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カジノ亡国論

2015年01月07日 06時08分56秒 | 一人も自殺者の出ない世の中を
マッド・マネー―世紀末のカジノ資本主義
クリエーター情報なし
岩波書店


 今年の1月2日も家族・親戚一同集まって近くのホテルでささやかながら新年会を行いました。親戚一同と言っても、母はもう亡くなっていませんから、親父と私の他に、それぞれ独立した妹夫婦、兄夫婦の合計6人だけで、ホテルのレストランで1時間余り歓談しながら昼食を食べるだけの、ほんのささやかな宴会です。参加者全員の費用も全て親父持ちです。親父にしてみれば、母亡き今となっては、こうして家族全員の顔を見ながら食事できるのが何よりの楽しみなのでしょう。もう数年も前から忘新年会やお盆の季節には、まるで我が家の年中行事の様に、こうやって集まって食事をしてきました。但し、年末繁忙期の忘年会についてだけは、私は仕事柄どうしても参加出来ないので、私抜きでやって来ましたが。

 そういう、本来なら和気あいあいとした新年会になる筈ですが、私はずっと余り気乗りがしませんでした。何故なら、そこでも兄貴がいつも政治の話題を持ち出し、親父と二人で小泉純一郎や安倍晋三、橋下徹ヨイショの話に興じるからです。
 いずれも私が大嫌いな政治家ばかりなので、適当に相槌を打って余り波風立てないようにしているのですが、それでも余りに度が過ぎると、私もついつい「小泉改革で逆に格差が広がっただけじゃないか」とか、「アベノミクスで潤っているのも大企業だけじゃないか」程度の事は、ボソッと言う事があります。
 他人の意見なんて十人十色。どういう意見を持とうが個人の自由です。私も兄や親父の意見を黙って反論もせずに、普段は我慢して笑って聞き流してやっているのだから、私のその程度の「つぶやき」ぐらい、黙って聞き逃してくれれば良いのに、兄貴ったら、それこそ何かに憑りつかれたかのように、その程度の「つぶやき」にまで、いちいち目くじら立てて私に突っかかって来るのです。それで全員が気まずくなる事がもう何度もあったので、私は余り気乗りがしないのです。(私と兄貴との関係性については、これまでも何度かブログ記事にしましたので、良ければそちらも参考にして下さい)

 この1月2日の新年会も、「税金が高い」という話から、何故かギャンブルの話に移り(詳しい話の経緯については失念)、「宝くじや競馬なんて詐欺みたいなものだ」「少なくとも投資の対象にはならない」「宝くじ売り場のオバちゃんにも、如何に詐欺的な仕組みになっているか、分かりやすく説明してやったのに、オバちゃん達は聞く耳を持たなかった」等と、兄貴が滔々(とうとう)と自説を披露し始めたのです。いつもなら、兄貴の独演会に親父が引きずられ、兄貴主導で政治談議が進むのですが、さすがにこの時は、その兄貴の余りの自己チューぶりに、みんな呆れ果てていました。
 だってそうでしょう。誰が投資目的で宝くじや馬券を買うのですか。株やFXじゃあるまいし。あんなもの、所詮はポケットマネーの範囲内で楽しむ程度の「遊び」でしかない。まかり間違えても「投資」するものじゃない。それでもギャンブル依存症になる人が後を絶たないのに。しかも、宝くじ売り場のオバちゃんに八つ当たりして。オバちゃん等はあくまでも生活の為に、仕事として割り切って宝くじを売っているだけなのだから(呆)。そんな人にいくら「宝くじは詐欺だ」と言った所で、「それが何か?」という事にしかならない。この兄貴の発言には、さすがに妹の旦那も「誰が投資目的でギャンブルなんかするんですか?」と呆れ果てていました。

 私も、もうそこで黙っておれば良かったのかも知れませんが、余りに兄の言っている事が支離滅裂なので、「そこまでギャンブルを目の敵にしながら、何故カジノ解禁論者の橋下徹を応援するのか?」と、思わず突っ込みを入れちゃいましたw。それに兄貴がまた反応し、「カジノは決して貧困ビジネスなんかじゃない。カジノの事をもっとよく勉強してから物を言うように」と返されました。普段の兄貴からすれば、むしろ大人し目の反論とも言えるでしょう。確かに私は、橋下のカジノ解禁論を批判している割には、カジノの事はほとんど知りません。そこで、これを機に、カジノの事についても少し調べてみました。そうしたら、カジノも他のギャンブルと同様に、やはり貧乏人の弱味に付け込み彼の人たちを食い物にする「貧困ビジネス」でした。



 確かに、控除率(胴元の取り分)で見る限り、カジノは他のギャンブルよりも段違いに低いです。一口にカジノと言ってもルーレット、トランプ、スロットマシーンと様々で、控除率もゲームの種類によって変わりますが。
 一番分かりやすいルーレットで説明すると、1~36番と0、00の計38個の目の中で、客が賭ける事が出来るのは1~36番の36個のみ。後の2個(0と00)が出た場合はカジノ経営者の収入(テラ銭)となります。従って控除率は38分の2(約5.26%)。宝くじが賭け金総額の約半分も没収となり、同じく競馬などの公営ギャンブルもJRAなどの胴元が賭け金総額の4分の1も着服してしまう(客には最大でも掛け金の4分の3しか還元されない→最初から客が損する仕組みになっている)のに引き換え、カジノの控除率は段違いに低い。そういう意味では、逆に非常に「良心的」な「搾取とは無縁」のギャンブルであるとすら言えるかも知れません。(下図参照)



 しかし、そこはやはりギャンブル。控除率の低さは客の入りを増やす事で補う仕組みになっていました。
 それを下図の2013年マカオのカジノ売上比率の例で説明します。資料の中の「VIP」は金持ちの上得意客、「Mass Market」は貧乏人の小口客です。その両者について、それぞれの売上貢献度(Revenues=水色の棒グラフ)と利益貢献度(Profits=藍色の棒グラフ)を比較してみます。すると、「VIP」は売上全体の6割以上を占めながら、利益では3割超ぐらいしか占めていません。それに対し、「Mass Market」は逆に、一人一人の売上は小さいので売上全体に占める割合も3割超でしかないにも関わらず、カジノ全体の利益の5割以上も稼ぎ出している事が分かります。何故そうなるかと言うと、上得意客の「VIP」には、カジノ経営者としてもホテル宿泊費や航空運賃割引等のサービスに応じなければならないのに対し、「Mass Market」にはそんな気遣いなぞ全く無用だからです。
 それまでは、貧乏人が群がる宝くじやトト、パチンコ、競馬・競輪等とは対照的に、カジノは「金満家がたしなむギャンブル」とのイメージが、私の中にもありました。イタリア語のカジノ(Casino)の元々の意味は「小さな家」転じて「貴族の別荘」というものだし、今でもヨーロッパのカジノではタキシード着用でないと入れないし、入場料もバカ高いし、賭け金も最低1人1万円ぐらい出さなければゲームにも参加させてもらえない・・・。そういうイメージでいました。ところが実際は、ゲームによっても違うようですが、安い所では千円ぐらいからでも賭ける事が出来るし、Gパン・Tシャツ等の軽装でも入れるカジノもあるそうです。決してアラブの王族や石油成金みたいな客ばかりではなく、パチンコに群がっている様な客も大勢いるのだと。



 モナコやラスベガス、韓国、マカオやシンガポール等の、世界の主だったカジノについても、その歴史を少し調べてみました。すると、モナコ等の例外を除き、いずれも他に代替産業がなかったり、失業対策等としてスタートしたものがほとんどでした。ラスベガスは、元々砂漠地帯のオアシスだったのが、鉄道開通とゴールドラッシュで急速に発展したものの、ゴールドラッシュも終わり町が衰退する中で、カジノに活路を見出すようになったのが始まりです。マカオのカジノも、香港との経済競争に敗れ地域が衰退する中で、ポルトガルの植民地当局が華僑を呼び込んで始めたのが最初です。シンガポールは、マカオを真似て観光客を呼び込む為にカジノを始めたのだとか。韓国の江原ランドは炭鉱閉山後の代替産業として始められました。いずれも、他にまともな産業がないから、仕方なく始めたというケースが大半です。米国のインディアン居留区にある「インディアン・カジノ」の成り立ちなんて、日本の過疎地帯にある「原発銀座」とほとんど同じじゃないですか。

 しかも、そういうギャンブルで国が成り立っている所と言うのは、いずれも超・格差社会であったり、一党独裁や国王専制の独裁国家ばかりです。
 シンガポールなんてその典型でしょう。中国人の華僑が経済の実権を牛耳っていて、国会もその華僑をバックにした与党の人民行動党が議席のほとんどを独占している。その中で、少数派のマレー人原住民やインド人移民はまともに人間扱いされずにいる。マカオや香港も、中国政府の息のかかった政商が政治を牛耳り、普通選挙もまともに行われない。
 韓国や米国も、民主主義や人権はあくまで建前だけで、実際は財閥や軍需産業が政治・経済を支配している。大韓航空の会長が「CAのナッツの出し方が気に入らない」という理由だけで航空機を引き返させる事が出来たのも、「金持ちなら何をしても許される」という甘えが会長本人にも国民の中にもあったからでしょう。米国の政治も典型的な金権選挙で、国会議員も共和・民主の二大保守政党の議員ばかり。大統領選挙も今やただの「お祭り騒ぎ」と化し、投票率も5割台までに落ち込み、黒人やヒスパニックは投票にも行かなくなった。だから、公民権運動から50年以上経った今でも、人種差別事件が後を絶たない。まあ、この日本も、ワタミみたいなブラック企業の経営者や、ホリエモンや橋下徹、原発再稼働や武器輸出にウツツを抜かす安倍晋三のような弱肉強食の拝金主義者が政治の実権を握り、「朝鮮人殺せ」等のヘイトスピーチ(差別扇動)やセクハラ議員が横行するという意味では、それらの「カジノ資本主義」の国々と基本的な体質は何ら変わりませんが。
 ちなみに、兄貴の言動の中にも、そういう非民主的で反人権的な体質が大いに見受けられます。自分の意見ばかり押し付け他人の意見を聞こうともしない。宝くじ売り場のオバちゃんにまで八つ当たりする。ひたすら「上から目線」で「弱肉強食」的な発言に終始し、「財政赤字解消の為にはいくら福祉が削減されても仕方ない」と言う様な事を平気で言う。政治家や経営者だけで国が成り立っている訳ではないのに。こんな頑なな姿勢では対話なんて出来ないし、議論自体も成り立たない。そういう所を改めてさえくれれば、決して悪い人間ではないのだが・・・。

 そして、ヤクザや暴力団、マフィア等の反社会的勢力がカジノを牛耳っている。ラスベガスでも、当初は銀行もカジノを敬遠していた為に、マフィアがその隙を突いて進出してきました。ラスベガスのカジノの歴史は、ある意味マフィア封じ込めの歴史でもありました。今でこそ表向きはマフィアの影響力排除に成功した事になってはいますが、現実には果たしてどうなのか?
 カジノ推進国が大なり小なり超・格差社会であったり独裁国家だったりするのも、決して偶然の一致ではないでしょう。その国の政治がマフィアや政商や財閥みたいなものに牛耳られているから、そういう国になるのではないでしょうか。同じカジノ推進国でもドイツやフランスの政治がそこまで腐敗していないのは、昔の貴族のレジャーだった時代の名残がまだあるからでしょう。少なくとも米国やアジアのカジノ推進国について言えば、カジノ解禁論者は総じてホリエモンみたいな奴らばかりじゃないですか。
 そもそも、ギャンブルは「ボロ負けする不幸な人」がいて初めて成り立つビジネスです。少なくとも、近江商人の家訓にある「三方好し」(商売人も客も世間も皆ハッピー)では、絶対に成り立たないビジネスです。近江商人も商人なので儲けなければ話になりませんが、その儲けはあくまでも自分の為だけでなく、「世の為」でもあって初めて意義がある。株もそうでしょう。今や株もギャンブルとほとんど変わりませんが、それでも産業振興の為という大義名分も一応はまだ残っている。ところがカジノにはそういう社会的な存在意義はほとんどない。失業対策などの建前はあってもホンの形だけ。「宝くじ売り場のオバちゃんやカジノのディーラーにも家庭があり人生がある」なんて事はカジノの客は一切考えない。考えるのはビジネスチャンスがどうとか、ひたすら自分の金儲けの事だけ。自分以外は全てただの「金ヅル」でしかない。

 儲けたいのは誰しも同じです。しかし、皆が皆「それだけ」の為に、そんな拝金主義の方向に突っ走ってしまったら社会は一体どうなります?もうそうなれば、もはやブラック企業で過労死続出、公害垂れ流しで地球滅亡するしか無いじゃないですか。
 私は別に競争や金儲けを全否定している訳ではありません。競争も金儲けも大いに結構。でも、余りにもそればっかりに走って、「負けたらもうその時点で人間失格」みたいな社会では、別に「倫理や人の道に反する」とか言う大所高所な議論以前に、生きていくのもシンドイじゃないですか。少なくとも、私はそんなシンドイだけの社会はゴメンです。
 そりゃあ、私も競馬はしますよ。だけどそれは投資目的なんかではなく、あくまでも予想や推理を楽しむ為です。競馬の中には色んなファクター(要素)があるでしょう。馬の血統や年齢・性別、脚質、競馬場の天候や馬場状態、騎手と馬との相性や、騎手同士の駆け引き等。そういう色んなファクターを予想しながら、馬や騎手に思いを馳せるのが楽しみなのです。そうでなかったら、ずっと負け続けのハルウララを応援したりなぞしません。
 他のギャンブルやましてカジノなんかには、そういう要素は全くないでしょう。あるのはさもしいカネ勘定だけで。だから、少なくとも私は、宝くじや競輪・競艇には全然興味がない。あんなものどこが面白いのか分からない。
 但し、確かに競馬のファクターの中にもそういう「カネ勘定」的な部分はあります。鍼灸治療のある日曜日は、午前中の治療が終わればもう休みは後半日しかない。そんな中では、面白い映画でもなければ、「もう後は競馬で小銭を稼いで時間を潰すしかないか」と、どうしてもなってしまいます。もっと自由になる時間があり、もっと面白い映画があり、映画館の入場料ももっと安ければ、別に競馬なぞ無くても構わないのです。



 だから、私としてはもう折角の休みの日にまで、そんな話ばかり聞かされるのはウンザリなのです。橋下支持や安倍支持であっても別に構わないが、そういう話をわざわざプライベートな場でもするのなら、橋下や安倍を支持できない人間の意見もちゃんと聞くべきだと思います。それでこそ初めて議論や対話も成り立つ。そうではなく、「他人の意見は聞かないが自分の意見ばかり振り回す」では、私としても、「何でわざわざ休みの日に、時間を割いてまでそんな話ばかりにつき合わされなければならないのか」と言う気持ちになります。母の法事や墓参りについては致し方ないとしても、少なくとも忘新年会については、もうはっきり理由も言って、参加するのも止めようかと思い始めています。

(参考記事)
・ギャンブルゲームの控除率(テラ銭の割合)
 http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/5680.html
・マカオのカジノは貧乏人で儲ける(山形浩生 の「経済のトリセツ」)
 http://d.hatena.ne.jp/wlj-Friday/20131002/1380696734
・カジノの歴史と現況
 http://www.h-eba.com/heba/casino/casino00.html
コメント (5)
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