アフガン・イラク・北朝鮮と日本

黙って野垂れ死ぬな やられたらやり返せ 万国のプレカリアート団結せよ!

当ブログへようこそ

 アフガン・イラク戦争も金正日もNO!!搾取・抑圧のない世界を目指して、万国のプレカリアート団結せよ!

 これが、当ブログの主張です。
 詳しくは→こちらを参照の事。
 「プレカリアート」という言葉の意味は→こちらを参照。
 コメント・TB(トラックバック)については→こちらを参照。
 読んだ記事の中で気に入ったものがあれば→こちらをクリック。

「お笑い百万票」についての考察

2008年02月19日 23時16分33秒 | 都構想・IRカジノ反対!


・大阪府知事選:橋下氏当選…閉塞感打破託す お笑い票健在(毎日新聞)
 http://mainichi.jp/kansai/osakaprefelection/news/20080128k0000m010111000c.html
・橋下弁護士 百万タレント票が後押し(スポニチ)
 http://www.sponichi.co.jp/society/news/2007/12/12/01.html

 大阪府知事選関連のエントリーを一旦閉じるに当たって、最後に改めて書いておきます。上記の記事には、如何にも大阪だけに特殊な「お笑い票」なるものが存在するかの様に書かれていますが、大阪にはそんなものは存在しません。知名度やイメージだけで投票する層は大阪にも少なからず居り、その動向が時として選挙結果に重大な影響を与える事がありますが、それは何も大阪だけに限った特殊な現象ではありません。
 橋下当選を支えたのは「お笑い票」でもなければ、橋下は圧勝もしていません。前回のエントリーでも書きましたが、相手候補の集票力減退によって橋下が恰も圧勝したかの様に見えるだけです。それは下記のデータからも明らかです。

(参考資料)
1970年代以降における大阪府知事選各候補の得票数・得票率推移

●第7回知事選(1971年4月11日投票) 投票率:63.06%
 黒田了一1,558,170(49.8%)社会・共産推薦
 左藤義詮1,533,263(49.0%)自民公認
 他1名  39,248
 政治状況:万博誘致vs公害問題、革新自治体の広がり。

●第8回知事選(1975年4月13日投票) 投票率:66.27%
 黒田了一1,494,040(42.1%)共産推薦
 湯川 宏1,043,702(29.4%)自民推薦
 竹内正巳 947,664(26.7%)社会・公明・民社推薦
 他6名   21810+16703+12597+7558+3900+2262
 政治状況:解同問題などを契機に社共が分裂。

●第9回知事選(1979年4月8日投票) 投票率:63.31%
 岸 昌  1,792,856(51.4%)自・社・公・民推薦、自ク支持
 黒田了一1,671,812(47.9%)共産・革自連推薦
 他1名  22,857
 政治状況:公害・福祉対策から関西経済地盤沈下・関空開発に争点が徐々に移行。(政党名略称:自=自民、社=社会、公=公明、民=民社、自ク=新自由クラブ、革自連=革新自由連合)

●第10回知事選(1983年4月10日投票) 投票率:60.74%
 岸 昌  2,173,263(63.0%)自・社・公・民・自ク・社民連推薦
 亀田得治1,250,374(36.3%)共産推薦
 他1名  24,718
 政治状況:関西新空港建設の是非が争点に。

●第11回知事選(1987年4月12日投票) 投票率:56.65%
 岸 昌  2,224,379(66.7%)自・社・公・民・社民連推薦
 亀田得治1,112,660(33.3%)共産推薦
 政治状況:売上税、与野党相乗りの是非が争点に。

●第12回知事選(1991年4月7日投票) 投票率:49.68%
 中川和雄2,064,708(68.2%)社会・民社・社民連・進歩推薦、自・公支持
 角橋徹也 964,554(31.8%)共産推薦
 政治状況:岸不出馬・中川擁立に至る過程でオール与党内部の確執が顕在化。

●第13回知事選(1995年4月9日投票) 投票率:52.27%
 横山ノック1,625,256(48.2%)無所属
 平野拓也1,147,416(34.1%)自民・新進・社会・さきがけ・公明推薦
 小林勤武 570,869(16.9%)共産推薦
 他2名   21356+4548
 政治状況:ヤミ献金疑惑による中川不出馬で新人同士の争いに。タレント候補がオール与党批判票を一気に取り込む。

●第14回知事選(1999年4月11日投票) 投票率:53.24%
 横山ノック2,350,959(67.6%)無所属
 鰺坂 真  920,432(26.5%)共産推薦
 他7名    80161+25823+25311+19603+18834+18385+16351
 政治状況:財政再建が主な争点に。

●第15回知事選(2000年2月6日投票) 投票率:44.58%
 太田房江1,380,583(46.0%)自(本部)・民・公・由・改革ク推薦
 鰺坂 真1,020,483(34.0%)共産推薦
 平岡龍人 574,821(19.1%)自民(府連)・自由連合推薦
 他1名   26,781
 政治状況:セクハラでノック退陣。中央政界による頭越しの太田擁立工作に自民府連が反発、分裂選挙に。(政党名略称・民=民主、由=自由)

●第16回知事選(2004年2月1日投票) 投票率:40.49%
 太田房江1,558,626(56.2%)自・民・公・社推薦
 江本孟紀 670,717(24.2%)無所属
 梅田章二 505,167(18.2%)共産・新社会推薦
 他2名   25851+13885
 政治状況:民主党進出・二大政党制定着。但し大阪では江本人気は空振りに終わる。

●第17回知事選(2008年1月27日投票) 投票率:48.95%
 橋下 徹1,832,857(54.0%)自民・公明(共に府連)推薦
 熊谷貞俊 999,082(29.5%)民主・社民・国民新党推薦
 梅田章二 518,563(15.3%)共産・新社会推薦
 他2名   22154+20161
 政治状況:裏金疑惑による太田不出馬で新人同士の争いに。偽「官僚政治批判」ポーズと自公の政党隠しで橋下が票を掠め取る。

※参考文献:大都市圏選挙研究班2006「大都市圏における選挙・政党・政策(続)―大阪都市圏を中心に―」(関西大学法学研究所研究叢書・第32冊)(記事添付画像参照)、並びに大阪府選管資料。


 上記データでもう一目瞭然でしょう。70年代の保革対決時代には60%台を保っていた投票率が、革新自治体崩壊後のオール与党体制の下での馴れ合い・内ゲバ政治の長期化と、今に続く小選挙区制・二大政党制(オール与党体制の全国化)の下で、有権者が次第に政治に愛想を尽かし、40%台にまで落ち込んできた事が。この前の橋下人気で投票率が前回よりもアップしたと言っても、若干持ち直したに過ぎないだけでなく、あの横山ノックが235万票獲得しての当選時(第14回知事選)ですら、投票率自体は70年代~80年代前半からはグンと下がっているのですから。
 そもそも橋下が集めた183万票が化け物だというのであれば、かつて六党を相手に共産党と革自連だけの推薦で当時の黒田了一知事が1979年の府知事選で集めた167万票は、あれは一体何なのか。183万票よりは多少見劣りするものの、橋下みたいに政権党がバックについていた訳ではないこの票も、同じく化け物として評価されなければオカシイ。しかし当時のマスコミは、この事実には目もくれず、「保守・中道時代」の到来を煽っていただけではなかったのか。

 要は、80年代以降、政治茶番劇の進行・重症化の下で、自民党政治への不満や生活困窮に対する大衆の怒りが、それまでの様にストレートに政治変革の方向に向かうのではなく、棄権層の増大や際物タレント候補の大量得票という歪んだ形で現われるようになってしまった―という事です。その際物タレント候補が、たまたま大阪では西川きよしや横山ノック、東京では石原慎太郎、宮崎では東国原英夫、青森県八戸市ではエロ保守二世議員だったというだけの話です。90年代以降における共産党推薦候補の得票減少に、それが如実に現われています。
 それを恰も、大阪人の大多数が知名度やイメージだけで投票するかの如く捉えた上記新聞記事は、余りにも皮相的な物の見方に終始したものであると言わざるを得ません。大阪人が全て吉本興業の信奉者でもなければ、阪神タイガースのファンでもありません。大阪人みんながケチでイラチな訳でもありません。上記記事は、吉本人気に悪乗りしての、安易でステレオタイプなレッテル張りでしかありません。

 それよりも、もっと肝心なのは、「何故大衆が悪政に対する怒りをそういう歪んだ形でしか表出する事が出来なくなったのか?」という事です。それに対しては、私は以下の様に推測しています。

(1) 高度経済成長の終焉に伴う世論の保守化(70年代後半)。第9回知事選で黒田革新府政が倒された頃から、選挙の争点が徐々に変ってきました。それまでの公害問題や老人医療費の無料化に代って、関西経済の地盤沈下や関西新空港建設などが世間の耳目を集める様になりました。その中から「地盤沈下への恐れ→関西復権を希求→自民党・関西財界への擦り寄り」という流れが生まれてきたのでは。しかし、実際にはそれは財界の一人勝ちでしかありませんでした。

(2) 保守勢力による「革新」イメージの取り込み(80年代以降)。それまでは「革新」とか「改革」というのは革新政党の十八番であったのが、80年代に入ってからの臨調行革以降は、保守勢力の側が「改革」を口にするようになり、いつしか「革新」が死語になってしまいました。狡猾な保守勢力が、実際には反動や歴史の退歩でしかないものを、「改革」と言いくるめるのに成功してしまったのです。皇国史観の持ち主でありながら社公民三党に担がれ「革新系候補」を僭称した岸昌(第9回知事選)や、「岩国市民は国策に逆らうな」発言に見られる如くズブズブの保守反動にしか過ぎないくせに、そんな事はオクビにも出さずに「笑顔・子育て・トライ」をキャッチフレーズに当選した橋下徹(第17回知事選)などは、正にその典型です。

(3) 中曽根行革による社会党・総評ブロック(55年体制)骨抜き・解体の総仕上げ(80年代)。革新自治体潰し(TOKYO作戦)、社公合意による社会党右転落、国鉄分割民営化と歩調を合わせた国労・総評解体、右翼的労戦再編によって、社会党の解体、現代に至る保守二大政党制の下地が、この時に作られました。

(4) 「ベルリンの壁」・ソ連崩壊と中国の六四天安門事件(80年代末)。いずれも、社会主義の理想とは一切無縁の、スターリン体制の崩壊劇だった訳ですが、これが社会主義や左翼そのものの権威失墜であるかの様な宣伝が流布されました。それが社会党の解体に更に拍車をかけ、今の民主党の結成に繋がりました。

(5) 偽「政治改革」による保守二大政党制の確立(90年代以降)。当時のリクルート事件に見られる政治的腐敗が、元々は自民党政治の下での政・官・財癒着に起因するものであるにも関わらず、それが恰も中選挙区制に原因があるかの様に、問題が摩り替えられました。その下で、当時既に大臣病亡者に成り下がっていた社会党は、細川政権と村山・橋本二代の自・社・さ連立政権の時代を経て、完全に解体されてしまい、その主流は民主党に収斂されてしまいました。

(6) 保革対立の「消滅」(90年代以降)。実際には<新自由主義・格差社会vs生存権・フェアトレード・勤労生活者同士の連帯>や<米国流”テロとの戦い”vsイラク反戦>という形で、保革対立は厳然として存在しているのにも関わらず、それがまるで恰も雲散霧消してしまったかの様な宣伝が、広汎に行き渡ってしまっています。その下で、大衆は次第に「諦め」の心境に落とし込められ、悪政に対する怒りがそのまま支配階級に向けられる事なく、「ワーキングプアは自己責任」「公務員・労組・高齢者バッシング」等の言説に絡め取られて、「下見て暮らせ傘の下」の分断統治の枠内に押し止められてしまっています。例えば年金問題の不祥事一つとってみても、それに対する怒りを「社保庁の木端役人叩き」だけに流し込み、グリーンピア利権を巡るゼネコンとの癒着や高級官僚の天下りなどから目を逸らさせる様な、巧妙な仕組みが作られています。「誰か毛色の変わった有名人に身を託し、それでウサ晴らしするしかない」風潮も、そんな中から生まれてきたのです。

 これら全ての要素が互いに複雑に絡み合って、「お笑い百万票」なる現象が生まれてきたというのが、私の大まかな見立てです。では、どうすればそういう現象を乗り越えて行く事が出来るのか? それは私にも分かりません。その答えが直ぐに出る位なら、社会はとうにもっと良くなっている筈です。しかし少なくとも、「前回と比べて何票伸びた」で一喜一憂しているレベルに止まるのではなく、もっと大きな世の中の流れから、それを考えていかなければならない事だけは確かな様です。
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする