・NHK:拉致放送重点化問題 NHKラジオ国際放送への命令(毎日新聞)
>「内閣の重要課題である拉致問題を重点的に取り上げるよう命令を出したい」。菅義偉総務相が検討を表明したNHKの短波ラジオ国際放送への命令放送問題。総務省が従来の方針を転換して、国策に関する具体的な放送事項を命令しようとすることに対し、識者らからは「放送の自由への介入だ」と懸念の声が上がる。総務大臣経験者でもある自民党の片山虎之助参院幹事長も「しない方がいい」と異を唱える。<
http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/gyousei/news/20061023ddm012040159000c.html
上記の「拉致命令放送」問題ですが、問題はなかなか複雑で、私も正直言って、その是非については今も判断しかねています。
まず、「命令放送」という概念自体がよく分らない。放送法第33条によると、NHKは建前上は国から独立した非営利法人(日本放送協会)で、国民からの受信料収入によって運営されているのですが、こと国際短波放送の一部については国費で賄われており、その資金枠の範囲内で国が「これこれの放送をせよ」と命じる事が出来るのだそうです。しかし放送の自由との兼ね合いもあるので、今までは放送の具体的内容にまで踏み込んだ命令は出されなかった、という事です。今年度の放送命令も、抽象的に「時事、国の重要政策、国際問題に関する国の見解」の3項目を挙げるに止まっています。
http://www.houko.com/00/01/S25/132.HTM#s2
http://www.soumu.go.jp/s-news/2006/060315_9.html
そんな国際短波放送など聞く事は殆ど無いので、「命令放送」のイメージがイマイチよくわからないのですが、TVでよくやる政府広報や公共CMみたいなものなのでしょうか。「タバコのポイ捨てはダメよ」とか「子供が悪いことしていたらちゃんと注意しましょう」とかいう、公共広告機構のCMみたいな。或いは、以前よく放送していた「北方領土は日本の領土」みたいな。それとも、NHKテレビのハングル講座で紹介されていた、「足の折れた椅子をみんなの手で修理して再び蘇らせるように、国民の団結でIMF危機を乗り切っていこう」という内容の、韓国の公共CMみたいなものか。
公共広告機構のCM程度の内容なら別に目くじら立てる程の事もないかもしれませんが、それ以上の「北方領土」レベルともなると、政府の主張する「四島返還」以外にも「全千島返還」を求める立場などもある中で、政府の考え方のみを国費で一方的に垂れ流す事については、如何なものかと思います。少し考えてしまいますね。
それで、「拉致問題を重点的に取り上げるようNHKに命令しろ」という「救う会」などの主張ですが、心情的には分らない事も無いです。『特定失踪者調査会が北朝鮮向けに流している「しおかぜ」という失踪者の安否を問う短波放送に対して、北朝鮮が妨害電波で邪魔している。資金的にも一民間団体だけで担うには荷が重い。ついては、命令放送の形でNHKにも協力して貰えないだろうか。』―こういう事でしょう。「家族会」や「救う会」一般会員の、「藁をもすがるつもりで、利用できるものは何でも利用したい」という気持ちも、それはそれでよく分ります。
http://www.sukuukai.jp/houkoku/log/200610/20061015.htm
それで、兼ねてから国際放送を通して国際社会に対する発言力強化を考えてきた日本政府の思惑に乗っかる形で、「拉致命令放送」が俄かに脚光を浴びるようになったというのが、この間の経過です。それに対して、『これは国家権力による政治的介入に道を開くものであり、放送の自由の侵害に繋がる』―というのが、主な反対理由です。こちらもよく分ります。実際、バウネット・ジャパンのNHK従軍慰安婦番組介入事件もありましたから。
http://www6.big.or.jp/~beyond/akutoku/news/2006/1024-9.html
根本的には、放送法第1条で「不偏不党・権力からの独立」を謳っている公共放送としてのNHKの在り方と命令放送の規定との間に矛盾があり、その整合性がつかない限り、最終的な結論は出せないです。法律論として、現行の政府広報や「北方領土」、韓国の公共CMレベルまで許容されるというのであれば、あくまでも放送法第33条の枠内限定で(この大前提は譲れない)、拉致命令放送を行うのも、心情的にはやむを得ないかな、と思ったりもするのです。ただ私個人としては、「北方領土」放送や韓国の公共CMレベルまで認めてしまうのは、公共放送の建前から言えばオカシイとは思いますが。それなら一層の事、NHKとは別建てで純国営放送を流した方が、余程スッキリする。一番悪いのは、片山・参院幹事長の様に「実質は命令以外の何物でもないにも関わらず、恰もNHKが自主的にやっているかの様に装う」偽装工作です。放送法第33条自体の見直し・改廃も含めた議論抜きに、この問題を議論する事は出来ません。
ただ、「救う会」側の心情も理解できると先に書きましたが、その一方で、増元照明・家族会事務局長の「理屈を言うな、四の五の言わずに賛成しろ」と言わんばかりのコメント(本欄冒頭の毎日新聞記事参照)や、拉致命令放送に疑問を呈する声に対する「拉致被害者の事をどう考えているのか、他人事のように考えやがって」と謂わんばかりの掲示板投稿には、正直言って反発を感じます。この論理は、私から言わせると典型的なダブルスタンダード(二重基準)です。
一つ典型的な例を挙げます。拉致板常連、拉致問題支援者のうちの多くの人々が、人権擁護法案には反対しているでしょう。曰く「解同(解放同盟)や朝鮮総連などが国家権力と癒着して、差別解消の美名に隠れて、差別利権の温存を図ったり自分にとって都合の悪い言論を弾圧したりする懸念がある」と。
確かに差別は良くない。ヘイトスピーチにも何らかの規制は必要です。しかし、何を以って差別でありヘイトスピーチであるかを認定するのは、あくまで世論の啓発によるべきであって、国家権力やその威を借りた特定団体によって一方的に決められるべきものではない筈です。これでは、大阪市の不正を追求しただけで差別糾弾されかねません。だから、私も人権擁護法案には反対です。しかし、その運動を主導しているのが、地域人権連(旧・全解連)や共産党や解同全国連などを除けば、後は2chネットウヨクや勝共カルトみたいな奴らが大多数なので、私は「人権擁護法案」反対運動を積極的に支持する気には到底なれないのですが。
それで、人権擁護法案に反対する時だけ「差別解消の美名の裏に隠された言論弾圧を許すな」とか言っている癖に、いざ自分たちが解同と同じ立場に立たされた途端に「放送・言論の自由の問題など二の次だ、拉致被害者の救出に反対するのか」と一方的に恫喝するかのような、まるで「救う会」の政治路線に反対する(若しくは積極的に賛同しない)者は全て北朝鮮の手先だみたいな物言いこそ、正しく「ラ帝」そのものではないでしょうか。誰も逆らえない大義名分を名目に特定団体の方針を国家権力の力で広めるという点では、解同と同じであるにも関わらず。
まさか、映画「ホテル・ルワンダ」に出てくる部族対立扇動ラジオ放送局みたいに、公共放送を乗っ取ってヘイトスピーチを垂れ流す事でも夢想しているんじゃあないでしょうねw(ネットを見ていると、それが必ずしも荒唐無稽な絵空事とも思えない)。2ch(大阪ではNHK総合テレビは2ch)の「2ちゃんねる」化なんて、それこそ冗談じゃない。
それと同時に、こういう国家権力の力に依拠した「国家頼み」の手法は、大衆運動にとっても一歩間違えれば自滅行為に繋がる、謂わば「諸刃の剣」であるという事も、この際に強調しておきたいと思います。
どうも「救う会」系の人たちと言うのは、元々国家主義的な思考に馴染んできた人が多い所為もあるのでしょうが、国家を必要以上に美化して、何かといえば直ぐ権力で規制して問題を解決しようとしたがるように見えてなりません。従軍慰安婦番組問題然り、大学入試センター試験問題然り。しかし、大衆運動というのはあくまでも世論に訴え喚起するのが筋であって、徒に国家の強制力で個人の意識を変えようとするのは、運動にとっても「禁じ手」である筈です。
勿論、生活権擁護を求める行政闘争は必要です。しかし、それはあくまで、大企業の横暴を規制するとか社会保障の拡充を求めるといった経済的・社会的規制を求める場合に有効な手段であって、こと政治的自由に関する事柄については、たとえそれが差別解消などの大義名分に基づくものであっても、慎重であるべきです。要求すべきはあくまでも自由の拡大であって、規制ではありません。
国家権力を利用して勢力を広めようとした運動団体が、保守権力と癒着して腐敗し散々利用されアメをしゃぶらされた挙句に、用済みになれば掌を返したように切り捨てられるのは、左で言えば広島県教委と解同の例の如く(JRと革マルの蜜月も同じ運命を辿りつつある)、右で言えば西村真悟や郵政造反組の切り捨ての如くです。家族会バッシングを裏で操っていたのも国家権力(官邸筋)でしょう。
「救う会」が短波放送「しおかぜ」の拡充を望むというのであれば、それはそれで、徒に国家の力を当てにするのではなく(それは国家による介入を招く事にも繋がる)、韓国の自由北朝鮮放送と共同で事業をやるなりして、あくまで大衆運動強化路線でいく方が、「救う会」自身にとってもよりマシな選択であると、私は思うのですが。
>「内閣の重要課題である拉致問題を重点的に取り上げるよう命令を出したい」。菅義偉総務相が検討を表明したNHKの短波ラジオ国際放送への命令放送問題。総務省が従来の方針を転換して、国策に関する具体的な放送事項を命令しようとすることに対し、識者らからは「放送の自由への介入だ」と懸念の声が上がる。総務大臣経験者でもある自民党の片山虎之助参院幹事長も「しない方がいい」と異を唱える。<
http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/gyousei/news/20061023ddm012040159000c.html
上記の「拉致命令放送」問題ですが、問題はなかなか複雑で、私も正直言って、その是非については今も判断しかねています。
まず、「命令放送」という概念自体がよく分らない。放送法第33条によると、NHKは建前上は国から独立した非営利法人(日本放送協会)で、国民からの受信料収入によって運営されているのですが、こと国際短波放送の一部については国費で賄われており、その資金枠の範囲内で国が「これこれの放送をせよ」と命じる事が出来るのだそうです。しかし放送の自由との兼ね合いもあるので、今までは放送の具体的内容にまで踏み込んだ命令は出されなかった、という事です。今年度の放送命令も、抽象的に「時事、国の重要政策、国際問題に関する国の見解」の3項目を挙げるに止まっています。
http://www.houko.com/00/01/S25/132.HTM#s2
http://www.soumu.go.jp/s-news/2006/060315_9.html
そんな国際短波放送など聞く事は殆ど無いので、「命令放送」のイメージがイマイチよくわからないのですが、TVでよくやる政府広報や公共CMみたいなものなのでしょうか。「タバコのポイ捨てはダメよ」とか「子供が悪いことしていたらちゃんと注意しましょう」とかいう、公共広告機構のCMみたいな。或いは、以前よく放送していた「北方領土は日本の領土」みたいな。それとも、NHKテレビのハングル講座で紹介されていた、「足の折れた椅子をみんなの手で修理して再び蘇らせるように、国民の団結でIMF危機を乗り切っていこう」という内容の、韓国の公共CMみたいなものか。
公共広告機構のCM程度の内容なら別に目くじら立てる程の事もないかもしれませんが、それ以上の「北方領土」レベルともなると、政府の主張する「四島返還」以外にも「全千島返還」を求める立場などもある中で、政府の考え方のみを国費で一方的に垂れ流す事については、如何なものかと思います。少し考えてしまいますね。
それで、「拉致問題を重点的に取り上げるようNHKに命令しろ」という「救う会」などの主張ですが、心情的には分らない事も無いです。『特定失踪者調査会が北朝鮮向けに流している「しおかぜ」という失踪者の安否を問う短波放送に対して、北朝鮮が妨害電波で邪魔している。資金的にも一民間団体だけで担うには荷が重い。ついては、命令放送の形でNHKにも協力して貰えないだろうか。』―こういう事でしょう。「家族会」や「救う会」一般会員の、「藁をもすがるつもりで、利用できるものは何でも利用したい」という気持ちも、それはそれでよく分ります。
http://www.sukuukai.jp/houkoku/log/200610/20061015.htm
それで、兼ねてから国際放送を通して国際社会に対する発言力強化を考えてきた日本政府の思惑に乗っかる形で、「拉致命令放送」が俄かに脚光を浴びるようになったというのが、この間の経過です。それに対して、『これは国家権力による政治的介入に道を開くものであり、放送の自由の侵害に繋がる』―というのが、主な反対理由です。こちらもよく分ります。実際、バウネット・ジャパンのNHK従軍慰安婦番組介入事件もありましたから。
http://www6.big.or.jp/~beyond/akutoku/news/2006/1024-9.html
根本的には、放送法第1条で「不偏不党・権力からの独立」を謳っている公共放送としてのNHKの在り方と命令放送の規定との間に矛盾があり、その整合性がつかない限り、最終的な結論は出せないです。法律論として、現行の政府広報や「北方領土」、韓国の公共CMレベルまで許容されるというのであれば、あくまでも放送法第33条の枠内限定で(この大前提は譲れない)、拉致命令放送を行うのも、心情的にはやむを得ないかな、と思ったりもするのです。ただ私個人としては、「北方領土」放送や韓国の公共CMレベルまで認めてしまうのは、公共放送の建前から言えばオカシイとは思いますが。それなら一層の事、NHKとは別建てで純国営放送を流した方が、余程スッキリする。一番悪いのは、片山・参院幹事長の様に「実質は命令以外の何物でもないにも関わらず、恰もNHKが自主的にやっているかの様に装う」偽装工作です。放送法第33条自体の見直し・改廃も含めた議論抜きに、この問題を議論する事は出来ません。
ただ、「救う会」側の心情も理解できると先に書きましたが、その一方で、増元照明・家族会事務局長の「理屈を言うな、四の五の言わずに賛成しろ」と言わんばかりのコメント(本欄冒頭の毎日新聞記事参照)や、拉致命令放送に疑問を呈する声に対する「拉致被害者の事をどう考えているのか、他人事のように考えやがって」と謂わんばかりの掲示板投稿には、正直言って反発を感じます。この論理は、私から言わせると典型的なダブルスタンダード(二重基準)です。
一つ典型的な例を挙げます。拉致板常連、拉致問題支援者のうちの多くの人々が、人権擁護法案には反対しているでしょう。曰く「解同(解放同盟)や朝鮮総連などが国家権力と癒着して、差別解消の美名に隠れて、差別利権の温存を図ったり自分にとって都合の悪い言論を弾圧したりする懸念がある」と。
確かに差別は良くない。ヘイトスピーチにも何らかの規制は必要です。しかし、何を以って差別でありヘイトスピーチであるかを認定するのは、あくまで世論の啓発によるべきであって、国家権力やその威を借りた特定団体によって一方的に決められるべきものではない筈です。これでは、大阪市の不正を追求しただけで差別糾弾されかねません。だから、私も人権擁護法案には反対です。しかし、その運動を主導しているのが、地域人権連(旧・全解連)や共産党や解同全国連などを除けば、後は2chネットウヨクや勝共カルトみたいな奴らが大多数なので、私は「人権擁護法案」反対運動を積極的に支持する気には到底なれないのですが。
それで、人権擁護法案に反対する時だけ「差別解消の美名の裏に隠された言論弾圧を許すな」とか言っている癖に、いざ自分たちが解同と同じ立場に立たされた途端に「放送・言論の自由の問題など二の次だ、拉致被害者の救出に反対するのか」と一方的に恫喝するかのような、まるで「救う会」の政治路線に反対する(若しくは積極的に賛同しない)者は全て北朝鮮の手先だみたいな物言いこそ、正しく「ラ帝」そのものではないでしょうか。誰も逆らえない大義名分を名目に特定団体の方針を国家権力の力で広めるという点では、解同と同じであるにも関わらず。
まさか、映画「ホテル・ルワンダ」に出てくる部族対立扇動ラジオ放送局みたいに、公共放送を乗っ取ってヘイトスピーチを垂れ流す事でも夢想しているんじゃあないでしょうねw(ネットを見ていると、それが必ずしも荒唐無稽な絵空事とも思えない)。2ch(大阪ではNHK総合テレビは2ch)の「2ちゃんねる」化なんて、それこそ冗談じゃない。
それと同時に、こういう国家権力の力に依拠した「国家頼み」の手法は、大衆運動にとっても一歩間違えれば自滅行為に繋がる、謂わば「諸刃の剣」であるという事も、この際に強調しておきたいと思います。
どうも「救う会」系の人たちと言うのは、元々国家主義的な思考に馴染んできた人が多い所為もあるのでしょうが、国家を必要以上に美化して、何かといえば直ぐ権力で規制して問題を解決しようとしたがるように見えてなりません。従軍慰安婦番組問題然り、大学入試センター試験問題然り。しかし、大衆運動というのはあくまでも世論に訴え喚起するのが筋であって、徒に国家の強制力で個人の意識を変えようとするのは、運動にとっても「禁じ手」である筈です。
勿論、生活権擁護を求める行政闘争は必要です。しかし、それはあくまで、大企業の横暴を規制するとか社会保障の拡充を求めるといった経済的・社会的規制を求める場合に有効な手段であって、こと政治的自由に関する事柄については、たとえそれが差別解消などの大義名分に基づくものであっても、慎重であるべきです。要求すべきはあくまでも自由の拡大であって、規制ではありません。
国家権力を利用して勢力を広めようとした運動団体が、保守権力と癒着して腐敗し散々利用されアメをしゃぶらされた挙句に、用済みになれば掌を返したように切り捨てられるのは、左で言えば広島県教委と解同の例の如く(JRと革マルの蜜月も同じ運命を辿りつつある)、右で言えば西村真悟や郵政造反組の切り捨ての如くです。家族会バッシングを裏で操っていたのも国家権力(官邸筋)でしょう。
「救う会」が短波放送「しおかぜ」の拡充を望むというのであれば、それはそれで、徒に国家の力を当てにするのではなく(それは国家による介入を招く事にも繋がる)、韓国の自由北朝鮮放送と共同で事業をやるなりして、あくまで大衆運動強化路線でいく方が、「救う会」自身にとってもよりマシな選択であると、私は思うのですが。