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アフガン・イラク・北朝鮮と日本

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大阪と岩国の敗北から何を学び取るか

2008年02月14日 08時42分18秒 | 都構想・IRカジノ反対!
 昨年の東大阪市長選、今年に入ってからの大阪府知事選、山口県岩国市長選の、いずれの選挙でも、自公与党の利権派候補が勝ってしまいました。東大阪と岩国については、前者が多数を頼んでの市長不信任の強行、後者が地元米軍基地拡充ごり押しに新市庁舎建設補助金凍結の兵糧攻めと、いずれも形振り構わぬ横暴なやり方で自公勢力が臨んできたのに対して、抗議の声をかなり結集する事が出来ましたが、それでも結局は僅差で負けてしまいました。大阪府知事選の場合は、自公与党をバックに付けた新人候補が、無党派・改革派を詐称する事で当選を果たしてしまいました。
 上記の3つの地方選挙で何故革新・市民派が自公勢力に勝利する事が出来なかったか。この3つに共通するのは、いずれも「自公与党陣営の方に庶民の生活保守主義を逆手に取られてしまった」という事ではないでしょうか。

 「生活保守主義」とは、読んで字の如く、庶民が自分の生活を守ろうとする気持ちです。これは庶民の素朴な生活感情に根ざすものですが、これは時には、悪政に対する政治変革のエネルギーに転化する場合もあれば、またその逆に、「長いものには巻かれろ」という方に流れて体制側に絡め取られてしまう場合もある、そういうものです。
 先の参院選の場合には、この「自分の生活を守ろうとする」庶民の気持ちが、それまでの悪政に対する怒りとなってストレートに噴出しました。その結果、庶民の生活困窮を他所に「改憲ごっこ」に現を抜かすばかりで閣僚の不祥事にも何ら対処し得なかった安倍内閣は、庶民からはまるで「生活破壊の元凶、諸悪の根源」であるかの様に看做されて、最後には退陣に追い込まれました。
 翻って今回取り上げた3つの地方選の場合はどうだったのか。こちらの場合はいずれも、寧ろ参院選の時とは逆に、こちらが守勢に回ってしまった感がどうしても否めないのです。相手の意図した「泥仕合」の展開に、結果的には引きずり込まれた形となり、それが無党派層の目には「どっちもどっち」と映ってしまったのではなかったか。そうなると、もう後は「長いものには巻かれろ」で、どうしても政権与党の方に有利に流れてしまいます。

 無論、政治の混乱を引き起こしたのは国や自公勢力の方です。岩国では、米軍艦載機の移駐受入れをごり押しする為に、新市庁舎建設補助金をカットするという暴挙に打って出てきました。東大阪でも、何の落ち度も無い市長を、ただ単に共産党単独推薦市長だという理由だけで、数を頼んで不信任決議を強行してしまいました。大阪府知事選挙の場合は、これら前二者の場合とは違い最初から新人同士の三つ巴の争いとなりましたが、ここでも自公派は、それまでの民主党とも馴れ合ってオール与党時代にやってきた大型乱開発や乱脈予算の問題には頬かむりしながら、最初は出ないと言って煙に巻いていたタレント新人候補を引っぱり出してきて改革者を装わせる事で当選を果たしました。いずれの場合も、道理の通らないのは自公勢力やその同調者であったのは確かです。当然、自公やその同調者のそういうやり方に対しては批判が集まりました。そこまでは先の参院選の場合と全く同じです。

 但し、問題はその後です。自公勢力は、自ら政治の混乱を引き起こしておきながら、同時にアメとムチのやり方を推し進める事で、それを長期の消耗戦に持ち込み、市民の反対運動を疲弊させ、泥仕合の展開に持ち込むことに成功してしまったのです。それは特に岩国においては顕著でした。それまで何度も行われた住民投票や市長選での、「国のごり押しNO!」の民意を悉く無視するものでしたから。

 そういう展開を辿る事で、逆に市民の側は、参院選の場合とは逆に「守りの選挙」を強いられる事になりました。岩国でも東大阪でも、市民の側はいずれも「自治と民主主義を守れ」という事をスローガンに掲げました。大阪府知事選挙の場合も、「タレントの欺瞞に騙されるな」という訴えかけが中心になりました。
 それに対して、自公勢力は「改革」や「生活重視」を唱える事で、参院選での民主党と同じポジションを獲得する事に成功してしまったのです。この時点で、市民派は当時の安倍政権と同じ立場に立ってしまったのではないでしょうか。だから、いずれの選挙でも、無党派層やそれに近い立場の民主党支持層(この層は自民党の右翼的・土建屋的体質には拒否感を示すが新自由主義には宥和的である)の多くが、自公候補の方に流れてしてしまったのではないでしょうか。

 勿論、市民の側とて、それに手を拱いていた訳ではありませんでした。自公推薦候補の繰り出す「改革」「生活重視」のスローガンが、客寄せパンダ以上のものでは決して無くて、それどころかトンでもない毒饅頭であった事も、折りに触れて訴えてきました。例えば「国の言いなりにならなければ岩国も夕張みたいになってしまう」というデマに対しては、「国の言いなりになって、炭鉱閉山の尻拭いを押し付けられリゾート開発にのめり込んだからこそ、夕張が今の体たらくになってしまったのではないか」「国の補助金を当てにするというが、それは国の言いなりになる事で抱え込む事になる起債=借金の一部を補填するものでしかない。そんな事をすればそれこそ借金漬けになってしまう」「そうなればもう後に残るのは基地依存一辺倒のシャッター街しかない」という事も言って来ました。

 しかしそれ以上に、ともすれば「自治と民主主義を守れ」という(無党派からすれば)一種の建前論が先行してしまいがちになってしまったのではないか。それが無党派にとってみれば一種の書生論の様に思われてしまい、「基地拡充には本当は反対なのだが国との妥協もやむを得ない」という層を、反対運動や市民の側が結集する事に失敗してしまったのではないでしょうか。
 先に述べた「岩国が夕張になる」デマ宣伝の欺瞞を突く説得にしても、互いに市民同士が対話を繰り返す中でこそ、初めてその効力が現われてくるものです。それは、僅か二週間余りの短い告示期間の間で、しかも今のワンフレーズ・ポリティクスな劇場政治の状況の下では、常に時間切れのリスクを強いられる事を余儀なくされます。勢い、敵の繰り出す偽「改革」「生活重視」の洪水の中では、こちらもついつい「自治と民主主義を守れ」の連呼で対抗してしまいがちになってしまいます。肝心なのはその先の、「自治と民主主義」のビジョンをどう描き実現していくか、という事であるにも関わらず。そこを上手く相手に突かれたのではないか。

 そういう意味では、短期的には「相手の勝ち」だと言えます。しかし、これは長期的に見れば、確実に「相手の負け」です。何故ならば、選挙中に彼らが散々ばら撒いた偽「改革」「生活重視」の公約と現実政治との間の矛盾が、後になればなるほど何倍ものしっぺ返しとなって、今度は彼らに襲い掛かってくるのですから。
 既にその兆候は早速、橋下タレント新大阪府知事のゼロ起債発言を巡る二転三転の狼狽振りとなって現われています。その後も、沖縄でまたもや米軍兵士による少女暴行事件が発生し、米軍基地が市民とは共存不可能なものである事を改めて思い知らされました。
 斯様に、彼ら自公勢力による偽公約、偽宣伝の全ては、結局は「矛盾の先送り」でしかないのです。橋下も、やがては前任者の太田房江の様に、御用済みとなった時点で捨てられる運命になるでしょう。そうして自公は、また新たなタレント候補を見つけ出してきて、また新たな偽公約を述べ立てる事になるでしょう。
 しかしそれでも、短期的には相手の勝利を許してしまった事は確かです。こんな負のスパイラルは、もういい加減早く断ち切ってしまわなければならない。
コメント (5)
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