr/Politics2/2007/10/04/0900000000AJP20071004003900882.HTML
・北朝鮮が対外政策を「先経政治」に、専門家が指摘(同上)
http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2007/10/08/0200000000AJP20071008002600882.HTML
・韓国“平和定着を重視”/南北首脳会談/軍事境界線 徒歩で/盧大統領「民族の苦痛解消」(しんぶん赤旗)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-10-03/2007100307_01_0.html
・金正日, 韓国人拉致被害者はいない…自ら越北(デイリーNK)
http://www.dailynk.com/japanese/read.php?cataId=nk01300&num=1254
・南北共同宣言 「平和繁栄」と言うなら(中日新聞・社説)
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2007100502053971.html
・人権を置き去りにした南北首脳会談(朝民研)
http://www.asiavoice.net/nkorea/2007/10/post_213.html
・もう一つの非融和的関与政策論(同上)
http://www.asiavoice.net/nkorea/2007/06/post_198.html
・開城工業地区(ウィキペディア―開城):例のファミマの写真もここに有り。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%8B%E5%9F%8E
・NHKスペシャル「北朝鮮帰国船~知られざる半世紀の記録~」
http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=300&date=2007-10-08&ch=21&eid=3924
安倍政権退陣のニュースは多くの海外メディアも競って取り上げました。余りにも無責任な退陣の仕方も含め、今までが今までだったので、メディア論調の中には辛辣な批評も少なくはありませんでした。その中で私が一際目を引いたのが、中国政府筋による意外なまでの安倍政権に肯定的な評価です。私たちの目から見たら安倍も麻生もゴリゴリの靖国派・改憲派なのですが、中国にとってはまた違うようです。麻生に対しては露骨に警戒心を示す中国が、こと安倍首相に対しては、「右翼政治家」というよりは寧ろ「小泉時代の冷え切った日中関係を立て直した功労者」として見ている様なのです。
安倍政権が成立後にまずやった事は、中国・韓国訪問による両国との関係正常化でした。だから、「安倍政権は、実は言われているほど『右翼的』な政権ではなく、意外と『親中国・韓国・北朝鮮』なのだ」とか、「『戦後レジームからの脱却』というのは、あくまでもグローバルなレベルでの海外派兵・対米追従志向を指すのであって、ことアジア地域に限っては中国・北朝鮮などの『特定アジア』とも適度に『対話と圧力を使い分けて行こう』としている」という見方も、実は少なからずあります。
では実際はどうなのか。私も含めてボロクソに貶しまくった安倍政権ですが、本当に「それほど右翼的な政権ではなかった」のかどうか。この事については、左右からそれぞれ特徴的な意見が出されています。
まず右の方からの一例として、下記の荒木和博ブログの見解を示しておきます。これは特定失踪者調査会代表の荒木氏のブログですが、そこで述べられているのは「安倍政権は、確かに拉致問題への取組みを売りにしてきたが、それは決して『拉致を隠蔽してきた構造』との闘いの中で揉まれてきたものではない、表向きの売りとは裏腹に、その構造にうまく乗る中で誕生してきたのだ」「だから最後に『拉致を隠蔽してきた構造』に足元を掬われたのだ」というものです。
この『拉致を隠蔽してきた構造』には様々なものが含まれているようです。「戦後レジーム」もそれに含まれるでしょう。「憲法9条が愛国心のない国民を生み北朝鮮の拉致を許してきたのだ」という理屈です。その中では小泉構造改革や格差社会への批判も見られますが、それは「弱肉強食の新自由主義やワーキングプアへの搾取に対する怒り」というよりは寧ろ「古き良き日本をぶっ壊した者への怒り」という形で示されている様な気がします。
これはこれで面白い見方だと思いますが、私はこの見解には組しません。寧ろその次のブログ「きまぐれな日々」の見解を基本的に支持します。これは、「政治右派の安倍・靖国派は、最後には日本を実質的に支配している経済右派の財界・新自由主義派に飲み込まれたのだ」とする見解です。
戦後日本の、取り分け80年代以降の日本の保守政治には、大きく分けて二つの流れがあります。一つは、右翼・国家主義的・復古主義的な流れ。今の平和憲法を変えて「戦争の出来る国」にしようという、新保守主義(ネオコン)に近い流れです。もう一つは、アンチ福祉国家で市場万能・弱肉強食・競争至上主義の新自由主義(ネオリベ)の流れです。かつてはこの他に第三の、福祉国家や軍縮を志向する流れも少数ながらありましたが(石橋湛山・宇都宮徳馬・三木武夫など)、残念ながらこの流れは、保守派の中では遂に日の目を見る事はありませんでした。
後者ネオリベの「民営化・自由化」推進の流れと、前者ネオコンの国家統制を強める流れとは、一見すると互いに対立するように見えます(実際に対立を演出したりもします)が、根本的な所ではネオコン・ネオリベの両者は同じ立場に立ち、相互に補完し合っています。それは、ネオリベの言う「自由」とか「規制緩和」というのが、誰にとっての物であるかを考えれば直ぐに分ります。それはあくまでも一握りの大資本家や国際資本にとっての「自由」でしかありません。それ以外の中産階級やもっと下のワーキングプアからの自由・人権の要求に対しては、ネオコンが説く愛国心や奴隷道徳の力を借りて、それを抑え込もうとするのです。
ただ、大資本・国際資本・ネオリベの考え方はあくまで「カネ儲けが全て」なので、儲けの為にはどこの国や勢力とも取引をします。基本はあくまで米国とですが、それだけでなく中国・北朝鮮・その他の国とも取引をします。そういう中においては時として、ネオコンや靖国派の余りにも復古的で時代錯誤な路線が自分たちの商売の邪魔になる場合も出てきます。今回の安倍政権崩壊も、自業自得とも言える自身の度重なる失策や選挙での惨敗で力の弱まったネオコン・靖国派に対し、米国・国際資本・ネオリベが仕掛けた内ゲバ・クーデターであるというのが、この見方です。
この「経済右派に対する政治右派の敗北」という捉え方の方が基本的には正しいと思いますが、但しその中の、「より警戒すべきなのは政治右派であって、それと比べれば、どちらを取るかと迫られたらまだ経済右派の方がマシ」というくだりについては、私はちょっと賛成しかねます。
確かに言いたい事も分らないではありません。なるほど「ルペンとシラク、石原と浅野、戦前日本と今の米国の、それぞれどちらを選ぶ?」と言われたら(どちらも嫌、もっと別の道があるという正論はここでは一旦度外視する)、私もしぶしぶ後者の方を選ぶかも知れません。しかし、それはあくまで個々の選択肢の内容によります。「日本独自の核武装か日米軍事一体化か、どちらの軍事国家・監視社会を選ぶか?」「ギロチンか電気椅子か、どちらの処刑を望むか?」なんて問いに対しては、「どちらかを選ぶ」なんて事などは出来ません。そんなもの「どちらも嫌」に決まっています。
今のポスト安倍の自民党総裁選レースにしてもそうです。小泉・ネオリベ派の福田か、安倍・靖国・ネオコン派の麻生か、そのどちらを選ぶと言われてもねえ。単純に「しぶしぶ福田を選ぶ」とか「福田の方がまだマシ」とかいう理屈にはなりません。消費税の問題一つ見ても、両者の立場は共に「増税止む無し」で、同じ穴のムジナなのですから。逆に麻生が首相になっても、参院選で示された民意を悉く踏みにじって一瀉千里に改憲へまっしぐらといくら当人が思っても、そう簡単に問屋が卸さないのは福田の場合と同じで、それならば突っ込み所の多い麻生の方が寧ろやり易いとも言える訳で。
それで「政治右派vs経済右派」の話に再び戻します。「安倍政権は実は親中国・北朝鮮だったのか?」という最初の問いですが、これは「何を以って親中国(北朝鮮)とするのか」という事が一番肝心なのであって、それ抜きにして抽象的に「親か反か」を議論しても全く意味が無いでしょう。経済右派も政治右派も、本音では中国・北朝鮮の低賃金・無権利労働者は喉から手が出るほど欲しいのです。環境規制も、今と同じ緩々の方が良いのです。その方が自分たち国際資本・財界が彼の地にも進出して勝手放題出来るし、ODAや地球温暖化ガス排出権取引に見られる如く、それを商売や利権山分けの具にしたり出来ますから。それで裏でツーツーの取引をしながら、表向きは相手はあくまでも「人権蹂躙の社会主義国」「悪の枢軸」として、自国民を国内の人権蹂躙から目を逸らせ排外主義を煽り盲目的な政府支持に回らせる事の出来る、そういう存在でなければならない。それは政治右派も経済右派も基本的には同じです。
つまり、小泉・福田=経済右派・ネオリベも安倍・麻生=政治右派・ネオコン・靖国派も、「中国・北朝鮮の低賃金・無権利労働者は喉から手が出るほど欲しい」場合には「親中国・北朝鮮」であり、「自国民を国内の人権蹂躙から目を逸らせ排外主義を煽り政府支持に回らせる」必要がある場合には「反中国・北朝鮮」と、TPOによって立場を使い分けているだけなのです。
そうであるならば、それに対する政治左派(反ネオコン、平和・民主主義志向)・経済左派(反ネオリベ、人間尊重・生存権重視)の本来的立場は明快です。例えばこの強制労働紛いの事例に見られるような中国・北朝鮮の人権蹂躙には、平和・人権や社会主義本来の立場からもっと抗議の声をあげつつ、同時に政府・財界の排外主義扇動や搾取合理化の企てをも許さないようにする事。これに尽きます。この見地が、今まではまだまだ言葉倒れで終わり甚だ不十分だった事は否めませんでした。
しかし、それはまた同時に右派にも跳ね返ってくる言葉でもあります。右派が本心から中国・北朝鮮の人権状況を憂いているのであれば、日本国内での年金問題、政治とカネ、格差社会に対する人間としての当然の怒りに対してまで「おカネ三点セット」として貶めて恥じないような醜い立場には、少なくとも立つべきではないでしょう。北九州市の生活保護遺棄餓死事件やグッドウィルのデータ装備費ピンハネ問題などへの怒りを、単なる我執・欲得話としてしか見れないネットウヨクの戯言など、誰が聞く耳を持ちますか。
(参考記事)
・「甘やかされた子供」=仏ラジオ局-安倍首相辞任で(時事通信)
http://news.goo.ne.jp/article/jiji/world/jiji-12X916.html
・安倍政権1年、ひどい1年は辞任で幕(フィナンシャル・タイムズ)
http://news.goo.ne.jp/article/ft/politics/ft-20070913-01.html
・海外メディア+韓国メディアがみるアベシ辞任。(メディアは流石だなぁ、と思っています。今!)(晴天とら日和)
http://blog.livedoor.jp/hanatora53bann/archives/51054583.html
・安倍退陣を巡る中国マスコミの論調(NNAより)
関係改善を評価、外交部報道官
http://nna.asia.ne.jp/free/tokuhou/070912_tyo/07/0912h.html
関係改善は評価、「次は麻生」
http://nna.asia.ne.jp/free/tokuhou/070912_tyo/07/0914a.html
・日本の姿勢は「建設的」 北朝鮮の宋日昊大使が会見(共同通信)
http://www.47news.jp/CN/200709/CN2007090801000611.html
・安倍総理の辞任表明について(荒木和博BLOG)
http://araki.way-nifty.com/araki/2007/09/post_f21c.html
・「経済右派」が「政治右派」の安倍晋三を征圧した(きまぐれな日々)
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-446.html#comment2057
・自民総裁選:消費税率引き上げは検討課題 共同会見(毎日新聞)
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070916k0000m010079000c.html
・北、モンゴルに労働力 外貨狙い1000人規模も(産経新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070910-00000900-san-int
・安倍辞任に思ふ(福田 逸の備忘録―独断と偏見)
http://dokuhen.exblog.jp/m2007-09-01/
(拙ブログの過去の関連記事から)
・安倍政権異聞
http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/e09e1b859a242847ca7e0a060fa4cb7d
・安倍と御手洗が説く愛国心の反人民的本質
http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/29ff0419eee71cf4ed589d052b293b47
・酷い言い草
http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/843f1180b662b2e3f735149640922bef
・北朝鮮問題にどう向き合うか―私なりの結論
http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/728fd979e94b77924f2727909ff6bfc4
・空気が読めず自分の身に即して考える事の出来ない人たち
http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/1241212f1f136e43a7f5b3816ab6fa7a
安倍政権が成立後にまずやった事は、中国・韓国訪問による両国との関係正常化でした。だから、「安倍政権は、実は言われているほど『右翼的』な政権ではなく、意外と『親中国・韓国・北朝鮮』なのだ」とか、「『戦後レジームからの脱却』というのは、あくまでもグローバルなレベルでの海外派兵・対米追従志向を指すのであって、ことアジア地域に限っては中国・北朝鮮などの『特定アジア』とも適度に『対話と圧力を使い分けて行こう』としている」という見方も、実は少なからずあります。
では実際はどうなのか。私も含めてボロクソに貶しまくった安倍政権ですが、本当に「それほど右翼的な政権ではなかった」のかどうか。この事については、左右からそれぞれ特徴的な意見が出されています。
まず右の方からの一例として、下記の荒木和博ブログの見解を示しておきます。これは特定失踪者調査会代表の荒木氏のブログですが、そこで述べられているのは「安倍政権は、確かに拉致問題への取組みを売りにしてきたが、それは決して『拉致を隠蔽してきた構造』との闘いの中で揉まれてきたものではない、表向きの売りとは裏腹に、その構造にうまく乗る中で誕生してきたのだ」「だから最後に『拉致を隠蔽してきた構造』に足元を掬われたのだ」というものです。
この『拉致を隠蔽してきた構造』には様々なものが含まれているようです。「戦後レジーム」もそれに含まれるでしょう。「憲法9条が愛国心のない国民を生み北朝鮮の拉致を許してきたのだ」という理屈です。その中では小泉構造改革や格差社会への批判も見られますが、それは「弱肉強食の新自由主義やワーキングプアへの搾取に対する怒り」というよりは寧ろ「古き良き日本をぶっ壊した者への怒り」という形で示されている様な気がします。
これはこれで面白い見方だと思いますが、私はこの見解には組しません。寧ろその次のブログ「きまぐれな日々」の見解を基本的に支持します。これは、「政治右派の安倍・靖国派は、最後には日本を実質的に支配している経済右派の財界・新自由主義派に飲み込まれたのだ」とする見解です。
戦後日本の、取り分け80年代以降の日本の保守政治には、大きく分けて二つの流れがあります。一つは、右翼・国家主義的・復古主義的な流れ。今の平和憲法を変えて「戦争の出来る国」にしようという、新保守主義(ネオコン)に近い流れです。もう一つは、アンチ福祉国家で市場万能・弱肉強食・競争至上主義の新自由主義(ネオリベ)の流れです。かつてはこの他に第三の、福祉国家や軍縮を志向する流れも少数ながらありましたが(石橋湛山・宇都宮徳馬・三木武夫など)、残念ながらこの流れは、保守派の中では遂に日の目を見る事はありませんでした。
後者ネオリベの「民営化・自由化」推進の流れと、前者ネオコンの国家統制を強める流れとは、一見すると互いに対立するように見えます(実際に対立を演出したりもします)が、根本的な所ではネオコン・ネオリベの両者は同じ立場に立ち、相互に補完し合っています。それは、ネオリベの言う「自由」とか「規制緩和」というのが、誰にとっての物であるかを考えれば直ぐに分ります。それはあくまでも一握りの大資本家や国際資本にとっての「自由」でしかありません。それ以外の中産階級やもっと下のワーキングプアからの自由・人権の要求に対しては、ネオコンが説く愛国心や奴隷道徳の力を借りて、それを抑え込もうとするのです。
ただ、大資本・国際資本・ネオリベの考え方はあくまで「カネ儲けが全て」なので、儲けの為にはどこの国や勢力とも取引をします。基本はあくまで米国とですが、それだけでなく中国・北朝鮮・その他の国とも取引をします。そういう中においては時として、ネオコンや靖国派の余りにも復古的で時代錯誤な路線が自分たちの商売の邪魔になる場合も出てきます。今回の安倍政権崩壊も、自業自得とも言える自身の度重なる失策や選挙での惨敗で力の弱まったネオコン・靖国派に対し、米国・国際資本・ネオリベが仕掛けた内ゲバ・クーデターであるというのが、この見方です。
この「経済右派に対する政治右派の敗北」という捉え方の方が基本的には正しいと思いますが、但しその中の、「より警戒すべきなのは政治右派であって、それと比べれば、どちらを取るかと迫られたらまだ経済右派の方がマシ」というくだりについては、私はちょっと賛成しかねます。
確かに言いたい事も分らないではありません。なるほど「ルペンとシラク、石原と浅野、戦前日本と今の米国の、それぞれどちらを選ぶ?」と言われたら(どちらも嫌、もっと別の道があるという正論はここでは一旦度外視する)、私もしぶしぶ後者の方を選ぶかも知れません。しかし、それはあくまで個々の選択肢の内容によります。「日本独自の核武装か日米軍事一体化か、どちらの軍事国家・監視社会を選ぶか?」「ギロチンか電気椅子か、どちらの処刑を望むか?」なんて問いに対しては、「どちらかを選ぶ」なんて事などは出来ません。そんなもの「どちらも嫌」に決まっています。
今のポスト安倍の自民党総裁選レースにしてもそうです。小泉・ネオリベ派の福田か、安倍・靖国・ネオコン派の麻生か、そのどちらを選ぶと言われてもねえ。単純に「しぶしぶ福田を選ぶ」とか「福田の方がまだマシ」とかいう理屈にはなりません。消費税の問題一つ見ても、両者の立場は共に「増税止む無し」で、同じ穴のムジナなのですから。逆に麻生が首相になっても、参院選で示された民意を悉く踏みにじって一瀉千里に改憲へまっしぐらといくら当人が思っても、そう簡単に問屋が卸さないのは福田の場合と同じで、それならば突っ込み所の多い麻生の方が寧ろやり易いとも言える訳で。
それで「政治右派vs経済右派」の話に再び戻します。「安倍政権は実は親中国・北朝鮮だったのか?」という最初の問いですが、これは「何を以って親中国(北朝鮮)とするのか」という事が一番肝心なのであって、それ抜きにして抽象的に「親か反か」を議論しても全く意味が無いでしょう。経済右派も政治右派も、本音では中国・北朝鮮の低賃金・無権利労働者は喉から手が出るほど欲しいのです。環境規制も、今と同じ緩々の方が良いのです。その方が自分たち国際資本・財界が彼の地にも進出して勝手放題出来るし、ODAや地球温暖化ガス排出権取引に見られる如く、それを商売や利権山分けの具にしたり出来ますから。それで裏でツーツーの取引をしながら、表向きは相手はあくまでも「人権蹂躙の社会主義国」「悪の枢軸」として、自国民を国内の人権蹂躙から目を逸らせ排外主義を煽り盲目的な政府支持に回らせる事の出来る、そういう存在でなければならない。それは政治右派も経済右派も基本的には同じです。
つまり、小泉・福田=経済右派・ネオリベも安倍・麻生=政治右派・ネオコン・靖国派も、「中国・北朝鮮の低賃金・無権利労働者は喉から手が出るほど欲しい」場合には「親中国・北朝鮮」であり、「自国民を国内の人権蹂躙から目を逸らせ排外主義を煽り政府支持に回らせる」必要がある場合には「反中国・北朝鮮」と、TPOによって立場を使い分けているだけなのです。
そうであるならば、それに対する政治左派(反ネオコン、平和・民主主義志向)・経済左派(反ネオリベ、人間尊重・生存権重視)の本来的立場は明快です。例えばこの強制労働紛いの事例に見られるような中国・北朝鮮の人権蹂躙には、平和・人権や社会主義本来の立場からもっと抗議の声をあげつつ、同時に政府・財界の排外主義扇動や搾取合理化の企てをも許さないようにする事。これに尽きます。この見地が、今まではまだまだ言葉倒れで終わり甚だ不十分だった事は否めませんでした。
しかし、それはまた同時に右派にも跳ね返ってくる言葉でもあります。右派が本心から中国・北朝鮮の人権状況を憂いているのであれば、日本国内での年金問題、政治とカネ、格差社会に対する人間としての当然の怒りに対してまで「おカネ三点セット」として貶めて恥じないような醜い立場には、少なくとも立つべきではないでしょう。北九州市の生活保護遺棄餓死事件やグッドウィルのデータ装備費ピンハネ問題などへの怒りを、単なる我執・欲得話としてしか見れないネットウヨクの戯言など、誰が聞く耳を持ちますか。
(参考記事)
・「甘やかされた子供」=仏ラジオ局-安倍首相辞任で(時事通信)
http://news.goo.ne.jp/article/jiji/world/jiji-12X916.html
・安倍政権1年、ひどい1年は辞任で幕(フィナンシャル・タイムズ)
http://news.goo.ne.jp/article/ft/politics/ft-20070913-01.html
・海外メディア+韓国メディアがみるアベシ辞任。(メディアは流石だなぁ、と思っています。今!)(晴天とら日和)
http://blog.livedoor.jp/hanatora53bann/archives/51054583.html
・安倍退陣を巡る中国マスコミの論調(NNAより)
関係改善を評価、外交部報道官
http://nna.asia.ne.jp/free/tokuhou/070912_tyo/07/0912h.html
関係改善は評価、「次は麻生」
http://nna.asia.ne.jp/free/tokuhou/070912_tyo/07/0914a.html
・日本の姿勢は「建設的」 北朝鮮の宋日昊大使が会見(共同通信)
http://www.47news.jp/CN/200709/CN2007090801000611.html
・安倍総理の辞任表明について(荒木和博BLOG)
http://araki.way-nifty.com/araki/2007/09/post_f21c.html
・「経済右派」が「政治右派」の安倍晋三を征圧した(きまぐれな日々)
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-446.html#comment2057
・自民総裁選:消費税率引き上げは検討課題 共同会見(毎日新聞)
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070916k0000m010079000c.html
・北、モンゴルに労働力 外貨狙い1000人規模も(産経新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070910-00000900-san-int
・安倍辞任に思ふ(福田 逸の備忘録―独断と偏見)
http://dokuhen.exblog.jp/m2007-09-01/
(拙ブログの過去の関連記事から)
・安倍政権異聞
http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/e09e1b859a242847ca7e0a060fa4cb7d
・安倍と御手洗が説く愛国心の反人民的本質
http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/29ff0419eee71cf4ed589d052b293b47
・酷い言い草
http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/843f1180b662b2e3f735149640922bef
・北朝鮮問題にどう向き合うか―私なりの結論
http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/728fd979e94b77924f2727909ff6bfc4
・空気が読めず自分の身に即して考える事の出来ない人たち
http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/1241212f1f136e43a7f5b3816ab6fa7a
川人博著「金正日と日本の知識人」(講談社現代新書)という本を読みました。この本は、今年に入って「諸君!」「週刊朝日」誌上などで繰り広げられた川人博・姜尚中の両氏の間の公開論争を、川人氏の側からまとめたものです。川人氏は著書の中で、姜尚中を初め佐高信・水島朝穂などの日本の知識人が唱えてきた「戦後平和主義」が、北朝鮮・金正日独裁体制やその下での拉致・人権抑圧については、それを隠蔽・温存する作用を果たしてきた事を指摘し、「正義なき平和」ではなく「正義・人権に基づく平和」こそが大切だと力説しています。
私がこの本を読んで思った事は、姜尚中氏などに対する聊か感情的とも取れる「ラ帝」的物言いは確かに感じるものの、川人氏の主張そのものは、人権派弁護士としては至極真っ当な事を言っているに過ぎない、という事です。ネオコンが主導し近年までブッシュ政権が主張していたような「イラク戦争」型の北朝鮮介入については明確に否定した上で、「かつて南アのアパルトヘイトやチリのピノチェト軍事政権を追い詰めた様に、北朝鮮の人権抑圧体制も国際世論の力で追い詰めよう」と言っているに過ぎないのですから。
ただ疑問に思うのは、北朝鮮との宥和を説き「正義なき平和」を主張しているとされる姜尚中氏についても、それを乗り越え「正義・人権に基づく平和」を希求するという川人博氏についても、今の憲法9条やそれに基づく平和主義を、「自国さえ平和であれば良い」とする「一国平和主義」「奴隷の平和」と看做している、という点です。
確かにそういう「一国平和主義」「奴隷の平和」的側面はありました。社会党・社民党の根深い旧ソ連・中国・北朝鮮盲従路線や、共産党の自主独立路線とは裏腹の帰国者問題・拉致問題に対する煮え切らない態度なども、その背景をたどると、この「一国平和主義」の問題に行き着くのでしょう。しかし、憲法9条が説く平和思想そのものは、そんな独りよがりで薄っぺらい代物だったでしょうか。今まで生協活動を通して原水禁運動にも参加してきた私としては、それが非常に不満に感じる点です。
原水禁運動も、初期の頃には、在日コリアンなど外国人被爆者の存在を無視し排除すらしようとしてきた、そういう側面がありました。しかし、運動の国際的広がりとともに、そういう側面は次第に払拭されていきました。
自からは被爆者・被害者ではあるが、同時にアジアとの関係では侵略者・加害者の一員でもあった事。被爆に苦しんでいるのは自分たちだけではなく、ネバダ・セミパラチンスク・マーシャル諸島など海外にも同じ様に苦しんでいる被爆者がいる事。それらの人々も含めた国際世論の力で、核兵器の占有も拡散も許さない状況を作り出していこうとしている事。その中で、米国・フランスの核実験だけでなく旧ソ連・中国・北朝鮮にも抗議するようになった事。
そして何よりもまして、平和とは単なる戦争のない状態を意味するのではなく、戦争・地域紛争・テロの背景となる差別・抑圧・搾取の仕組みそのものを廃絶して、公正で民主的な世界を目指そうとしている事。これらが現代日本の平和運動の到達点であり、未だに大国意識や核抑止論を完全に払拭出来ていない欧米の平和運動と比べても、その先進性は秀でている事。
これらの事実をきちんと踏まえている限り、先の久間・元防衛相の「原爆投下しょうがない」発言にしても、ここで今取り上げている「奴隷の平和」論にしても、そもそも介在する余地がない筈です。
もっと言うならば、そういう「奴隷の平和」的側面は、そもそも一体誰が作り出してきたものでしょうか。かつて朝鮮戦争・ベトナム戦争に加担し今もイラク戦争に加担し続ける為に、平和運動から搾取廃絶や国際連帯の視点を抜き去り、社会党などを抱き込み骨抜きにし、第三世界の搾取の上に胡坐をかいた「自国中心」で「経済成長至上主義」の「無害な平和運動、奴隷の平和」を進めてきたのは、ケネディー・ライシャワーや吉田茂・池田勇人といった歴代の米国政府・イデオローグや日本の自民党政府じゃあないですか。
それに取り込まれた社会党などの責任は勿論あります。しかし、己たちがさんざん憲法9条の平和思想を歪曲してきたくせに、今また北朝鮮問題を利用して、その罪までも憲法9条に擦り付けるかの様な言説には、大きな違和感を感じます。
そして、北朝鮮・拉致問題に取り組んでいる人が全てそうだとは言いませんが、その中の少なくない人が、「悪の枢軸・北朝鮮」から「平和で民主的な日本」を守るというロジックを展開されています。しかし私に言わせれば、それこそ「奴隷の平和」の最たるものではないでしょうか。「自由と繁栄の弧」か何か知りませんが、そういう「下見て暮らせ傘の下」的思考とも紙一重の、小泉・安倍茶番政治の隠蔽でしかない欺瞞的な民主主義の説教を聞かされる度に、はっきり言って、マジでムカつきます。
ワーキングプアがいいように小突き回され搾取され、ネカフェ・マクド難民が巷に溢れ、グッドウィル折口や御手洗経団連や赤城・丸珠デタラメ香具師たちだけがほくそえんでいる国の、一体何処が「平和で民主的」なのでしょうか。「奴隷の平和」って、一体何処の国の、誰についての話ですか。北朝鮮強制収容所の?それとも日本の偽装請負現場の?弾丸こそ身近に飛び交わないものの、既に日本も充分「戦場」ではないでしょうか。こういう人にとっては、赤木智弘氏の叫びなども全然理解出来ないのでしょう。人に愛国心の説教を垂れる前に、きちんと食わせろ!生きさせろ!人を機械の部品扱いするな!
平和とは、つかの間の「奴隷の平和」などではなく、戦争や民族対立の背景となる差別・搾取・人権抑圧や、その現われである覇権主義・大国思想そのものが廃絶・止揚された状態を指す筈です。つまり、平和と人権・正義・自由・平等といった概念は決して対立するものではなく、そもそも両者は互いに不可分なものである筈です。そうであればこそ、米国がかつてアジアや中南米で行い今も中東その他で続行している「汚い戦争」にも、旧ソ連のチェコ・アフガニスタン侵略や、中国の天安門事件を初めとする人権抑圧や、大国のエゴによって泳がされてきた金正日・ポルポト・タリバン・ボカサ・アミンなどの蛮行も、ともにダブルスタンダードなく糾弾・告発されなくてはいけないし、北朝鮮のコッチェビ(難民孤児)も日本国内のネカフェ・マクド難民も、ともに救済されなければならない筈です。
川人博弁護士は、過労死問題にも拉致問題にも取り組んでおられます。そういう点では、藤原信勝や佐藤勝巳などの諸氏とは明らかに一線を画しています。また、川人氏が著書の中で引用された、在日コリアン・イラク人質バッシングを戒める横田滋・早紀江夫妻の発言にも、非常に気高いものを感じます。「平和か人権か、ではなくて、平和も人権も」「国際世論の力によって独裁者を追い詰める」その言や非常に好し。
しかし、そうであるならば尚更の事、「救う会」系人士による改憲・歴史修正主義・イラク戦争・自衛隊市民監視活動擁護などの言説や、その支援者たちが陰に陽に繰り返している個々の在日コリアン・イラク人質・その他社会的弱者に対するバッシングやバックラッシュ的言説に対しても、北朝鮮・拉致問題に対するのと同等に、「人権」的立場からの批判がされて然るべきではないでしょうか。然るに川人氏の論考には、政府御用に走り内紛に明け暮れる今の「救う会」運動の現状や、自衛隊市民監視活動を公然と擁護する荒木和博氏の論考に対しても、余りにも手放しに美化し過ぎているとしか思えない記述も散見されるのが、気になる点です。
これが「左派のダブルスタンダード」とは裏返しの「右派に対するダブルスタンダード」でなければ良いのですが。「別個に進んで共に撃つ」という事は、決して「馴れ合い」や「追従」と同じではない筈です。
私がこの本を読んで思った事は、姜尚中氏などに対する聊か感情的とも取れる「ラ帝」的物言いは確かに感じるものの、川人氏の主張そのものは、人権派弁護士としては至極真っ当な事を言っているに過ぎない、という事です。ネオコンが主導し近年までブッシュ政権が主張していたような「イラク戦争」型の北朝鮮介入については明確に否定した上で、「かつて南アのアパルトヘイトやチリのピノチェト軍事政権を追い詰めた様に、北朝鮮の人権抑圧体制も国際世論の力で追い詰めよう」と言っているに過ぎないのですから。
ただ疑問に思うのは、北朝鮮との宥和を説き「正義なき平和」を主張しているとされる姜尚中氏についても、それを乗り越え「正義・人権に基づく平和」を希求するという川人博氏についても、今の憲法9条やそれに基づく平和主義を、「自国さえ平和であれば良い」とする「一国平和主義」「奴隷の平和」と看做している、という点です。
確かにそういう「一国平和主義」「奴隷の平和」的側面はありました。社会党・社民党の根深い旧ソ連・中国・北朝鮮盲従路線や、共産党の自主独立路線とは裏腹の帰国者問題・拉致問題に対する煮え切らない態度なども、その背景をたどると、この「一国平和主義」の問題に行き着くのでしょう。しかし、憲法9条が説く平和思想そのものは、そんな独りよがりで薄っぺらい代物だったでしょうか。今まで生協活動を通して原水禁運動にも参加してきた私としては、それが非常に不満に感じる点です。
原水禁運動も、初期の頃には、在日コリアンなど外国人被爆者の存在を無視し排除すらしようとしてきた、そういう側面がありました。しかし、運動の国際的広がりとともに、そういう側面は次第に払拭されていきました。
自からは被爆者・被害者ではあるが、同時にアジアとの関係では侵略者・加害者の一員でもあった事。被爆に苦しんでいるのは自分たちだけではなく、ネバダ・セミパラチンスク・マーシャル諸島など海外にも同じ様に苦しんでいる被爆者がいる事。それらの人々も含めた国際世論の力で、核兵器の占有も拡散も許さない状況を作り出していこうとしている事。その中で、米国・フランスの核実験だけでなく旧ソ連・中国・北朝鮮にも抗議するようになった事。
そして何よりもまして、平和とは単なる戦争のない状態を意味するのではなく、戦争・地域紛争・テロの背景となる差別・抑圧・搾取の仕組みそのものを廃絶して、公正で民主的な世界を目指そうとしている事。これらが現代日本の平和運動の到達点であり、未だに大国意識や核抑止論を完全に払拭出来ていない欧米の平和運動と比べても、その先進性は秀でている事。
これらの事実をきちんと踏まえている限り、先の久間・元防衛相の「原爆投下しょうがない」発言にしても、ここで今取り上げている「奴隷の平和」論にしても、そもそも介在する余地がない筈です。
もっと言うならば、そういう「奴隷の平和」的側面は、そもそも一体誰が作り出してきたものでしょうか。かつて朝鮮戦争・ベトナム戦争に加担し今もイラク戦争に加担し続ける為に、平和運動から搾取廃絶や国際連帯の視点を抜き去り、社会党などを抱き込み骨抜きにし、第三世界の搾取の上に胡坐をかいた「自国中心」で「経済成長至上主義」の「無害な平和運動、奴隷の平和」を進めてきたのは、ケネディー・ライシャワーや吉田茂・池田勇人といった歴代の米国政府・イデオローグや日本の自民党政府じゃあないですか。
それに取り込まれた社会党などの責任は勿論あります。しかし、己たちがさんざん憲法9条の平和思想を歪曲してきたくせに、今また北朝鮮問題を利用して、その罪までも憲法9条に擦り付けるかの様な言説には、大きな違和感を感じます。
そして、北朝鮮・拉致問題に取り組んでいる人が全てそうだとは言いませんが、その中の少なくない人が、「悪の枢軸・北朝鮮」から「平和で民主的な日本」を守るというロジックを展開されています。しかし私に言わせれば、それこそ「奴隷の平和」の最たるものではないでしょうか。「自由と繁栄の弧」か何か知りませんが、そういう「下見て暮らせ傘の下」的思考とも紙一重の、小泉・安倍茶番政治の隠蔽でしかない欺瞞的な民主主義の説教を聞かされる度に、はっきり言って、マジでムカつきます。
ワーキングプアがいいように小突き回され搾取され、ネカフェ・マクド難民が巷に溢れ、グッドウィル折口や御手洗経団連や赤城・丸珠デタラメ香具師たちだけがほくそえんでいる国の、一体何処が「平和で民主的」なのでしょうか。「奴隷の平和」って、一体何処の国の、誰についての話ですか。北朝鮮強制収容所の?それとも日本の偽装請負現場の?弾丸こそ身近に飛び交わないものの、既に日本も充分「戦場」ではないでしょうか。こういう人にとっては、赤木智弘氏の叫びなども全然理解出来ないのでしょう。人に愛国心の説教を垂れる前に、きちんと食わせろ!生きさせろ!人を機械の部品扱いするな!
平和とは、つかの間の「奴隷の平和」などではなく、戦争や民族対立の背景となる差別・搾取・人権抑圧や、その現われである覇権主義・大国思想そのものが廃絶・止揚された状態を指す筈です。つまり、平和と人権・正義・自由・平等といった概念は決して対立するものではなく、そもそも両者は互いに不可分なものである筈です。そうであればこそ、米国がかつてアジアや中南米で行い今も中東その他で続行している「汚い戦争」にも、旧ソ連のチェコ・アフガニスタン侵略や、中国の天安門事件を初めとする人権抑圧や、大国のエゴによって泳がされてきた金正日・ポルポト・タリバン・ボカサ・アミンなどの蛮行も、ともにダブルスタンダードなく糾弾・告発されなくてはいけないし、北朝鮮のコッチェビ(難民孤児)も日本国内のネカフェ・マクド難民も、ともに救済されなければならない筈です。
川人博弁護士は、過労死問題にも拉致問題にも取り組んでおられます。そういう点では、藤原信勝や佐藤勝巳などの諸氏とは明らかに一線を画しています。また、川人氏が著書の中で引用された、在日コリアン・イラク人質バッシングを戒める横田滋・早紀江夫妻の発言にも、非常に気高いものを感じます。「平和か人権か、ではなくて、平和も人権も」「国際世論の力によって独裁者を追い詰める」その言や非常に好し。
しかし、そうであるならば尚更の事、「救う会」系人士による改憲・歴史修正主義・イラク戦争・自衛隊市民監視活動擁護などの言説や、その支援者たちが陰に陽に繰り返している個々の在日コリアン・イラク人質・その他社会的弱者に対するバッシングやバックラッシュ的言説に対しても、北朝鮮・拉致問題に対するのと同等に、「人権」的立場からの批判がされて然るべきではないでしょうか。然るに川人氏の論考には、政府御用に走り内紛に明け暮れる今の「救う会」運動の現状や、自衛隊市民監視活動を公然と擁護する荒木和博氏の論考に対しても、余りにも手放しに美化し過ぎているとしか思えない記述も散見されるのが、気になる点です。
これが「左派のダブルスタンダード」とは裏返しの「右派に対するダブルスタンダード」でなければ良いのですが。「別個に進んで共に撃つ」という事は、決して「馴れ合い」や「追従」と同じではない筈です。
参院選を前にして今や満身創痍の安倍政権ですが、ここに来て起死回生のウルトラCを画策しているとのウワサが、何やら世間を駆け巡っています。それが「7月20日前後に新たな拉致被害者が帰国する」という、俗に「7月20日のハプニング」と言われるウワサ話。何でも、この件で政府の秘書官が水面下で北朝鮮と折衝を繰り返している・・・のだと。
http://blog.livedoor.jp/trycomp/archives/50189782.html
斯く言う私も、つい最近この話を聞きつけたのですが、「ホントかいな?」というのが正直な感想です。「打ち出の小槌じゃあるまいし、生身の人間が、そう都合よく現われたりするか?」という感じで。若しそれが本当なら、ひょっとして、今年3月に平壌で目撃されたという、特定失踪者の矢倉富康さんか?
http://www.chosa-kai.jp/cyosakainews/kongetunews/news070709.TXT
確かにこの話、どこまで本当なのか全然定かでない話ですが、日朝の為政者サイドに立てば、確かに双方にとって「美味しい話」ではあります。北朝鮮の金正日政権にとっては、これで以って最終帰国者とし、拉致問題はこれで落着、あとは国交正常化あるのみ。安倍政権にとっても、参院選を前にしての格好の「渡りに船」となる訳で。
しかし、ここまで露骨に見え見えの「拉致問題の政治利用」をしてしまうと、却って逆効果になってしまうのでは。事実、今日職場で何人かの社員・バイトに、「拉致被害者帰国の話は知っているか?」「これで安倍政権の名誉挽回となるか?」と聞いた所、誰もそんな話は知らなかったし(そりゃそうでしょう、単なるウワサ話でしかないのだから)、押並べて「政治利用なのがもう見え見えじゃないか」という反応でした。その中には、従軍慰安婦問題や拉致問題で、今までも北朝鮮・中国に対して露骨な嫌悪感を示す人もいましたが、その人ですら「今度の選挙で、安倍が拉致問題を利用して、どんな姑息な手段を使ってくるか注目している」と言っていた位ですから(この反応は正直言って私の想定外でした)。
今回の「7.20ハプニング」話にしても、国会での強行採決の為には委員会付託まですっ飛ばしていきなり本会議に法案上程したり、平気で党利党略紛いの会期延長を行ったりする様な、もう「何でも在り」の政権の事ですから、この調子では「官邸主導の拉致自作自演」すらやりかねないのでは、という気すらしてきました。
私は反安倍の立場で、反金正日でも右翼排外主義的な北朝鮮バッシングには反対するものですが、北朝鮮・拉致問題の世論喚起の中で、安倍首相個人がこれまでに果たした役割も、確かにそれなりに在ったとは思っています。しかし、ここまで見え見えの政治利用に走るとなると、もう何を言っても「また拉致問題に逃げ込んでら」としか思えなくなります。同じ事を言っても、川人博弁護士や石丸次郎氏が言うのと安倍が言うのとでは、はっきり言ってもう月とスッポン。後者については、何を言っても今や説得力ゼロ。
安倍政権は、やらせタウンミーティングと教育基本法改悪からこの方、数々の悪政ごり押しと失言・失態を交互に繰り返す事で、政権支持率を劇的に低下させてきました。庶民には偉そうに愛国心や道徳教育の説教を垂れながら、当の自分たちのやっている事は一体何?てな状態で。下流搾取の上に胡坐をかいて、次から次へと失態さらけ出して。そんな中で出てきた今回のマッチポンプ劇。安倍政権にとっては、いつもの「困った時の北朝鮮頼み」の延長でしかないのでしょうが、こんな茶番劇みたいな事を繰り返していると、最後には北朝鮮・拉致問題そのものに誰も見向きもしなくなるのではないでしょうか。これでは、肝心の北朝鮮・拉致問題の解決にとっても決定的にマイナスにしかならないし、当の拉致被害者や脱北者にとってもこれほど不幸な事はないでしょう。
(関連記事)
・六カ国協議と迫る参院選挙 ”ガセねた”と”熱狂”に惑わされないために。(minow175の拉致問題と北朝鮮情勢のブログ)
http://blog.livedoor.jp/minow175/archives/51063471.html
・「7月20日に万景峰号で日本人拉致被害者が帰国」の報道について(真鍋貞樹の研究部屋)
http://nabesada.cocolog-nifty.com/meme/2007/07/post_2c70.html
・参院選直前に拉致被害者帰国?!─Ⅱ(もーちゃんの部屋)
削除される前のデイリーNKの当該元ネタ記事が転載・収録されている。
http://shalomochan.jugem.jp/?eid=902
・自民の参院選の秘策・北朝鮮拉致被害者の追加帰国(陰謀集)
http://maglog.jp/matrixer/index.php?module=Article&action=ReaderDetail&article_id=135201
(追記続行中)
下記リンク先は、本記事とは直接関係のない内容ですが、今の安倍政権の状況を端的に言い表したものだと思うので、敢えて紹介。
■「美しい国」馬鹿にされた気がする 自民候補が首相批判(朝日新聞)
地方は「明日の飯をどうやって食うかという追いつめられた状況」なのに、そんな所にのうのうと現われて「絵に描いた『美しい国、日本』で応援に来られて適当なことばかり言われたら、馬鹿にされたような気がする」―身内候補からもこんな批判が飛び出すようでは、もうお仕舞。その「バカにするな!」と言いたくなる気持ち、私も同じ気分だから非常によく分る。
http://www.asahi.com/politics/update/0716/TKY200707160449.html
■安倍晋三HP
やれ「どこそこの出版社を訴えた」だの「通告書を送りつけた」だの、仮にも一国の首相のHPトップにデカデカと載せる事かよ。武富士のHPじゃあるまいし。当人は「してやったり」と思っているのかも知れませんが、「何このオッサン、まるでヒトラーみたい」と受け取られるのが関の山だという事ぐらい、分らないのかしら(呆)。
http://newleader.s-abe.or.jp/
■与党議員には誰でも立候補出来る。
転入届出し忘れてました。法的には住所不定の身分です。選挙権が無く、選挙にも行っていません。しかし、「選挙は茶番だ」と言った外山恒一みたいに、確固たる信念があった訳ではありません。住民税も払ったかどうか、定かではありません。この6月からの大増税も、「おにぎり食べたい」餓死事件も、当人にとってはまるで別世界の話です。こんな、タイゾーと似たり寄ったりの当人ですが、バカボンから直々のご指名を戴いたので、「遊び半分・儲け半分」で「与党の真ん中から熱き想いを伝えたい」と立候補しました。投票日まで恥を晒し続けて、安倍政権・自民党の壊滅に貢献します。
・丸川氏、街頭演説で謝罪…住民税未納疑惑はシロ(スポーツ報知)
http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20070717-OHT1T00015.htm
・丸川珠代、「選挙権なし」、自沈。@住所不定は竹中平蔵譲りの自民党流住民税回避術?選挙にさえ行かない立候補者の国会議員化ってどうよ(ぬぬぬ?)
http://interceptor.blog13.fc2.com/blog-entry-1229.html
http://blog.livedoor.jp/trycomp/archives/50189782.html
斯く言う私も、つい最近この話を聞きつけたのですが、「ホントかいな?」というのが正直な感想です。「打ち出の小槌じゃあるまいし、生身の人間が、そう都合よく現われたりするか?」という感じで。若しそれが本当なら、ひょっとして、今年3月に平壌で目撃されたという、特定失踪者の矢倉富康さんか?
http://www.chosa-kai.jp/cyosakainews/kongetunews/news070709.TXT
確かにこの話、どこまで本当なのか全然定かでない話ですが、日朝の為政者サイドに立てば、確かに双方にとって「美味しい話」ではあります。北朝鮮の金正日政権にとっては、これで以って最終帰国者とし、拉致問題はこれで落着、あとは国交正常化あるのみ。安倍政権にとっても、参院選を前にしての格好の「渡りに船」となる訳で。
しかし、ここまで露骨に見え見えの「拉致問題の政治利用」をしてしまうと、却って逆効果になってしまうのでは。事実、今日職場で何人かの社員・バイトに、「拉致被害者帰国の話は知っているか?」「これで安倍政権の名誉挽回となるか?」と聞いた所、誰もそんな話は知らなかったし(そりゃそうでしょう、単なるウワサ話でしかないのだから)、押並べて「政治利用なのがもう見え見えじゃないか」という反応でした。その中には、従軍慰安婦問題や拉致問題で、今までも北朝鮮・中国に対して露骨な嫌悪感を示す人もいましたが、その人ですら「今度の選挙で、安倍が拉致問題を利用して、どんな姑息な手段を使ってくるか注目している」と言っていた位ですから(この反応は正直言って私の想定外でした)。
今回の「7.20ハプニング」話にしても、国会での強行採決の為には委員会付託まですっ飛ばしていきなり本会議に法案上程したり、平気で党利党略紛いの会期延長を行ったりする様な、もう「何でも在り」の政権の事ですから、この調子では「官邸主導の拉致自作自演」すらやりかねないのでは、という気すらしてきました。
私は反安倍の立場で、反金正日でも右翼排外主義的な北朝鮮バッシングには反対するものですが、北朝鮮・拉致問題の世論喚起の中で、安倍首相個人がこれまでに果たした役割も、確かにそれなりに在ったとは思っています。しかし、ここまで見え見えの政治利用に走るとなると、もう何を言っても「また拉致問題に逃げ込んでら」としか思えなくなります。同じ事を言っても、川人博弁護士や石丸次郎氏が言うのと安倍が言うのとでは、はっきり言ってもう月とスッポン。後者については、何を言っても今や説得力ゼロ。
安倍政権は、やらせタウンミーティングと教育基本法改悪からこの方、数々の悪政ごり押しと失言・失態を交互に繰り返す事で、政権支持率を劇的に低下させてきました。庶民には偉そうに愛国心や道徳教育の説教を垂れながら、当の自分たちのやっている事は一体何?てな状態で。下流搾取の上に胡坐をかいて、次から次へと失態さらけ出して。そんな中で出てきた今回のマッチポンプ劇。安倍政権にとっては、いつもの「困った時の北朝鮮頼み」の延長でしかないのでしょうが、こんな茶番劇みたいな事を繰り返していると、最後には北朝鮮・拉致問題そのものに誰も見向きもしなくなるのではないでしょうか。これでは、肝心の北朝鮮・拉致問題の解決にとっても決定的にマイナスにしかならないし、当の拉致被害者や脱北者にとってもこれほど不幸な事はないでしょう。
(関連記事)
・六カ国協議と迫る参院選挙 ”ガセねた”と”熱狂”に惑わされないために。(minow175の拉致問題と北朝鮮情勢のブログ)
http://blog.livedoor.jp/minow175/archives/51063471.html
・「7月20日に万景峰号で日本人拉致被害者が帰国」の報道について(真鍋貞樹の研究部屋)
http://nabesada.cocolog-nifty.com/meme/2007/07/post_2c70.html
・参院選直前に拉致被害者帰国?!─Ⅱ(もーちゃんの部屋)
削除される前のデイリーNKの当該元ネタ記事が転載・収録されている。
http://shalomochan.jugem.jp/?eid=902
・自民の参院選の秘策・北朝鮮拉致被害者の追加帰国(陰謀集)
http://maglog.jp/matrixer/index.php?module=Article&action=ReaderDetail&article_id=135201
(追記続行中)
下記リンク先は、本記事とは直接関係のない内容ですが、今の安倍政権の状況を端的に言い表したものだと思うので、敢えて紹介。
■「美しい国」馬鹿にされた気がする 自民候補が首相批判(朝日新聞)
地方は「明日の飯をどうやって食うかという追いつめられた状況」なのに、そんな所にのうのうと現われて「絵に描いた『美しい国、日本』で応援に来られて適当なことばかり言われたら、馬鹿にされたような気がする」―身内候補からもこんな批判が飛び出すようでは、もうお仕舞。その「バカにするな!」と言いたくなる気持ち、私も同じ気分だから非常によく分る。
http://www.asahi.com/politics/update/0716/TKY200707160449.html
■安倍晋三HP
やれ「どこそこの出版社を訴えた」だの「通告書を送りつけた」だの、仮にも一国の首相のHPトップにデカデカと載せる事かよ。武富士のHPじゃあるまいし。当人は「してやったり」と思っているのかも知れませんが、「何このオッサン、まるでヒトラーみたい」と受け取られるのが関の山だという事ぐらい、分らないのかしら(呆)。
http://newleader.s-abe.or.jp/
■与党議員には誰でも立候補出来る。
転入届出し忘れてました。法的には住所不定の身分です。選挙権が無く、選挙にも行っていません。しかし、「選挙は茶番だ」と言った外山恒一みたいに、確固たる信念があった訳ではありません。住民税も払ったかどうか、定かではありません。この6月からの大増税も、「おにぎり食べたい」餓死事件も、当人にとってはまるで別世界の話です。こんな、タイゾーと似たり寄ったりの当人ですが、バカボンから直々のご指名を戴いたので、「遊び半分・儲け半分」で「与党の真ん中から熱き想いを伝えたい」と立候補しました。投票日まで恥を晒し続けて、安倍政権・自民党の壊滅に貢献します。
・丸川氏、街頭演説で謝罪…住民税未納疑惑はシロ(スポーツ報知)
http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20070717-OHT1T00015.htm
・丸川珠代、「選挙権なし」、自沈。@住所不定は竹中平蔵譲りの自民党流住民税回避術?選挙にさえ行かない立候補者の国会議員化ってどうよ(ぬぬぬ?)
http://interceptor.blog13.fc2.com/blog-entry-1229.html
※「蛇の道はヘビ」=「同類の者は互いにその事情に通じている」という意味の諺。類似の諺として「餅は餅屋」「芸は道によって賢し」などがある。
・朝鮮総連本部の土地建物売却=元公安庁長官代表の会社に(時事通信)
http://www.jiji.com/jc/zc2?k=200706/2007061200250
・土屋元日弁連会長からも聴取=「大使館機能守るため」-総連本部土地建物売買で(同上)
http://www.jiji.com/jc/zc2?k=200706/2007061400284
・朝鮮総連 信託銀行の元行員、売買スキーム考案(産経新聞)
http://www.sankei.co.jp/shakai/jiken/070616/jkn070616007.htm
・公安調査庁と朝鮮総連の隠れたつながり(オーマイ・ニュース)
http://www.ohmynews.co.jp/news/20070619/12323
この朝鮮総連絡みの事件ですが、私ははっきり言って、当初はあまり関心がありませんでした。何故かと言うと、「北朝鮮の手先」呼ばわりさえすれば何でも通用するかの様な、昨今の安直な議論に対する反発があったからです。「ああ、またいつもの安倍の悪政隠しか」という感じで。
東京の朝鮮総連本部の土地・建物の名義が、元公安調査庁長官の緒方重威氏が代表取締役を務める東京都内の投資顧問会社のものになっていた。これは整理回収機構からの差押を逃れる為の強制執行妨害だ。そして総連側の窓口を務めたのが元日弁連会長の土屋公献氏だった。人権派の弁護士が総連の便宜を図り、公安調査庁も手玉に取られていた。すわ国家の一大事だ!―これが、この問題に関するブログの多数意見でしょう。
確かに朝鮮総連は北朝鮮本国や拉致事件との関連でダーティーな部分があり、それは究明されなければなりません。だからといって顧問弁護士を務めているから即「北朝鮮の手先」云々というのは、少し違うのではと思います。そんな事を言い出したら、暴対法絡みで暴力団山口組の顧問弁護士をしている遠藤誠さんや、和歌山毒物カレー事件で林真須美被告の弁護を勤めた小林つとむさんは、一体どうなるのでしょうか(両方とも左派系弁護士です)。暴対法が言論弾圧に使われる恐れがあったり、警察の見込み捜査やリークによる情報操作の恐れがあるから、それぞれ弁護を引き受けたのでしょう。これは山口組や林被告に対する善悪や好き嫌いの評価とは全く別問題です。それを相手が北朝鮮絡みだと、途端に「国家主権の侵害だ、北朝鮮のスパイだ、反日工作員だ」でそこで思考停止してしまうかの様な昨今の風潮に、少し違和感を感じていました。
私にとっては、この事件のイメージは、バブル崩壊前後に住専や末野興産がやった不始末や、利権の飛鳥会絡みの事件に相当するものだと思っています。とりわけ後者のイメージが特に強い。朝鮮総連も解放同盟も、ともにマイノリティーの解放運動として出発したのが、次第に途中で変質して、当初のものとは似て非なる利権まみれの団体になっていったものでしょう。解放運動の理念とは裏腹に、保守支配層ともダーティーな関係を結んで、持ちつ持たれつの間柄になっていった点もよく似ています。そこで真に問題にすべきなのは、こういうダーティーな部分を払拭して本来のマイノリティー解放団体として再生する為には、総連はどうあるべきなのか、という事である筈です。その存続や解体も含めて。
そういう意味では、寧ろ朝鮮総連と公安調査庁との関係にこそ、もっとスポットが当てられて然るべきではないでしょうか。それも、よく言われる「公安調査庁にも北朝鮮の魔手が及んでいた」とか「ハニートラップ」云々の話ではなく、「両者は元から持ちつ持たれつの関係だったのではないか」という事です。その点については、私も先述の違和感に拘泥する余り、ついつい見過ごしてしまっていました。
それで改めてこの問題について調べ始めた所ですが、正直に言って、現時点では「持ちつ持たれつの関係」をはっきりと示すものを見つけ出すまでには至っていません。ただ、識者の発言の中にも私と同じ様な問題意識からのものがある事には興味を覚えました。例えば岸井成格氏がTBSのニュース番組「サンデーモーニング」で行った次の発言などがそうです。
『監視する組織と監視される組織。「蛇の道はヘビ」みたいなところがある。冷戦が終って監視対象がなくなった。オウムと北朝鮮で公調の存在が大きくなった。総連がガタガタになると公調の存在感がなくなる。阿吽の呼吸か』
http://www.janjan.jp/media/0706/0706177450/1.php
今回の件での緒方・元公安調査庁長官の弁明にしても、「自身の満州引揚体験から、在日朝鮮人の窮状を見るに見かねて」なんて事を言っていましたが、とても額面通りに受け取れません。だってそうでしょう。公安調査庁(公調)と言えば、朝鮮総連も含めて、左右のあらゆる反体制団体や政府批判の動きを監視してきた部署ではないですか。1986年の緒方靖夫・共産党国際部長宅に対する盗聴スパイ事件の例もあります。公調の監視・弾圧対象も別に朝鮮総連や社共両党や新左翼系だけに限った話ではなく、現に脱北者救援NGOのメンバーも執拗に付回されたりしています。そういう組織が、こと今回の問題に限ってだけは「窮状を見るに見かねて」とか「情にほだされて」なんて話になる訳がありません。
国家権力がJR各社から放逐した革マル派を、JR東日本に限っては容認しているのは何故か。警察・マスコミが解放同盟による八鹿高校事件やかつての津田羽曳野市政に対する暴力的行政介入に見て見ぬ振りをしてきたのは何故か。また外国の例で言えば、米国ブッシュ政権が911テロ後の超厳戒態勢下で国内在住のビンラディン一族全員をこっそり出国させたのは何故か。それと同じ「生かさず殺さず」「持ちつ持たれつ」の構図が、安倍政権と北朝鮮当局との間にもあるのではないでしょうか。表向きの対立図式とは裏腹の、実際には保守反動権力ともツーツーの関係が。
余りのさばり返って飼い犬の手を噛む様な事になれば、アフガニスタンのタリバン政権やイラクのフセイン政権に対して行った様に潰しにかかるが、そこまで行かない限りは「困った時の北朝鮮頼み」宜しく、「安倍の失政・悪政隠し」の格好の煙幕として「生かさず殺さず」利用する、と。北朝鮮に金正日政権がある限り、安倍政権は都合が悪くなれば拉致問題を小出しにして延命を図る事が出来ます。但し小出しが過ぎて政府・与党にも火の粉がふりかかってきそうになれば、その時は宇出津事件や山本美保さん失踪事件や家族会バッシングの時の様に、もみ消しにかかる、と。
単にこの朝鮮総連絡みの事件を「ハニートラップ」云々のレベルでしか捉える事が出来ず、公安調査庁やゲシュタポ自衛隊の問題も「反日左翼から日本を守る」レベルでしか捉える事が出来ない人は、左翼が弾圧され宗教も弾圧された後で(戦時中の創価学会や大本教に対する弾圧を想起せよ)、自分たちにも火の粉が及んできた時に初めて気が付くのでしょうか。もうそのレベルまで至ったら、とうに手遅れなのですが。
・朝鮮総連本部の土地建物売却=元公安庁長官代表の会社に(時事通信)
http://www.jiji.com/jc/zc2?k=200706/2007061200250
・土屋元日弁連会長からも聴取=「大使館機能守るため」-総連本部土地建物売買で(同上)
http://www.jiji.com/jc/zc2?k=200706/2007061400284
・朝鮮総連 信託銀行の元行員、売買スキーム考案(産経新聞)
http://www.sankei.co.jp/shakai/jiken/070616/jkn070616007.htm
・公安調査庁と朝鮮総連の隠れたつながり(オーマイ・ニュース)
http://www.ohmynews.co.jp/news/20070619/12323
この朝鮮総連絡みの事件ですが、私ははっきり言って、当初はあまり関心がありませんでした。何故かと言うと、「北朝鮮の手先」呼ばわりさえすれば何でも通用するかの様な、昨今の安直な議論に対する反発があったからです。「ああ、またいつもの安倍の悪政隠しか」という感じで。
東京の朝鮮総連本部の土地・建物の名義が、元公安調査庁長官の緒方重威氏が代表取締役を務める東京都内の投資顧問会社のものになっていた。これは整理回収機構からの差押を逃れる為の強制執行妨害だ。そして総連側の窓口を務めたのが元日弁連会長の土屋公献氏だった。人権派の弁護士が総連の便宜を図り、公安調査庁も手玉に取られていた。すわ国家の一大事だ!―これが、この問題に関するブログの多数意見でしょう。
確かに朝鮮総連は北朝鮮本国や拉致事件との関連でダーティーな部分があり、それは究明されなければなりません。だからといって顧問弁護士を務めているから即「北朝鮮の手先」云々というのは、少し違うのではと思います。そんな事を言い出したら、暴対法絡みで暴力団山口組の顧問弁護士をしている遠藤誠さんや、和歌山毒物カレー事件で林真須美被告の弁護を勤めた小林つとむさんは、一体どうなるのでしょうか(両方とも左派系弁護士です)。暴対法が言論弾圧に使われる恐れがあったり、警察の見込み捜査やリークによる情報操作の恐れがあるから、それぞれ弁護を引き受けたのでしょう。これは山口組や林被告に対する善悪や好き嫌いの評価とは全く別問題です。それを相手が北朝鮮絡みだと、途端に「国家主権の侵害だ、北朝鮮のスパイだ、反日工作員だ」でそこで思考停止してしまうかの様な昨今の風潮に、少し違和感を感じていました。
私にとっては、この事件のイメージは、バブル崩壊前後に住専や末野興産がやった不始末や、利権の飛鳥会絡みの事件に相当するものだと思っています。とりわけ後者のイメージが特に強い。朝鮮総連も解放同盟も、ともにマイノリティーの解放運動として出発したのが、次第に途中で変質して、当初のものとは似て非なる利権まみれの団体になっていったものでしょう。解放運動の理念とは裏腹に、保守支配層ともダーティーな関係を結んで、持ちつ持たれつの間柄になっていった点もよく似ています。そこで真に問題にすべきなのは、こういうダーティーな部分を払拭して本来のマイノリティー解放団体として再生する為には、総連はどうあるべきなのか、という事である筈です。その存続や解体も含めて。
そういう意味では、寧ろ朝鮮総連と公安調査庁との関係にこそ、もっとスポットが当てられて然るべきではないでしょうか。それも、よく言われる「公安調査庁にも北朝鮮の魔手が及んでいた」とか「ハニートラップ」云々の話ではなく、「両者は元から持ちつ持たれつの関係だったのではないか」という事です。その点については、私も先述の違和感に拘泥する余り、ついつい見過ごしてしまっていました。
それで改めてこの問題について調べ始めた所ですが、正直に言って、現時点では「持ちつ持たれつの関係」をはっきりと示すものを見つけ出すまでには至っていません。ただ、識者の発言の中にも私と同じ様な問題意識からのものがある事には興味を覚えました。例えば岸井成格氏がTBSのニュース番組「サンデーモーニング」で行った次の発言などがそうです。
『監視する組織と監視される組織。「蛇の道はヘビ」みたいなところがある。冷戦が終って監視対象がなくなった。オウムと北朝鮮で公調の存在が大きくなった。総連がガタガタになると公調の存在感がなくなる。阿吽の呼吸か』
http://www.janjan.jp/media/0706/0706177450/1.php
今回の件での緒方・元公安調査庁長官の弁明にしても、「自身の満州引揚体験から、在日朝鮮人の窮状を見るに見かねて」なんて事を言っていましたが、とても額面通りに受け取れません。だってそうでしょう。公安調査庁(公調)と言えば、朝鮮総連も含めて、左右のあらゆる反体制団体や政府批判の動きを監視してきた部署ではないですか。1986年の緒方靖夫・共産党国際部長宅に対する盗聴スパイ事件の例もあります。公調の監視・弾圧対象も別に朝鮮総連や社共両党や新左翼系だけに限った話ではなく、現に脱北者救援NGOのメンバーも執拗に付回されたりしています。そういう組織が、こと今回の問題に限ってだけは「窮状を見るに見かねて」とか「情にほだされて」なんて話になる訳がありません。
国家権力がJR各社から放逐した革マル派を、JR東日本に限っては容認しているのは何故か。警察・マスコミが解放同盟による八鹿高校事件やかつての津田羽曳野市政に対する暴力的行政介入に見て見ぬ振りをしてきたのは何故か。また外国の例で言えば、米国ブッシュ政権が911テロ後の超厳戒態勢下で国内在住のビンラディン一族全員をこっそり出国させたのは何故か。それと同じ「生かさず殺さず」「持ちつ持たれつ」の構図が、安倍政権と北朝鮮当局との間にもあるのではないでしょうか。表向きの対立図式とは裏腹の、実際には保守反動権力ともツーツーの関係が。
余りのさばり返って飼い犬の手を噛む様な事になれば、アフガニスタンのタリバン政権やイラクのフセイン政権に対して行った様に潰しにかかるが、そこまで行かない限りは「困った時の北朝鮮頼み」宜しく、「安倍の失政・悪政隠し」の格好の煙幕として「生かさず殺さず」利用する、と。北朝鮮に金正日政権がある限り、安倍政権は都合が悪くなれば拉致問題を小出しにして延命を図る事が出来ます。但し小出しが過ぎて政府・与党にも火の粉がふりかかってきそうになれば、その時は宇出津事件や山本美保さん失踪事件や家族会バッシングの時の様に、もみ消しにかかる、と。
単にこの朝鮮総連絡みの事件を「ハニートラップ」云々のレベルでしか捉える事が出来ず、公安調査庁やゲシュタポ自衛隊の問題も「反日左翼から日本を守る」レベルでしか捉える事が出来ない人は、左翼が弾圧され宗教も弾圧された後で(戦時中の創価学会や大本教に対する弾圧を想起せよ)、自分たちにも火の粉が及んできた時に初めて気が付くのでしょうか。もうそのレベルまで至ったら、とうに手遅れなのですが。
昨日のNHK大阪ローカルのテレビ番組「関西クローズアップ」で、コリア国際学園(KIS)設立の話題を取り上げているのを見ました。このコリア国際学園というのは、在日コリアンが主体となって、来年4月に大阪府茨木市に開校を目指している、中高一貫の国際学園です。
番組では、姜尚中(カンサンジュン)や辛淑玉(シンスゴ)、梁石日(ヤンソギル)といった方たちが、こもごもこの国際学園に掛ける想いを語っておられました。それによると、この国際学園は、今までの朝鮮学校での民族主義偏重教育をも乗り越え、在日コリアンのみならず日系人やベトナム人などの在日外国人にも広く門戸を広げ、日本・韓国・北朝鮮などの既存国家の枠組みに囚われない国際アジア人の養成を目指したものである、という事でした。この中で特に姜尚中氏について言うと、実は私は、どちらかというと親北朝鮮系の人であるという感じを漠然と持っていましたが、この件を機に氏に対する認識も改めなければならないと思いました。
日本の植民地統治を経験した在日コリアンにとっては、民族教育は自分の祖国を取り戻す闘いでもあったのだが、今やそれが、北朝鮮・韓国などの祖国への依存・盲従体質や、互いの分断・対立を生み出す癌になっている。既に民族学校ではなく日本の中学・高校に進学する生徒も増えてきている。今後は、もうそういう今までの国家や民族の枠を乗り越えて、自分自身を相対化出来る国際感覚を養成しなければならない段階に来ている。今度設立される国際学園でも、日・韓・英3ヶ国語の習得を主体に(その中でもとりわけ英語を重視)、その他の日本の一般教科(現代社会・数学Iなど)の単位取得も目指すというカリキュラムが組まれる。―これが、この番組で取り上げられたコリア国際学園(KIS)の概要です。
しかし、実際にはまだまだ暗中模索の段階だそうです。カリキュラム編成一つとっても、朝鮮半島の言語名称を韓国語とするか朝鮮語とするかでスッタモンダした挙句に、「コリア語」という呼称にようやく落ち着きました。また朝鮮半島の近現代史の授業で、「朝鮮戦争の記述をどうするか」が議論になりました。この戦争は、韓国では韓国戦争、北朝鮮では祖国解放戦争と呼ばれ、それぞれ金正日と李承晩が戦争を仕掛けた事になっています。この部分については、戦争の原因そのものよりも戦争の悲劇に比重を置いた記述になる、という事です。
この話題も、ネットウヨク・嫌韓厨・ゲシュタポ厨の世界では、また例によって例の如く「反日養成の隠れ蓑」みたいな議論に終始している様ですが、私はこの試みに注目しています。キムジョンイルでもアベジョンイルでもない、靖国マンセーでも竹島・尖閣マンセーでもない、「外国人は出て行け」でも「3K労働は外国人に」でもない、真に平和・自由・平等で連帯の、もう一つのアジアと世界。こういう世界こそが、日本国憲法9条・25条が追求してきたものでもあるのです。
更に欲を言うならば、そういう世界を目指すならば、もう「コリア」に拘る必然性すらないのではないでしょうか。特別永住者の範囲も、在日コリアンのみならず、日本での永住を希望する全ての外国人に広げるべきではないでしょうか。脱北者にも日系人にもベトナム難民にも。
勿論、それが口で言うほど容易ではない事は私にも分っています。先だっても東京の方で、民族学校の脱「北朝鮮」化を巡って理事会と学校側が対立し、PTAまで巻き込んでの騒ぎに発展した事があったと聞き及んでいます。また、カリキュラムについての若干の疑問もあります。例えば英語重視という事ですが、英語はあくまでも国際理解のツールの一つにしか過ぎません。単にそれだけでは、エリート層の養成にはなっても真の国際理解には必ずしも結びつかないのでは、という懸念はあります。
しかし、いずれにしても、在日コリアンのみならず在住外国人全てに門戸を開き、真に平等と連帯のアジアを目指そうとする以上は、「ナショナリズムの相対化」は避けては通れない課題なのです。その為にも、日本の過去の清算、北朝鮮・中国の人権問題解決、アジアの非核・平和地帯化、靖国・コリア・中華の過剰なナショナリズムの同時並行的克服が、ともに求められていると思います。
(関連記事)
・「関西クローズアップ」6月15日放送「いままでにない国際学校を!~在日社会から生まれた挑戦~」(NHK大阪)
http://www.nhk.or.jp/osaka/program/closeup/
・コリア国際学園(KIS)公式サイト
http://www.kis-korea.org/
・KOREA国際学園の集い(鳳@bongのページ)
http://www.inbong.com/2007/kis/kis0527/
・日本に「コリア国際学園」を設立、来年4月開校(YONHAP NEWS)
http://japanese.yonhapnews.co.kr/relation/2007/05/04/0400000000AJP20070504001400882.HTML
・コリア国際学園(KIS)のチャレンジ(unlearners)
http://blogs.yahoo.co.jp/aasja_1/47239059.html
・「コリア国際学園」(KIS)の設立の番組@NHK総合「関西クローズアップ」(はにかみ草)
http://blog.goo.ne.jp/hanxiucao/e/d3c21afb2f6165961cd1b6cfab6c6f06
・映画「ディア・ピョンヤン」公式サイト
この映画は私も見ました。朝鮮総連の熱心な活動家だった在日コリアンの父が、実際は子煩悩な普通のオジサンで、父とは別の道を歩もうとする娘=梁英姫(ヤン・ヨンヒ)監督の人生も最後は黙って受け入れます。それを何気ない日常生活に織り交ぜて淡々と描いた作品です。今回の話題を考える上でも大いに参考になります。
http://www.film.cheon.jp/
番組では、姜尚中(カンサンジュン)や辛淑玉(シンスゴ)、梁石日(ヤンソギル)といった方たちが、こもごもこの国際学園に掛ける想いを語っておられました。それによると、この国際学園は、今までの朝鮮学校での民族主義偏重教育をも乗り越え、在日コリアンのみならず日系人やベトナム人などの在日外国人にも広く門戸を広げ、日本・韓国・北朝鮮などの既存国家の枠組みに囚われない国際アジア人の養成を目指したものである、という事でした。この中で特に姜尚中氏について言うと、実は私は、どちらかというと親北朝鮮系の人であるという感じを漠然と持っていましたが、この件を機に氏に対する認識も改めなければならないと思いました。
日本の植民地統治を経験した在日コリアンにとっては、民族教育は自分の祖国を取り戻す闘いでもあったのだが、今やそれが、北朝鮮・韓国などの祖国への依存・盲従体質や、互いの分断・対立を生み出す癌になっている。既に民族学校ではなく日本の中学・高校に進学する生徒も増えてきている。今後は、もうそういう今までの国家や民族の枠を乗り越えて、自分自身を相対化出来る国際感覚を養成しなければならない段階に来ている。今度設立される国際学園でも、日・韓・英3ヶ国語の習得を主体に(その中でもとりわけ英語を重視)、その他の日本の一般教科(現代社会・数学Iなど)の単位取得も目指すというカリキュラムが組まれる。―これが、この番組で取り上げられたコリア国際学園(KIS)の概要です。
しかし、実際にはまだまだ暗中模索の段階だそうです。カリキュラム編成一つとっても、朝鮮半島の言語名称を韓国語とするか朝鮮語とするかでスッタモンダした挙句に、「コリア語」という呼称にようやく落ち着きました。また朝鮮半島の近現代史の授業で、「朝鮮戦争の記述をどうするか」が議論になりました。この戦争は、韓国では韓国戦争、北朝鮮では祖国解放戦争と呼ばれ、それぞれ金正日と李承晩が戦争を仕掛けた事になっています。この部分については、戦争の原因そのものよりも戦争の悲劇に比重を置いた記述になる、という事です。
この話題も、ネットウヨク・嫌韓厨・ゲシュタポ厨の世界では、また例によって例の如く「反日養成の隠れ蓑」みたいな議論に終始している様ですが、私はこの試みに注目しています。キムジョンイルでもアベジョンイルでもない、靖国マンセーでも竹島・尖閣マンセーでもない、「外国人は出て行け」でも「3K労働は外国人に」でもない、真に平和・自由・平等で連帯の、もう一つのアジアと世界。こういう世界こそが、日本国憲法9条・25条が追求してきたものでもあるのです。
更に欲を言うならば、そういう世界を目指すならば、もう「コリア」に拘る必然性すらないのではないでしょうか。特別永住者の範囲も、在日コリアンのみならず、日本での永住を希望する全ての外国人に広げるべきではないでしょうか。脱北者にも日系人にもベトナム難民にも。
勿論、それが口で言うほど容易ではない事は私にも分っています。先だっても東京の方で、民族学校の脱「北朝鮮」化を巡って理事会と学校側が対立し、PTAまで巻き込んでの騒ぎに発展した事があったと聞き及んでいます。また、カリキュラムについての若干の疑問もあります。例えば英語重視という事ですが、英語はあくまでも国際理解のツールの一つにしか過ぎません。単にそれだけでは、エリート層の養成にはなっても真の国際理解には必ずしも結びつかないのでは、という懸念はあります。
しかし、いずれにしても、在日コリアンのみならず在住外国人全てに門戸を開き、真に平等と連帯のアジアを目指そうとする以上は、「ナショナリズムの相対化」は避けては通れない課題なのです。その為にも、日本の過去の清算、北朝鮮・中国の人権問題解決、アジアの非核・平和地帯化、靖国・コリア・中華の過剰なナショナリズムの同時並行的克服が、ともに求められていると思います。
(関連記事)
・「関西クローズアップ」6月15日放送「いままでにない国際学校を!~在日社会から生まれた挑戦~」(NHK大阪)
http://www.nhk.or.jp/osaka/program/closeup/
・コリア国際学園(KIS)公式サイト
http://www.kis-korea.org/
・KOREA国際学園の集い(鳳@bongのページ)
http://www.inbong.com/2007/kis/kis0527/
・日本に「コリア国際学園」を設立、来年4月開校(YONHAP NEWS)
http://japanese.yonhapnews.co.kr/relation/2007/05/04/0400000000AJP20070504001400882.HTML
・コリア国際学園(KIS)のチャレンジ(unlearners)
http://blogs.yahoo.co.jp/aasja_1/47239059.html
・「コリア国際学園」(KIS)の設立の番組@NHK総合「関西クローズアップ」(はにかみ草)
http://blog.goo.ne.jp/hanxiucao/e/d3c21afb2f6165961cd1b6cfab6c6f06
・映画「ディア・ピョンヤン」公式サイト
この映画は私も見ました。朝鮮総連の熱心な活動家だった在日コリアンの父が、実際は子煩悩な普通のオジサンで、父とは別の道を歩もうとする娘=梁英姫(ヤン・ヨンヒ)監督の人生も最後は黙って受け入れます。それを何気ない日常生活に織り交ぜて淡々と描いた作品です。今回の話題を考える上でも大いに参考になります。
http://www.film.cheon.jp/
※標題の件について、以下のメールを緊急転載します。
緊急声明
日本国総理大臣
安倍晋三 殿
日本政府は青森県に到着した脱北者を難民として保護し、
彼らの希望する国への定住を実現してください
昨夜、脱北者とみられる4人が、青森県に船で漂着したと報道されています。
彼等がどのような事情、経過により青森県に到着したかは分かりませんが、現在の
北朝鮮政府の抑圧体制から逃れてきた難民であることは、ほぼ間違いないと思われま
す。日本政府は、昨年7月成立した「拉致問題その他北朝鮮当局による人権侵害問題
への対処に関する法律案」(北朝鮮人権法)第6条第2項「政府は、脱北者の保護及
び支援に関し、施策を講ずるよう努めるものとする。」の精神に沿って、彼らを難民
として保護し、彼らの行動の経緯と事情、目的を詳しく調査すると共に、彼等が希望
する国に定住することができるよう、人道的な保護と支援を行っていただくよう、こ
こに強く要請いたします。
北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会 ホームページ
http://homepage1.nifty.com/northkorea/
代表 三浦小太郎
E-mail:miurakotarou@hotmail.com
2007年6月2日
(関連記事)
・脱北者か、青森で木造船の4人保護…「生活苦逃げてきた」(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070602it04.htm
・脱北者:青森の静かな漁港、騒然と 運動着姿に疲労の色(毎日新聞)
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/photojournal/archive/news/2007/06/02/20070603k0000m040049000c.html
緊急声明
日本国総理大臣
安倍晋三 殿
日本政府は青森県に到着した脱北者を難民として保護し、
彼らの希望する国への定住を実現してください
昨夜、脱北者とみられる4人が、青森県に船で漂着したと報道されています。
彼等がどのような事情、経過により青森県に到着したかは分かりませんが、現在の
北朝鮮政府の抑圧体制から逃れてきた難民であることは、ほぼ間違いないと思われま
す。日本政府は、昨年7月成立した「拉致問題その他北朝鮮当局による人権侵害問題
への対処に関する法律案」(北朝鮮人権法)第6条第2項「政府は、脱北者の保護及
び支援に関し、施策を講ずるよう努めるものとする。」の精神に沿って、彼らを難民
として保護し、彼らの行動の経緯と事情、目的を詳しく調査すると共に、彼等が希望
する国に定住することができるよう、人道的な保護と支援を行っていただくよう、こ
こに強く要請いたします。
北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会 ホームページ
http://homepage1.nifty.com/northkorea/
代表 三浦小太郎
E-mail:miurakotarou@hotmail.com
2007年6月2日
(関連記事)
・脱北者か、青森で木造船の4人保護…「生活苦逃げてきた」(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070602it04.htm
・脱北者:青森の静かな漁港、騒然と 運動着姿に疲労の色(毎日新聞)
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/photojournal/archive/news/2007/06/02/20070603k0000m040049000c.html
5月29日放送のNHK「クローズアップ現代」で、韓国の脱北者特集をやっていたのを見ました。
かつては年間数百人規模で韓国に流入していた北朝鮮の国外脱出難民(脱北者)が、21世紀に入ると毎年1000人を超えるようになり、現在では総人口4800万人の韓国で1万人を超える脱北者が暮らす様になっています。その結果、最初は同じ民族、同胞として歓迎していた韓国社会も、脱北者との間で様々な軋轢を抱えるようになり、これが今韓国で非常に大きな問題となっている様子が報道されていました。
韓国に来た脱北者が一様に抱えているのが、韓国社会での不適応の問題です。
脱北者は、韓国での入国審査の後、ハナ院という政府施設で2ヶ月間の適応訓練を受けます。そこで韓国の生活習慣を学び職業訓練を受けた後、政府から定着支援金(日本円換算で100万円余)を受給して、韓国社会で暮らしていく事になります。ところが、幾ら元々は同じ民族、同胞であっても、60年にも渡る南北分断の結果、言葉の言い回しや生活習慣が全く違ってしまっているので、韓国の資本主義社会に馴染めないまま、脱落していってしまうのです。
番組では先ず脱北者を受け入れている経営者の苦悩を伝えます。折角受け入れ態勢を整えて、立派な寮をあてがって当座の食糧まで支給したのにも関わらず、仕事もロクスッポ覚えようともせず、いとも簡単に退職してしまう。それで、他の従業員との関係も非常に気まずいものになってしまっている、という事なのです。
しかし、それを脱北者の側から見ると、また違った面も見えてきます。そのメーカー勤務の脱北者の新入社員は、ある機械の操作を教わった際に、「慣れないうちは、このリストを見ながら操作を覚えれば良い」と先輩社員から教わったのですが、リストという簡単な英単語の意味が判らなかったばかりに、操作の方法を誤って、その機械を止めてしまいました。そういう事が何度も続いたので、嫌気が差して退職してしまったのです。
勿論、脱北者自身の問題もあります。これは長年に渡って脱北者の取材を行ってきた石丸次郎氏も指摘している事ですが、真面目にコツコツと働くよりは人を出し抜いても楽をしたいとか、将来の事よりも目先の快楽に溺れてしまうとか、何でもかんでも人のする事を疑ってかかるとか、脱北者の中にはそういう性向が見られる人も少なくないのは、残念ながら事実です。これは、表と裏の乖離が甚だしい北朝鮮社会や、潜伏先の中国社会で暮らすうちに、自然に身についてしまった処世術でもあるのですが、その事が韓国社会で今度は自分に降りかかってきてしまっているのです。
それに加えて、韓国が長年置かれてきた環境も、この問題に影を落としています。冷戦時代を通して北朝鮮と鋭く対峙し、実際に北朝鮮からのスパイ侵入事件も何度も経験してきた韓国では、かつての軍事独裁政権による徹底した反共教育の影響もあって、脱北者を「北朝鮮のスパイ」「変な体制の国から来た得体の知れない人たち」と看做す空気も、非常に根強いのです。
そういう様々な要因が絡み合って、脱北者の定着・韓国民との融和が妨げられているのです。韓国在住脱北者の45%が無職で、職に就いている人たちも殆どが非正規の不安定雇用で、正職についているのは11%にしか過ぎないという有様です。詐欺の被害に遭って財産を身包み剥がれる脱北者も後を絶ちません。脱北そのものも、脱北後の定着支援金狙いのブローカーによって担われている実態や、韓国マスコミによる視聴率稼ぎの「企画脱北」も当てにせざるを得ない側面があります。だから「脱北は胡散臭い」と言う事ではなく、そんなモノですら藁をもすがる想いで当てにせざるを得ないという、貧困な現状こそが問題なのです。
韓国政府も、年々膨れ上がる脱北者支援予算に頭を抱え、近年は定着支援金を減額して就職奨励金に徐々に切り替えていっています。その辺の事情は生活保護行政の縮減に走っている今の日本と同じですが、前述に挙げた様な就職の障害が除去されない限り、それでは脱北者を徒に追い詰める事にしかなりません。番組では最後に、町内会活動を通して脱北者と市民が触れ合う中で、お互いの間にある不信感やわだかまりを一つ一つ取り除いていく、地道な取組みが紹介されていました。支援額の大小や使い道云々よりも、そういう困難で地道ではあるが確実な取組みが、今正に求められているのではないでしょうか。
これはひとり韓国だけの問題ではなく、日本の問題でもあります。現に日本にも数百人単位の脱北者が生活しており、その数は今後も増えこそすれ減る事は無いのですから。「脱北者支援」と口で言うのは簡単ですが、実際はなかなか一筋縄ではいかない困難な仕事である事を、今更ながら改めて思い知らされました。
昨今、北朝鮮問題とか拉致問題といえば、「将軍様」や「喜び組」が云々の興味本位の番組か、視聴率稼ぎのお涙頂戴番組か、政権ヨイショが見え見えの命令やらせ放送ばかりで、聊か食傷気味だったのですが、こういう良質な番組こそ、もっと放送されて然るべきではないでしょうか。
(関連記事)
・脱北者1万人時代~苦悩する韓国社会~(NHK・クローズアップ現代、5月29日放送)
http://www.nhk.or.jp/gendai/
・韓国の脱北者、1万人を突破(NNA)
http://nna.asia.ne.jp/free/mujin/focus/focus328.html
・「北から来た少女~韓国・脱北者の2年」
京都精華大学のドキュメンタリー制作ワークショップ特別企画で取り上げられたアジア・プレスの作品紹介。
http://www.kyoto-seika.ac.jp/t_news/lecture/0003/d.html
・わが国における北朝鮮帰国者支援のあり方について-韓国の脱北者支援プログラムを参考に-(宮田敦司)
http://atlantic2.gssc.nihon-u.ac.jp/kiyou/pdf04/6-63-2003-Miyata.pdf
かつては年間数百人規模で韓国に流入していた北朝鮮の国外脱出難民(脱北者)が、21世紀に入ると毎年1000人を超えるようになり、現在では総人口4800万人の韓国で1万人を超える脱北者が暮らす様になっています。その結果、最初は同じ民族、同胞として歓迎していた韓国社会も、脱北者との間で様々な軋轢を抱えるようになり、これが今韓国で非常に大きな問題となっている様子が報道されていました。
韓国に来た脱北者が一様に抱えているのが、韓国社会での不適応の問題です。
脱北者は、韓国での入国審査の後、ハナ院という政府施設で2ヶ月間の適応訓練を受けます。そこで韓国の生活習慣を学び職業訓練を受けた後、政府から定着支援金(日本円換算で100万円余)を受給して、韓国社会で暮らしていく事になります。ところが、幾ら元々は同じ民族、同胞であっても、60年にも渡る南北分断の結果、言葉の言い回しや生活習慣が全く違ってしまっているので、韓国の資本主義社会に馴染めないまま、脱落していってしまうのです。
番組では先ず脱北者を受け入れている経営者の苦悩を伝えます。折角受け入れ態勢を整えて、立派な寮をあてがって当座の食糧まで支給したのにも関わらず、仕事もロクスッポ覚えようともせず、いとも簡単に退職してしまう。それで、他の従業員との関係も非常に気まずいものになってしまっている、という事なのです。
しかし、それを脱北者の側から見ると、また違った面も見えてきます。そのメーカー勤務の脱北者の新入社員は、ある機械の操作を教わった際に、「慣れないうちは、このリストを見ながら操作を覚えれば良い」と先輩社員から教わったのですが、リストという簡単な英単語の意味が判らなかったばかりに、操作の方法を誤って、その機械を止めてしまいました。そういう事が何度も続いたので、嫌気が差して退職してしまったのです。
勿論、脱北者自身の問題もあります。これは長年に渡って脱北者の取材を行ってきた石丸次郎氏も指摘している事ですが、真面目にコツコツと働くよりは人を出し抜いても楽をしたいとか、将来の事よりも目先の快楽に溺れてしまうとか、何でもかんでも人のする事を疑ってかかるとか、脱北者の中にはそういう性向が見られる人も少なくないのは、残念ながら事実です。これは、表と裏の乖離が甚だしい北朝鮮社会や、潜伏先の中国社会で暮らすうちに、自然に身についてしまった処世術でもあるのですが、その事が韓国社会で今度は自分に降りかかってきてしまっているのです。
それに加えて、韓国が長年置かれてきた環境も、この問題に影を落としています。冷戦時代を通して北朝鮮と鋭く対峙し、実際に北朝鮮からのスパイ侵入事件も何度も経験してきた韓国では、かつての軍事独裁政権による徹底した反共教育の影響もあって、脱北者を「北朝鮮のスパイ」「変な体制の国から来た得体の知れない人たち」と看做す空気も、非常に根強いのです。
そういう様々な要因が絡み合って、脱北者の定着・韓国民との融和が妨げられているのです。韓国在住脱北者の45%が無職で、職に就いている人たちも殆どが非正規の不安定雇用で、正職についているのは11%にしか過ぎないという有様です。詐欺の被害に遭って財産を身包み剥がれる脱北者も後を絶ちません。脱北そのものも、脱北後の定着支援金狙いのブローカーによって担われている実態や、韓国マスコミによる視聴率稼ぎの「企画脱北」も当てにせざるを得ない側面があります。だから「脱北は胡散臭い」と言う事ではなく、そんなモノですら藁をもすがる想いで当てにせざるを得ないという、貧困な現状こそが問題なのです。
韓国政府も、年々膨れ上がる脱北者支援予算に頭を抱え、近年は定着支援金を減額して就職奨励金に徐々に切り替えていっています。その辺の事情は生活保護行政の縮減に走っている今の日本と同じですが、前述に挙げた様な就職の障害が除去されない限り、それでは脱北者を徒に追い詰める事にしかなりません。番組では最後に、町内会活動を通して脱北者と市民が触れ合う中で、お互いの間にある不信感やわだかまりを一つ一つ取り除いていく、地道な取組みが紹介されていました。支援額の大小や使い道云々よりも、そういう困難で地道ではあるが確実な取組みが、今正に求められているのではないでしょうか。
これはひとり韓国だけの問題ではなく、日本の問題でもあります。現に日本にも数百人単位の脱北者が生活しており、その数は今後も増えこそすれ減る事は無いのですから。「脱北者支援」と口で言うのは簡単ですが、実際はなかなか一筋縄ではいかない困難な仕事である事を、今更ながら改めて思い知らされました。
昨今、北朝鮮問題とか拉致問題といえば、「将軍様」や「喜び組」が云々の興味本位の番組か、視聴率稼ぎのお涙頂戴番組か、政権ヨイショが見え見えの命令やらせ放送ばかりで、聊か食傷気味だったのですが、こういう良質な番組こそ、もっと放送されて然るべきではないでしょうか。
(関連記事)
・脱北者1万人時代~苦悩する韓国社会~(NHK・クローズアップ現代、5月29日放送)
http://www.nhk.or.jp/gendai/
・韓国の脱北者、1万人を突破(NNA)
http://nna.asia.ne.jp/free/mujin/focus/focus328.html
・「北から来た少女~韓国・脱北者の2年」
京都精華大学のドキュメンタリー制作ワークショップ特別企画で取り上げられたアジア・プレスの作品紹介。
http://www.kyoto-seika.ac.jp/t_news/lecture/0003/d.html
・わが国における北朝鮮帰国者支援のあり方について-韓国の脱北者支援プログラムを参考に-(宮田敦司)
http://atlantic2.gssc.nihon-u.ac.jp/kiyou/pdf04/6-63-2003-Miyata.pdf