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杜若とポンプ場のどちらを残すべきか?

2021年12月12日 15時50分16秒 | 職場人権レポートVol.3
 
9月のブログ記事「住吉川(細江川)の源流を探る旅」の内容を勤め先の社内報にも応募投稿したら、何と来年1月号の社内報コラムに掲載してくれる事になりました。楽しみにしていたらゲラ(掲載記事の原稿)が届いたので、早速読んでみました。下記がそのゲラです。元のブログ記事まで表示すると、余りにも文章が長くなるので、ここでは表示しません。しかし、元のブログ記事も、リンク先をたどれば読む事が出来ますので、興味のある方は是非読み比べてみて下さい。
 
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最近、西成区から住之江区に越して来ました。住吉川にかかる住之江大橋を渡っていた時に、橋の上流と下流で川の趣が余りにも違う事に驚きました。そこで、一度河口から源流をたどってみようと思い立ち、自転車で散策して来ました。住吉川の河口部は工場地帯です。平林の貯木場が横にあり、昔は多くの材木が貯蔵されていました。今も河口部には材木を係留していた杭が川面に立ち並んでいます。河口付近は川幅も広く、船も係留されています。住之江大橋から上流をさかのぼると、それまでの工場地帯とは一転して、マンション横の緑地帯を流れるようになります。川の名称は依然として住吉川のままですが、川幅は心なしか狭まったように感じます。川の隣には住之江公園の池もあり、野鳥が飛び立ち、池の周囲には彼岸花が咲き誇っていました。住吉川は阪神高速のガード下で大きく湾曲しています。ガード下の湾曲部を過ぎると、更に川幅が狭まり、細江川と名前を変えます
わずか10キロの間に二度も名前を変え、様々な顔を見せてくれた住吉川(細江川)。一体どこが源流なのか?市営団地の中を流れる親水河川をたどれば、やがて防水ポンプ場が現れ、そこで流れが途切れます。防水ポンプ場から流れ出た水が、歴史の小道の中を流れ、10キロも行かないうちに、船をも浮かべるような大河に変身するのです。これほど変化に富んだ川が他にあるでしょうか。大河も一滴のしたたりから。それを身近で体験できた探索の旅でした。
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せっかく社内報に掲載してくれるのに、こんな事言うのもどうかと思いましたが、それでも、どうしても納得が行かないので、敢えて書かせてもらいます。私はこのゲラの内容に大いに不満です。何故なら、元のブログ記事では、住吉大社末社(浅沢社、大歳社)の杜若(かきつばた)や「おもかる石」、「発辰まいり」の風習についても触れていたのに、その紹介文が全てカットされ、「河口には船が浮かんでいた。源流はポンプ場だった。大河も一滴のしたたりから」というだけのオチに、矮小化されてしまったからです。
 
「大河も一滴のしたたりから」という最後のオチも確かに面白いかも知れませんが、私はそれよりもむしろ、中段の歴史紀行や風習の部分こそ、この記事の最大のポイントだと思っていました。平安時代には今の住吉大社の所まで海岸線が来ていて、人々は船に乗って住吉大社に参拝していました。今は窪地の中の神社に過ぎない浅沢社も、当時はきれいな水が湧き出る池に囲まれ、周囲には杜若(かきつばた)が咲き誇っていました。だから、杜若や細江川の風景も和歌に詠まれてきたのです。住吉川の別名である細江川の名前も、当時は細長い入り江であった事から来ています。近くを走る阪堺電車の駅名「細井川」も、浅沢社の泉から来ています。だからこそ、細江川も和歌や古文書に登場するのに、それらを全てカットして、単なる「ポンプ場」のオチだけで終わってしまっては、余りにももったいないです。
 
確かに、ブログの長い文章を、ここまでコンパクトにまとめて下さった事には感謝します。でも、これでは、ブログの最初と最後の文節を、ただ繋ぎ合わせただけの「やっつけ仕事」ではないですか。余りにも編集が雑過ぎます。そこで、急きょ私の方で下記の文章にまとめ直して、社内報に掲載してもらうようにお願いしました。
 
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最近、大阪市の住之江区に越して来ました。ある日、住吉川にかかる橋を渡っていた時に、橋の上流と下流で趣が余りにも違う事に驚き、一度河口から源流をたどってみる事にしました。
河口部は工場地帯です。貯木場が横にあり、昔は多くの材木が貯蔵されていました。川幅も広く、船も係留されています。
そこから上流をさかのぼると、住之江公園の横に出ます。公園の池では野鳥が飛び交い、周りには花が咲き誇っていました。

阪神高速のガードをくぐると、川幅が狭まり、細江川と名前を変えます。しかし、谷は逆に深まり、都会の川なのに、まるで山の中の渓谷にいるかのような感覚にとらわれます。
川の隣に神社がありました。住吉大社末社の浅沢社です。周りの窪地には和歌に詠まれた杜若(かきつばた)の群落もあります。隣には大歳社という神社もあり、持ち上げる事が出来たら願いがかなうと言われる「おもかる石」が祀られていました。私が持ち上げようとしてもビクともしませんでした。
阪堺電車の駅も川の近くにありました。駅の名前は「細井川」。ところが川の名前は「細江川」。何故名前が違うのか?もしかしたら浅沢社と関係があるかも?浅沢社の周りの窪地は昔は湧水池で、きれいな水が湧き出ていたようです。だから駅の名前も細井川なのかも。
都会の中を流れる何の変哲もない小さな川も、源流までたどれば様々な顔を持つ事が分かり、大変勉強になりました。
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社内報編集部には掲載写真を上記の6枚送りました。こちらについても、6枚とも是非掲載して欲しい所ですが、それがスペース的に無理なら、①船が浮かんだ河口部、②浅沢社、③大歳社のおもかる石の、3枚の写真だけにして貰っても結構です。

それなら、編集部のゲラよりも私の訂正稿の方が使用字数も少ないので、全部掲載出来るのではないかと思います。
 
私はこのように思うのですが、皆さんは、どちらの文章の方が、より面白い(より優れている)と思いますか?

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1 コメント

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Unknown (プレカリアート)
2021-12-13 18:29:28
朗報です。ゲラの修正版が来ました。私のお願いした通りの内容に差し替えられました。
こんな事なら、最初から横着せずに、原文の趣旨を活かす形で編集してくれれば良かったのに。
それでもまあ、望み通りの記事になったので、善しとしましょう。
来年1月号の社内報コラム「いろいろ掲示板」のページに私の投稿記事が載りますので、社内ブログ読者の方は是非読んで下さい!
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