中山成彬の件で、しつこいようですが、あともう少しだけ。実を言うと、こちらもこの件で手を煩わされて、いい加減迷惑しているのです。でも、どうしても言っておかなければならない事なので、睡眠時間を削ってでも、敢えてこの件に拘っているのです。そういう事なので、もう後は手短にまとめます。
国土交通相辞任に追い込まれた中山成彬が言った事の、一体何が問題だったのか。確かに、中山が口にした、「成田空港反対派はゴネ得」「日本は単一民族国家」「日教組が強いと低学力」の、それぞれの発言自身も、いずれも事実に反した、デマゴギーともいうべきものでした。最後の「日教組が強いと低学力」というのも、その論拠は全くデタラメでした。
しかし、仮に百歩譲って、如何にトンデモな発言であったとしても、中山成彬の立場からすれば、「自身の考え方を開陳したまでだ」と逃げおおせる事は、まだ可能でした。たとえ、中山自身が下記で白状したように、「日教組組織率と学力テスト順位の相関関係なども、実はどうでも良い、単なる言い掛かりでしか無かった」という事であっも。
・中山氏「言葉狩りだ」テレビで強弁 一夜明け、憔悴どころか(産経新聞)
>ただ具体的な根拠は示さず、全国学力テストの成績が下位で、日教組の組織率が低い大阪府に言及し「組織率(の問題)ではない」「文部科学相時代には大阪に行っていない。日教組が入らせなかった」と話すにとどまった。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080929-00000096-san-pol
だから、先日のエントリーでも引用した「日教組組織率と学力テスト順位の間に相関関係無し」という朝日新聞記事の真偽について、産経新聞や中山支持者が何やら巻き返しに出ているようですが、実はそれすら今回の事件の本質ではないのです。
「日教組が強いと低学力」というトンデモな思い込みを開陳した限りでは、まだ「あれは失言だった」として、謝罪でお茶を濁す事も可能でした。ところが、その後、中山はどうしようもない事を言ってのけたでしょう。「日教組をぶっ潰す」と。
「日教組は、学力テストや道徳教育に反対して、ケシカラン、偏向している」と言うまでなら、如何にそれが事実に反していようと、「あくまでも中山イズムの偏向イデオロギーに則って考えれば」という事で、まだ解釈(言い逃れ)の余地はありました。
しかし、前段の物言いまでならまだしも、その己の偏狭な中山イデオロギーの開陳に止まっていたものを、その後の「こんなケシカラン日教組は、俺がぶっ潰してやる」とまで言ってしまった事で、完全に言い逃れが出来なくなりました。
当然でしょう。それは、自分たちの身に即して考えれば、直ぐに分かります。
仮に二人の人間が互いに罵り合っていたとしましょう。「お前のどこそこが気に入らない」と罵り合っている程度であれば、たとえ、その内容がもう言い掛かりでしかないトンデモな代物であったとしても、まだ罵倒の範囲内です。
しかし、ある一線を越えて、どちらかが「お前みたいな奴は殺してやる」と言ってしまったとしたら、どうなるでしょうか。その時点で、それは単なる「売り言葉に買い言葉」から、れっきとした「脅迫・恐喝罪」に変わってしまうのです。
中山が口にした「日教組をぶっ潰す」という暴言が、正しくそれではないですか。「道徳教育反対、学力テスト反対がケシカラン」と言うに止めているならば、まだしも「偏狭・中山イデオロギーの開陳」で済んでいたものを。
相手の掲げている政綱なり運動方針なりが気に入らないからといって、特定の労組をいきなり名指しして、その存在自体を認めようとしない。これが中山発言の本質です。これを「不当労働行為」「労組弾圧」「結社の自由に対する侵害」と呼ばずして、一体何と言うのか。
中山というのは、つくづく、民主主義のイロハさえ弁えない御仁だという事が、これで明らかになりました。何が「言葉狩り」か。中山に向けられた当然の批判が仮に「言葉狩り」だとするならば、中山当人が放った「日教組をぶっ潰す」発言こそ、「言葉狩り」のレベルを遥かに超えた「思想弾圧」そのものではないか。
他者に対する思想差別・思想弾圧を肯定する以上は、自身についても「一切何をされても異議ありません」という事でなければ、理屈が通らなくなりますね。そうでなければダブル・スタンダード(身びいき)になってしまうからね。
この御仁は、あくまでも現段階についてですが、厚顔無恥にも、来る解散総選挙で衆院小選挙区の宮崎1区から引き続き出馬するそうです。
一体どの面下げて出馬出来るのか、私には想像も付きませんが、若し選挙遊説中に、誰かから「気に食わないから」という理由だけで、卵をぶつけられたり撃ち殺されたりしても、一切文句を言わないのでしょう。
何せ「気に食わない相手はぶっ潰せ」という、ネオナチばりの考え方の持ち主なのですから。自分が同じ事をされても、当然文句はない筈です。
若しそれが嫌であるならば、少なくとも、それまでの日教組に対する一連の暴言は、全て撤回の上、日教組にきちんと謝罪すべきでしょう。そして当然、議員辞職でケジメをつけるべきでしょう。
しかしまあ、流石に閣僚辞任には追い込まれたものの、こんなネットウヨ崩れでも簡単に政治家に成れる国というのも、ある意味凄いと言うか・・・。
(追記)
その中山成彬ですが、閣僚辞任に続いて政界引退をも表明する所まで追い込まれました。恐らく、地元支援者からも三下り半を突きつけられての結果でしょう。当然の報いです。
元々は一介の道路族議員にしか過ぎなかったくせに、イッパシの「愛国者」気取りで日教組バッシングに乗り出してみたものの、実際には誰もついて来なかった。
恐らく当人たちは、今回の事態について、この期に及んでもまだ「反日左翼の陰謀に嵌められた」ぐらいにしか理解出来ないのでしょうが。実際は安倍退陣の場合と全く同じで、その余りの時代錯誤ぶりや、国民生活の困窮も一切顧みずに徒に「改憲ごっこ」ばかりに現を抜かすジコチューぶりに、みんな辟易していただけなのに。
国土交通相辞任に追い込まれた中山成彬が言った事の、一体何が問題だったのか。確かに、中山が口にした、「成田空港反対派はゴネ得」「日本は単一民族国家」「日教組が強いと低学力」の、それぞれの発言自身も、いずれも事実に反した、デマゴギーともいうべきものでした。最後の「日教組が強いと低学力」というのも、その論拠は全くデタラメでした。
しかし、仮に百歩譲って、如何にトンデモな発言であったとしても、中山成彬の立場からすれば、「自身の考え方を開陳したまでだ」と逃げおおせる事は、まだ可能でした。たとえ、中山自身が下記で白状したように、「日教組組織率と学力テスト順位の相関関係なども、実はどうでも良い、単なる言い掛かりでしか無かった」という事であっも。
・中山氏「言葉狩りだ」テレビで強弁 一夜明け、憔悴どころか(産経新聞)
>ただ具体的な根拠は示さず、全国学力テストの成績が下位で、日教組の組織率が低い大阪府に言及し「組織率(の問題)ではない」「文部科学相時代には大阪に行っていない。日教組が入らせなかった」と話すにとどまった。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080929-00000096-san-pol
だから、先日のエントリーでも引用した「日教組組織率と学力テスト順位の間に相関関係無し」という朝日新聞記事の真偽について、産経新聞や中山支持者が何やら巻き返しに出ているようですが、実はそれすら今回の事件の本質ではないのです。
「日教組が強いと低学力」というトンデモな思い込みを開陳した限りでは、まだ「あれは失言だった」として、謝罪でお茶を濁す事も可能でした。ところが、その後、中山はどうしようもない事を言ってのけたでしょう。「日教組をぶっ潰す」と。
「日教組は、学力テストや道徳教育に反対して、ケシカラン、偏向している」と言うまでなら、如何にそれが事実に反していようと、「あくまでも中山イズムの偏向イデオロギーに則って考えれば」という事で、まだ解釈(言い逃れ)の余地はありました。
しかし、前段の物言いまでならまだしも、その己の偏狭な中山イデオロギーの開陳に止まっていたものを、その後の「こんなケシカラン日教組は、俺がぶっ潰してやる」とまで言ってしまった事で、完全に言い逃れが出来なくなりました。
当然でしょう。それは、自分たちの身に即して考えれば、直ぐに分かります。
仮に二人の人間が互いに罵り合っていたとしましょう。「お前のどこそこが気に入らない」と罵り合っている程度であれば、たとえ、その内容がもう言い掛かりでしかないトンデモな代物であったとしても、まだ罵倒の範囲内です。
しかし、ある一線を越えて、どちらかが「お前みたいな奴は殺してやる」と言ってしまったとしたら、どうなるでしょうか。その時点で、それは単なる「売り言葉に買い言葉」から、れっきとした「脅迫・恐喝罪」に変わってしまうのです。
中山が口にした「日教組をぶっ潰す」という暴言が、正しくそれではないですか。「道徳教育反対、学力テスト反対がケシカラン」と言うに止めているならば、まだしも「偏狭・中山イデオロギーの開陳」で済んでいたものを。
相手の掲げている政綱なり運動方針なりが気に入らないからといって、特定の労組をいきなり名指しして、その存在自体を認めようとしない。これが中山発言の本質です。これを「不当労働行為」「労組弾圧」「結社の自由に対する侵害」と呼ばずして、一体何と言うのか。
中山というのは、つくづく、民主主義のイロハさえ弁えない御仁だという事が、これで明らかになりました。何が「言葉狩り」か。中山に向けられた当然の批判が仮に「言葉狩り」だとするならば、中山当人が放った「日教組をぶっ潰す」発言こそ、「言葉狩り」のレベルを遥かに超えた「思想弾圧」そのものではないか。
他者に対する思想差別・思想弾圧を肯定する以上は、自身についても「一切何をされても異議ありません」という事でなければ、理屈が通らなくなりますね。そうでなければダブル・スタンダード(身びいき)になってしまうからね。
この御仁は、あくまでも現段階についてですが、厚顔無恥にも、来る解散総選挙で衆院小選挙区の宮崎1区から引き続き出馬するそうです。
一体どの面下げて出馬出来るのか、私には想像も付きませんが、若し選挙遊説中に、誰かから「気に食わないから」という理由だけで、卵をぶつけられたり撃ち殺されたりしても、一切文句を言わないのでしょう。
何せ「気に食わない相手はぶっ潰せ」という、ネオナチばりの考え方の持ち主なのですから。自分が同じ事をされても、当然文句はない筈です。
若しそれが嫌であるならば、少なくとも、それまでの日教組に対する一連の暴言は、全て撤回の上、日教組にきちんと謝罪すべきでしょう。そして当然、議員辞職でケジメをつけるべきでしょう。
しかしまあ、流石に閣僚辞任には追い込まれたものの、こんなネットウヨ崩れでも簡単に政治家に成れる国というのも、ある意味凄いと言うか・・・。
(追記)
その中山成彬ですが、閣僚辞任に続いて政界引退をも表明する所まで追い込まれました。恐らく、地元支援者からも三下り半を突きつけられての結果でしょう。当然の報いです。
元々は一介の道路族議員にしか過ぎなかったくせに、イッパシの「愛国者」気取りで日教組バッシングに乗り出してみたものの、実際には誰もついて来なかった。
恐らく当人たちは、今回の事態について、この期に及んでもまだ「反日左翼の陰謀に嵌められた」ぐらいにしか理解出来ないのでしょうが。実際は安倍退陣の場合と全く同じで、その余りの時代錯誤ぶりや、国民生活の困窮も一切顧みずに徒に「改憲ごっこ」ばかりに現を抜かすジコチューぶりに、みんな辟易していただけなのに。