アフガン・イラク・北朝鮮と日本

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これでは共闘とは言えない

2008年10月14日 22時38分02秒 | 映画・文化批評
 前号エントリー記事の続編です。10月11日当日午前中の「蟹工船」映画上映会に続き、午後からは次の映画上映までの約1時間余りの間に、浅尾大輔氏の関連講演が行われました。
 そこでは、前号でも少し登場した雑誌「ロスジェネ」の浅尾編集長が、自己紹介や今までの労働相談を交えて、今の民間や公務職場で働く派遣・請負労働者の悲惨な境遇について語っておられました。

 労働相談の事例紹介コーナーでは、某財団法人の業務を請け負っている労働者が、請負会社から1ヶ月毎に契約更新させられた挙句に、同業他社との落札競争に負けた結果(こんなもの雇用者側の勝手な都合でしょうが)、契約期間も満了していないのに突然解雇された話などが紹介されました。その契約内容たるや、就業場所が明示されていないばかりに、何と海外出張までさせられていたというのには、流石に私も驚かされました。
 正規職員以上の仕事を、業務請負のパートに低賃金で散々させておいて、それで口頭でいきなり解雇という、正しく官製ワーキングプアの典型例です。得てしてマスコミは、高級官僚の天下りも、こういう官製ワーキングプアも、全て十把一絡げにした上で、後者ばかりをスケープゴートに仕立て上げて、庶民の目を逸らそうとします。その一方で、政府・財界とつるんだ前者に対しては、形ばかりの追及でお茶を濁し、ホトボリ冷めればもう事実上お咎めなしで済ましているのですから、いい気なモンです。現在この請負会社の従業員は、組合に結集して闘っているそうです。

 そういう話の中で、浅尾氏が「たかじんのそこまで言って委員会」という、「ネオコン・ネオリベ・ネットウヨク」ヨイショの右寄り番組に出演し、「蟹工船」の話をして「精神論者(たかじんたちホスト側を指す)とも共闘出来た」と言っていたのですが、私はこれについては大いに異議ありです。
 この番組のくだんの場面(今年6月8日放送分)は、確かに私もたまたま見ていたようで、「ああ、あの場面か」と直ぐにピンと来ましたが、お世辞にも「共闘出来た」などとは、到底言える代物では無かった様に思います。

※問題の討論は、上記リンク先ブログの、3つ並んだ動画のうちの「上段」動画の5分過ぎから、「中段」動画の9分過ぎぐらいまでの、30分間余りに渡って行われています。

 まあ、私がここで彼是言うよりも、百聞は一見にしかずで、実際に当該動画を視聴してみたら良い。勝谷誠彦にしても、三宅久之や金美齢にしても、自分たちが若い頃の、時代背景も経済環境も全く異なる時代の狭い経験や、一知半解な知識だけに基づいて、バカウヨ親父の「精神論・根性論」丸出しの俗説を、ただ垂れ流しているだけだという事がよく分かります。
 それに対して浅尾氏は、今のワーキングプアの置かれた現状を、一つ一つ事実に基づいて懇切丁寧に説明されていました。私からすれば、まともな登場人物は浅尾氏一人だけで、後は全て「付け足し」でしかない。

 あれでは、お世辞にも「精神論者との共闘成立」とは、とても言えません。
 「精神論者」たちはと言うと、いつもの「俺の若い頃は」云々を散々繰り返した後に、果ては「怠け者は蟹工船や自衛隊に入れて鍛えろ」と、もう厨房発言丸出しで、最後まで議論がすれ違いに終わっていただけではないですか。そもそも、当事者間に一定の下地(共通認識や要求の一致)や共同の意思が無ければ、共闘なんて成立しません。
 しかし、そうは言っても「ホスト」としての立場上、自ら呼んだ「ゲスト」を完全に無碍にも出来ないので、最後の最後で形式上エールを送った形にして、何とか辻褄を合わせただけではないですか。

 だから、11日の講演会での浅尾氏の「共闘成立」との評価は、余りにも甘過ぎ。それよりも寧ろ、当該雑誌「ロスジェネ」秋葉原事件特集別冊での、増山編集委員の下記評価の方が、実態に即していると思いました。

―たぶん、その勝谷さんや三宅さんのまわりには、本当に苦しんでいる若い人たちが見えないんじゃないかと思いますね。ある程度、成功したと自分で思っていたりすると、いいお店しか行かなかったりとか、お金持ちの友だちしかいなかったりとか、 それってジャーナリストとして終わりだと思うんですけど 。もっと、この国のいろんな細部で起こっている軋みや悲鳴をちゃんと聞かないといけないと思うんですけど。だから、たかじんさんの番組に出ていた人たちは、ガチで現場を知らないんじゃないかな。
 あと、テレビというなかで、かっこいいことを言わなきゃとか、喧嘩の図式にした方が面白いショーになるんじゃないかとか、そういう打算とか計算もあったと思います。それだと、テーマの深刻さに反して、何かものごとの本質がずれてくる気がしますよね。何でもバラエティ化してしまうということになると。―(P.14、但し色字での強調処理は引用者が施したもの)

 あと、勝谷が討論終盤間近で口にした、「官公労=既得権擁護に走る労働貴族」的な物言いに対して一言。
 確かに一般論で言えば、既存の官公労が、それまでの既得権を守るのに汲々として、結果的に官製ワーキングプアを容認してきたのは事実です。その上に立って、その個別具体的な「既得権」批判の公正な吟味が次に必要ですが、仮にその批判を100%認めたとしても。
 では逆に聞きますが、「飴とムチで、労働運動をそういう風に歪めてきたのは、一体誰なのか?」と。「戦後の逆コースの中で、公務員からスト権を剥奪したのと引き換えに、飴玉しゃぶらせて労組を腐敗させてきたのは、他ならぬ手前たちの方じゃないか」と。「お陰で、こちらは労組内部の建て直しに苦労する破目になったが、それはあくまで弱点克服の新たな糧として、我々の課題として取り組んでいく」「真摯な批判には我々も向き合うが、”為にする批判”には取り合わない」と。

(関連記事)
・まんが蟹工船
 http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/715f2d0c3f0d9ebfd0aad471878851b4
・ニセモノ蟹工船には要注意
 http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/24e6d2919d3af192b14ec00465dcaf2d
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ニセモノ蟹工船には要注意

2008年10月14日 08時20分39秒 | 映画・文化批評
蟹工船・党生活者 (新潮文庫)
小林 多喜二
新潮社

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 遅くなりましたが、10月11日(土)に行われた「蟹工船」映画上映・講演会について簡単に報告しておきます。当該の催しは大阪市の鶴見区民センターでありました。今何かと話題の、小林多喜二原作のプロレタリア小説「蟹工船」の映画上映と、作家・雑誌「ロスジェネ」編集長の浅尾大輔氏による関連講演会です。主催したのは大阪の地域労組が中心になって作られた上映実行委員会。当日は映画と講演の二本立てで、午前中に映画上映、午後1時から浅尾氏の講演、2時半から再び同じ映画の上映というスケジュールでした。
 私は、たまたまバイト定休日の11日に、この催しがある事を数日前に知り、飛び入りで午前中の映画上映と午後からの講演に参加しました。会場となったセンター2階の大ホールには、100名ぐらいの方が来られていました。

 上映された映画は、戦後間もない1953年に製作された、山村聡・監督作品のモノクロ映画です。大分古い映画なので、正直言って、字幕は読みにくく配役の言葉も聞き取りづらかったです。既にYouTubeでも映画全編が視聴出来ますので、サワリの部分から下記にアップしておきます。それで、まずは映画の雰囲気を掴んでいただければと思います。

kani-kou-sen(01/11)


※注1:この「kani-kou-sen」の全編(01/11~11/11)については、改めて下記URLをクリックして視聴して下さい。
 http://jp.youtube.com/watch?v=eIceiSYCLxU&feature=related
※注2:これとは別に、ブックトレイラー(本の動画予告)の「蟹工船」もYouTubeに流れていました。それは下記URLをクリックすれば視聴出来ます。現代人にはこちらの方が見やすいかも。
 http://jp.youtube.com/watch?v=EPZGsODiYM4&NR=1
※注3:映画「蟹工船」上映委員会のサイトもあります。
 http://plaza.rakuten.co.jp/kanikousen/

 まあYouTubeでも視聴出来るのであれば、何もわざわざ現地まで見に行くことも無かったかも知れません。しかしそれでも、見るだけの価値はありました。
 何よりも、映画を見た事がキッカケで、改めて小説(新潮文庫版)を読み直す事になり、それまでの漫画版だけの知識によるいい加減な先入観を払拭する事が出来ました。この際恥を忍んで書きますが、私は「蟹工船」については、文庫版も大昔に読んだ事があるものの、最近はブーム以降に出始めた漫画版(それもどちらかと言うと亜流のイースト・プレス版)を見ただけで、「蟹工船」を再認識したつもりでいました。

 その漫画を見て書いた最初の記事が今年2月23日付の「まんが蟹工船」ですが、私はその時点では、嵐でロシア沿岸に漂着した漁夫の一団が、現地でオルグされた事が、後のストライキの直接のキッカケになったと、誤解していました。
 確かにその前段で、脱走を企てた雑夫(雑用係の労働者)が鬼監督によって便所にずっと閉じ込められたり、病気で作業中に倒れた学生雑夫が見せしめの為に首に罪状ぶら下げられて晒し者にされたり、脚気で死んだ学生雑夫がまともな葬式もされずにボロ袋にくるまれて海に投げ捨てられたり、監督にピストルで脅され「大焼き」まで入れられたり、そういうのが背景にある事も一応は原作に沿って書かれていましたが、あの書き方では、あくまでも直接のキッカケは漂着時に受けたオルグだというストーリーになっていましたから。

 しかしその後、他の漫画を読み、文庫も改めて読み直した結果、それはあくまでもキッカケの一つでしかない事が分かりました。
 前述の漂着時以外にも、発動機船のスクリュー修繕の為に何人かが陸に上がった時に、そのうちの一人が共産主義のパンフレットをこっそり持ち帰り、船内でみんなに回し読みされた事も、後の決起の遠因となります。また、仕事中の仲間同士の罵り合いの中で、一人が何気なしに発した「威張んな、この野郎!」という言葉が、次第に喧嘩とは無関係の流行り言葉となって、船内に広がっていった事も、そのキッカケになっています。そして何よりも、大嵐の日に鬼監督の浅川が、突風の警報が出ていたのも無視して、労働者に出漁を強いた事が直接の引き金となり、「殺されたくないものは来たれ!」という事で、自然発生的に船内全体にストライキが広がっていったのです。

 この他にも、イースト・プレス版の漫画には、原作を「改竄」した箇所が幾つもあります。
 まず何よりも、当該漫画では、原作には登場しない主人公(森本という雑夫)を中心としたものに、ストーリーが変えられています。この小説の醍醐味は、特定の英雄ではなく労働者集団全体が、生活し働き痛めつけられる中で次第に闘いに決起していく様が、生き生きと描かれている所にこそ在るのに。
 この小説には、悪役(鬼監督・浅川)や、個々の登場人物(数人の学生上がり、ドモリ、元・炭鉱夫、元・芝浦工員、「威張るな」の雑夫たちや、船長、駆逐艦の水兵たち、等々)は出てきても、明確な主人公は居ないのです。それをイースト・プレスの漫画では、確かに主人公を設定したお陰で読みやすくなってはいましたが、その分逆に集団全体の躍動感が見えなくなってしまっているのです。

 原作の方では、それを例えば、嵐に遭遇した船が「ぐウと元の位置に沈む」度に「エレヴエターで下りる瞬間の、小便がもれそうになる、くすぐったい不快さをその度に感じた」という擬態表現を多用する事で、主人公不在に代わる以上の躍動感・臨場感で、読者をグイグイと作品世界に引き込んで行くのです。
 他にも傑作なのが、時化の所為で賄いに汁物が出なかったのに対して、ある雑夫が(防腐の為に塩漬けにした魚でさえ腐るほど、とんでもない事―という意味で)「腐れ塩引き」と愚痴る場面があるのですが、それが漫画では「実際に腐った塩漬けを毎日食わされる」事になっている。確かに、置かれた状況はその通りなのですが。

 この様に、漫画には原作の小説を改竄された箇所が何箇所もあるのです。「蟹工船」がブームになるに従って、このイースト・プレス以外にも、東銀座出版社や宝島社、小説版元の新潮社からも、多くの「蟹工船」漫画が出版されていますが、私の知る限りでは、東銀座出版社の「30分で読める・・・大学生のためのマンガ蟹工船」が、一番作品世界を忠実に再現出来ている様に思います。
 新潮社の週刊「コミック・パンチ」連載漫画は、前評判が上々だったので初回と第3話だけを買って読んで見ましたが、巻末解説の余りのデタラメぶりにドン引きしてしまい、後は読まず終い。「この”飽食の時代”に(アホかwでは何でこれだけ生活保護難民やネットカフェ難民が話題に上るのか)何故こんな小説が流行るのか?」「資本主義は何も悪くない、悪いのはごく一部の経営者だ」と、一事が万事こんな調子なのですから。宝島社の方は本日改めて見て見ようと思っていますが、余り期待していません。何と、最大のモチーフである悪役の鬼監督の氏名まで改竄されているのですから(浅川→罰河原赤蔵とかいう、如何にもソレッぽい名前にw)。

 「蟹工船」の魅力は、そういう集団が織り成す躍動感の他に、監督の繰り出す飴とムチによって、雑夫・水夫・火夫・漁夫同士が互いに対立・競争させられて共倒れ寸前まで働かされたりする所などが、現代の派遣請負職場や成果主義蔓延のオフィスとソックリなので、これだけブームになっているのです。決して、中国・文化大革命時代や今の北朝鮮の「革命劇」の様な、只のイデオロギーてんこ盛り物語ではありません。
 常に前年比・昨対比の数値で成果を競わされ、実際に浅川監督みたいなのも居て、パワハラ・セクハラも別に珍しい事ではない今の現代日本の職場も、「蟹工船」と一体どこが違うのか。私はこの映画・小説を見て、一瞬「いずみ生協」に居た頃を思い出しました。

 ただ、以上の様なウソっぽいモノも含めて、漫画や映画が数多く出てくる事は、非常に良い事だと私は思っています。たとえそれがどれだけウソっぽいイミテーションであったとしても、その事で更に話題が広がり、作品世界が豊かに肉付けされて行くのですから。
 あのイースト・プレス版にしても、映画では一切出て来ず、原作の小説ですら(検閲対策の為に)最後に申し訳程度に登場するだけの「二度目のストライキの成功秘話」が、逆に結構詳しく描かれていて、非常に面白かった。

 それと、原作終盤近くに登場の、駆逐艦の水兵たちによって一度目のストライキが無残に鎮圧され、帝国主義軍隊の「資本家の下僕ぶり」が誰の目にもハッキリした後に、「(天皇への献上品の蟹缶詰に)石コロでも詰めておけ!」と雑夫たちが言う場面が、東銀座出版会の漫画を除いて、イースト・プレスやコミック・パンチの漫画はおろか、11日の上映映画にも一切描かれていなかったのは、一体何故か。あれこそが、原作を原作たらしめている一つの大きなモチーフなのに。若しもそれが、かつての本宮ひろ志・原作の漫画「国が燃える」弾圧事件の二の舞を避けるという「後ろ向き」の動機で為されたものだとするならば、非常に憂慮すべき事です。

 兎に角「蟹工船」は、主菜はあくまで原作の小説であって、漫画はあくまで副菜・サプリメントとして利用すべしというのが、私が当該映画を見ての結論です。何か、肝心の映画評そっちのけで漫画談義に流れてしまった様ですが。
 この後に行われた、午後からの浅尾大輔氏の「蟹工船」講演会についても、実は言いたい事が幾つかあるのですが、そこまで書いていると余りにも話が長くなり過ぎるので、こちらは次号エントリーで書く事にします。

劇画「蟹工船」 小林多喜二の世界 (講談社プラスアルファ文庫)
白樺文学館多喜二ライブラリー (企画),藤生 ゴオ (作画),小林 多喜二 (原作)
講談社

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劇画 蟹工船 覇王の船 [宝島社文庫] (宝島社文庫 C い 1-1) (宝島社文庫)
イエス小池,小林多喜二(原作)
宝島社

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