7月31日(土)から8月1日(日)にかけて、久しぶりに静岡県の大井川鐵道に乗って来ました。以下はその報告です。長文になったので段落ごとに小見出しを付けました。
(1)ネット情報だけを過信すべからず。
私が大井川鐵道に乗ったのは、もうかれこれ40年ぶりになるでしょうか?当時はダム建設による線路の付け替え前で、アプト式の電気機関車も走っていませんでした。
久しぶりに乗る大井川鐵道で、私はちょっとしたミスをやらかしました。ネットの時刻表では、新金谷10時38分発の急行かわね路13号に乗れば、本線終点の千頭(せんず)まで行ける事になっていました。
しかし、実際は、新金谷10時38分発はSL急行きかんしゃトーマス13号でした。
私の買った大井川鐵道の周遊切符では、SL急行には乗れない事が分かりました。しかも、追加料金を払うと言っても、周遊切符では併用も出来ないと言われてしまいました。
途方に暮れていると、次の新金谷11時7分発の普通電車に乗っても、千頭駅12時17分着で、井川線の千頭12時29分発のトロッコ列車に乗れる事が分かり、一安心。
しかも、きかんしゃトーマス13号が出た後に、千頭行きの臨時バスも出ている事が分かりました。
最初は普通電車と聞き、がっくり来ましたが、その普通電車も、昔の近鉄特急の車両だと聞き、逆に得した気分になりました。鉄道ファンの私にとっては、子供向けのきかんしゃトーマスよりも、むしろそちらの方が嬉しいもの。
しかも、途中駅の家山で待ち合わす事になった行き違いの普通電車も、元南海の特急電車でした。
ネットの情報だけを鵜呑みにするのではなく、現地で最新情報を手に入れる事の大切さを思い知りました。
左:金谷駅ホームの元東急電車。右:新金谷駅で乗り換えた元近鉄の千頭行き普通電車。
左:新金谷駅のきかんしゃトーマス。右:家山駅で撮影した元南海の普通電車。
上2枚とも千頭駅で撮影した井川線のトロッコ列車。最後尾に機関車、前から3両目に展望車。
(2)アプト式重連運転の仕組み
ここで、井川線アプト式区間(アプトいちしろ駅・長島ダム駅間)の重連運転の仕組みについて説明します。
重連運転とは、2台以上の機関車で運転される仕組みです。勾配のきつい区間では、昔からこのような仕組みが取られて来ました。
この区間は、長島ダム建設で接岨(せっそ)湖が出来た事により、線路が付け替えられて出来た新線区間です。勾配が90‰(パーミル)=千メートルの間に90メートルも上る=もあるので、井川線のトロッコ列車では坂を登る事が出来ません。
だから、この区間だけは電化され、通常の線路だけでなく、アプト式のラックレールも中央に敷かれ、トロッコのディーゼル機関車だけでなく、アプト式の電気機関車も加わり、2両の機関車で運転される事になります。
まず、麓のアプトいちしろ駅で、駅の端にある引き上げ線で待機していたアプト式電気機関車が、係員に誘導されて、トロッコ列車のディーゼル機関車の後ろに連結されます。そして、機関車が客車を後ろから押し上げる推進運転で、アプト式の区間を上って行きます。
一つ先の長島ダム駅は、アプトいちしろ駅とは違い、2面2線の行き違いが出来る構造になっています。
電気機関車は、ここで井川行きのトロッコ列車と切り離された後、千頭寄りのポイントで方向を切り替えた後、次に来る千頭行きのトロッコ列車の先頭に連結されます。そうして、今度は牽引運転で、山を下って行くのです。
左:アプト式区間での重連運転図。右:アプトいちしろ駅概観。
左:アプトいちしろ駅での連結作業。右:長島ダム駅での連結作業。
上:帰りの電車から撮った雨にけぶるラックレール。右:同じくアプトいちしろ駅の引き上げ線で待機する電気機関車。
(3)湖上駅カフェのぼったくり商法
井川線の奥大井湖上駅は、長島ダム建設に伴う線路付け替えで生まれた新駅です。ダム湖の接岨湖にかかるレインボーブリッジの上に駅があり、プラットホームの半分は接岨湖に迫り出しています。
ここは井川線内でも有数の観光スポットです。湖上をもじった恋錠(こじょう)駅の愛称を持ち、カップル用のベンチや、結婚式の鐘に見立てたハッピーベルが置かれています。
レインボーブリッジを渡ると急な傾斜の階段が現れます。それを上ると道が二股に分かれ、下に降ると駐車場に出ます。更に上に上ると展望台に出て、レインボーブリッジが一望に見渡せます。
駅の近くにも、シーズン中だけ営業する湖上駅カフェがありました。木造三階建のログハウス風のカフェで、テラスにはハンモックもしつらえてあります。
しかし、値段は総じて割高で、コーヒー1杯500円、スティックタイプの冷凍チーズケーキが300円もします。
私も、最初はこの「ぼったくり」ぶりには頭に来ました。でも、よく考えたら、山間の過疎地帯で、農林業の衰退に加え、コロナ禍による乗客減に見舞われる中で、赤字の地方私鉄が、それでも地域住民の足を確保しようと、SLや昔の懐かしい特急電車を走らせるなどして、涙ぐましい努力を重ねているのです。ここは多少の「ぼったくり」もカンパだと思い、割り切る事にしました。
左:奥大井湖上駅の鐘(ハッピーベル)。右:同じくカップル用のベンチ。
左:展望台から眺めたレインボーブリッジ。右:奥大井湖上駅ホームを井川方向に望む。
左:湖上駅カフェの店内の様子。右:そこで注文したアイスコーヒーとスティックケーキ。
(4)秘境駅攻略法
山岳路線の井川線(南アルプスあぷとライン)の中でも、接岨峡温泉駅から先は、更に山並みが険しくなります。山また山、トンネルに次ぐトンネルが続く、その先に、全国秘境駅ランキング2位の尾盛(おもり)駅があります。
ここには1日に列車が上下とも4本しか止まりません。周囲には民家は一切無く、駅に通じる道もありません。鉄道でしか来れない秘境駅です。
ダム建設用の宿舎が近くにあった時は賑わったらしいですが、宿舎が無くなった今は、砂利を敷いただけの低い仮設用のホームが1本あるだけです。
反対側には昔のホーム跡があり、保線小屋の中には駅ノートも用意されています。しかし、それ以外には、駅の片隅に別の保線小屋が、朽ち果てた姿を止めているだけです。
後は駅名標と、置物の狸の鋳物があるだけです。しかし、そんな秘境駅にも、攻略法はちゃんとあります。
保線小屋に貼られた駅の時刻表をよく見れば、その攻略法が理解出来ます。14時57分に井川行きの最終列車が出た後も、千頭に戻る列車が15時18分、16時23分と、2本もあるのです。特に、最初の15時18分発に乗って山を降れば、駅の滞在時間を僅か23分に短縮出来ます。
誰もいない秘境駅に、5時間、6時間たたずんで、本を読み、思索に耽るのも勿論よいと思います。しかし、世間には、時間的・物理的な都合で、それが無理な人も少なくありません。
そんな人でも、秘境駅の醍醐味を手軽に味わう事の出来る方法として、行き違いダイヤを組み合わせるやり方が、広く行われて来ました。
私が訪ねた日には、工事関係者の方たちが5名ぐらい、小屋に荷物を置いて、線路敷の草刈りを行っていました。この人たちも、16時23分発の最終列車で、千頭に戻るのてしょう。
上から順に、尾盛駅の時刻表、ホーム跡に鎮座する謎の狸の置物、駅構内の様子。
(5)鉄道ファンの主が経営する民宿に泊まる。
昨日は、井川線奥泉駅近くの民宿奥大井に泊まりました。宿の主人も鉄道ファンで、津軽海峡線や三陸鉄道に乗った話を懐かしそうにされていました。
宿に着いたら、まず風呂に入り、茶の成分入りのシャンプーで頭を洗いました。そして、お風呂から出たら、ほどなく夕食となりました。夕食の後はしばらくテレビを見て、LINEにブログの下書きを書いていたら、もう夜の10時を回っていました。
左:民宿奥大井の外観。右:宿の玄関に飾ってあった鉄道模型。
(6)トロッコは時間がメチャメチャかかる。
翌日の朝食も、昨日の夕食に続き、川魚料理と山菜料理を堪能する事が出来ました。
翌日は日曜日で、既に学校も夏休みに入っているので、奥泉駅の駅員も多客輸送でピリピリしていました。井川行きのトロッコ列車も、昨日までの推進運転とは違い、先頭車輌で運転手がマスコンを操作する牽引運転に変わっていました。
奥泉駅には長島ダム建設前の旧線時代の写真も掲示されていました。その頃は、今のアプトいちしろ駅付近に川根市代駅があり、他に犬間、川根唐沢の2駅もありました。今はもう後者2駅は既にダム湖の中に水没してしまっています。
現在、ミステリーウォーキングと称して、この旧線を模したハイキングコースが整備されています。その中には、旧線時代のトンネルを抜ける箇所もありますが、トンネルの中は真っ暗闇で、懐中電灯がなければ踏破する事は不可能だそうです。
残念ながら、今回はアプト区間のミステリーウォークは諦め、終点井川から伸びる幻の未成線コース(廃線小道)をたどって帰阪する事にしました。
終点の井川には11時ジャストに着きました。始発列車で奥泉を9時42分に出ても1時間18分もかかった事になります。
距離僅か20キロ余、駅数も8つしかないのに、何故そんなに時間がかかるのか?山岳路線で線路が曲がりくねっているのに加え、観光客へのサービスで、ビュースポットでは速度を落として走行しているからですが、こんなに時間がかかっては、回れる観光地も回れなくなります。
もう今日は、終点の井川で降りて、ダムサイトと廃線小道だけ巡る事にしました。
上:井川ダム遠景。
左:井川駅から分岐する元貨物線。右:井川駅遠景。この先に元貨物線との分岐ポイントがある。
上から順に、廃線小道のスタート地点、途中のトンネルとカーブ、終端部の土に覆われたポイント。
(7)幻の井川延伸計画
ここで私は大きな勘違いをしていました。終点の井川は、標高600メートル余の高地にあるとは言え、静岡市役所の支所や、郵便局、駐在所、診療所もある大きな集落です。そんな場所なので、当然コンビニぐらいは駅前にあると思っていました。
しかし、実際の駅は井川の集落から約5キロも離れた所にあったのです。駅前にあるのは、ジュースの自動販売機以外は、井川ダムと、それを記念して作られた資料館、井川の集落(本村)に向かう連絡船の乗船乗り場だけでした。
お陰で、昼食を駅前で食べようと考えた当てが外れてしまいました。急きょ手元の時刻表を見直し、帰りは次の閑蔵(かんぞう)駅でトロッコ列車を下車して、並行して走る短絡バスで千頭に戻る事にしました。それなら13時半に千頭に着き、遅めの昼食にもありつけます。これがトロッコだと何と14時22分までかかってしまうのです。
廃線小道は、元々、井川駅から分岐して、井川本村との間にある堂平(どうだいら)という所まで伸びる貨物線でした。井川より奥の電源開発に使う資材や作業員を輸送する為のものでした。その貨物線の廃止後に、散策路の廃線小道として整備されたのです。
今も井川駅から線路が二股に分かれ、右側の線路はすぐトンネルに入ります。それが元の貨物線ですが、現在そのトンネルの前には立入禁止のロープが張られています。そしてトンネル反対側も扉で封印されています。
その代わりに、井川資料館の裏手から、草ぼうぼうの線路が突然顔を覗かせていて、遊歩道として整備されています。しかし、遊歩道というのは形だけで、ベンチも線路も草ぼうぼう。
その遊歩道も、ポイントで線路が二手に分かれたと思ったら、突然、土に埋もれてしまいました。この先に堂平の貨物駅があったのでしょう。しかし、今となっては一体どこにあったのか皆目分かりません。
そんな草ぼうぼうの散策路にするぐらいなら、何故、井川線が開通した時に、ダムサイトだけでなく、本村の集落まで線路を伸ばしておかなかったのか?もし、井川線の終点が、村外れのダムサイトではなく、集落の中心部にあったなら、村の発展に多大な貢献をしていたはずなのに。
そう言うと、「幾ら村の中心部まで鉄道を伸ばしたところで、どうせ山間部の赤字路線になるのは目に見えているのだから、無駄ではないか?」と言う人も居られるかも知れません。
いいえ、決して無駄ではありません。たとえ線路を村の中心部まで伸ばしても、山間の村なので、確かに乗客数は限られます。どのみち赤字基調なのは同じです。
しかし、村の中心部に駅が出来る事で、人が集い、賑わいが生まれます。休日には農産物の直売市が立つかも知れません。村外れのダムサイトだと、こうは行きません。
たとえ少額でも、買い物需要が生まれ、雇用が発生すれば、村は確実に潤います。たとえ鉄道が赤字でも、潤う人がいるのと、いないのとでは、全然違います。
潤う人が増えれば産業も発展します。今の大井川鐵道も、昔の特急電車、アプト式の電気機関車を走らせるようになったからこそ、観光客が来るようになったのでしょう。
当初は、井川から更に奥地の開発も視野に入れて、鉄道を井川の本村にまで伸ばす計画もあったようです。しかし、線路は結局、ダムサイトまでしか伸びて来ませんでした。
何故、鉄道が井川の本村まで伸びなかったのか?詳しい事はまだ分かりません。しかし、ある程度は推測が出来ます。
最初に井川のダムサイトまで鉄道を敷いたのは、中部電力です。その中部電力が、井川ダム建設の為に敷いた専用鉄道を、大井川鉄道が譲り受け、1957年に井川線として営業運転を開始しました。
多分、当時の中部電力も大井川鉄道も、鉄道を「資源収奪」の手段としか考えていなかったのではないでしょうか?中部電力にとっては、大井川の水を水力発電に利用する事しか考えていなかった。それを譲り受けた大井川鉄道も、鉄道を観光客集めの手段としか考えていなかった。つまり、「ブラック企業」と同じような発想しか出来なかった。
だから、鉄道全線を電化して、アプト式の電気機関車を走らせ、曲がりくねった路線も一定整備して、スイス・アルプスの登山鉄道みたいにリニューアルする事も出来たのに、「森林鉄道」のまま、ずっと放置して来た。
つまり、中部電力も大井川鉄道も、鉄道を単なる金儲けの手段としか考えていなかった。その先にある村の発展や、雇用の創出、産業育成、村民の生活向上までは考えていなかったのではないでしょうか?
その為に、鉄道のリニューアルをして来なかった。SLや昔の特急電車を走らせても、鉄道設備の更新を怠って来た。線路は草ぼうぼうで、レールは錆びつき、架線柱も木製のまま。曲がりくねった路線もそのまんま。いまだに「軽便鉄道」さながらの運行を続けている。
鉄道ダイヤ一つ取っても、金谷で大井川鐵道に乗り換えた後、何故、次の新金谷で、きかんしゃトーマスやかわね路号の急行に、二度も乗り換えなければならないのか?金谷駅のホーム長が3両分しかないからです。昔のもうかっていた観光ブームの時に、ホームを増設しておけば、こんな二度手間な事なぞしなくても良かったはずです。
それ以前に、2014年のダイヤ大削減で、大井川本線の便数を14往復から更に8往復にまで減らし、週末と祝日には観光客が押し寄せるが、平日は誰も利用できない不便なダイヤにする事も避けられたはずです。
私鉄と言えども民間企業。儲けなければ経営を維持出来ません。では儲ける事さえ考えていたらそれで良いのか?社長一人では会社は動かせません。顧客や取引先、従業員の支えがあってこそ、初めて会社も成り立つのです。多少の「ぼったくり」にも「カンパ」と割り切り、会社を応援してくれるのです。
昔ながらの良さを残しながらも、設備更新は積極的に進め、乗客の利便性を図るなら、今頃はスイスの登山鉄道みたいになっていたかも知れないのに。それが返す返すも残念でした。
左:旅先で見つけた井川線延伸資料。右:井川駅から本村への連絡船などの案内図。