アフガン・イラク・北朝鮮と日本

黙って野垂れ死ぬな やられたらやり返せ 万国のプレカリアート団結せよ!

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 アフガン・イラク戦争も金正日もNO!!搾取・抑圧のない世界を目指して、万国のプレカリアート団結せよ!

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これがこの国のやり方なのか

2011年05月26日 22時53分13秒 | 監視カメラよりも自由な社会に
 5月20日に東京高裁でムチャクチャな弾圧が行われたようです。成田空港の滑走路延長コースの先にある団結小屋(天神峰現闘本部)の行政代執行を巡る控訴審で、反対派原告の控訴申し立てを裁判所が門前払い、それに抗議し、原告弁護団による執行停止手続きが終わるまで裁判所内で待機していた原告・支援者を、不退去罪の名目で公安警察が一斉逮捕。そのうちの一部は処分保留で既に釈放されたものの、残りは依然として拘留されたままだとか。
 この成田・三里塚闘争について、ここで取り上げるのは、これが初めてです。国による空港建設ごり押しには私も反対であるものの、他方で反対派の戦術や仲間割れについても、納得できない点がありましたから。でも、こと今回の件に限って見れば、不当弾圧である事は誰が見ても明らかです。
 二言目には「ルールだから守れ」「知事の言う事が聞けないのか」と、「日の丸・君が代」を強制してくるこの国で、一方では三権分立ルールの建前もかなぐり捨てて、裁判所と警察が一緒になって原告を門前払い。
 これがこの国のやり方なのか。「あれは過激派の運動だ」という事で、こんな恣意的なやり方を許してしまったら、次には反原発や、普天間基地の県内たらい回し反対、「日の丸・君が代」強制反対の声も、同じ様に弾圧されてしまいます。そうさせない為にも、この「不当弾圧」の事実を少しでも広め、ともに反対していく事が大切だと考えます。
 ただ如何せん、公式サイト(空港反対同盟のブログ)の説明だけでは、事実経過がまだよく分からないので、それが分かりそうなブログの記述を、まずは下記に抜粋しておきます。

(以下、孫引きの形になりますが、yukikoさんの日記より抜粋)
●「関実・三里塚」のブログより一部、抜粋。

今、東京地検前にいます。不当に逮捕された50人の皆さんはすでに地検に入り検察庁の取り調べに入っていると思われます。大半の人に勾留がつけられるかもしれないという報告が入りました。
20日の弾圧の様子を報告します。仮執行の停止を求める弁護団にたいして裁判長が2時間以上会おうとしないため、弁護士会館で待機していた私達は裁判所16階にある井上裁判長の属する高裁民事15部のまえに行きましが、そこにはすでに裁判所の職員やガードマン20人余りがスクラムを組み阻止線を作っていました。仕方なくその前の通路で三々五々に井上裁判長はでてこい、弁護士と話し合えなどと抗議を行っていたり、座り込んで休んでいたりしていました。そのうちに機動隊の部隊か、離れて配置につき、裁判所の職員が退去命令を何度か行い、どういう根拠からかなどとこちらも応酬。途中省略しますが、機動隊が突然、全員逮捕と叫んで襲いかかってきたのです。あとで弁護団にきくと弁護団の停止申し立てを却下する前に逮捕しないと大変な騒動になると全員逮捕という方針が出された模様で、逮捕騒ぎの最中に却下が強行された。その廊下では一人を3、4人が宙吊りにしてつぎつぎに逮捕し、さらに控え室におられた北原さんと山本先生を連行しさりました。最後に萩原さんと座り込んでいた人や車椅子の人、高齢者など13人も逮捕するとつれていかれようとしたのですが、ちょうど弁護士さんたちが裁判官との話し合いを終わってでてこられて合流しました。すると権力はしばらくして逮捕を退去に方針変更してきたのです。ここにも今回の大弾圧のいい加減さがあらわれています。おかげでこうやって報告できるのですが。

●「農家便り」鈴木加代子さんのブログより一部、抜粋。

本当に逮捕される理由がない、弁護士連が裁判長からの返事待ちしていたのを待っていただけ。
90歳以上の高齢者が3人他も平均年齢高いぞという集団でぶつかる為にいた訳じゃない。
それを3倍以上の人数で押したのは、機動隊、公安、ガードマンの方

車椅子の障害者なども数名含む集団で、大半が日比谷公園で夕方からの裁判員制度反対の集会などに参加の為立ち去っていたし。
本当に異常な弾圧で、許す訳に行かない原発廃止などを含む国の政策に逆らう事も一言いう事もけして許されない戦時下のような状態になってきたようで、恐い。
だから、本気で戦うしかない。

●「三里塚芝山連合空港反対同盟ブログ」より一部、抜粋。

5月20日、警視庁は、北原鉱治事務局長をはじめ反対同盟8人を含む数十名の仲間を逮捕するというとんでもない暴挙をおこないました。
 本日の現闘本部裁判で、井上繁規裁判長は最高裁での確定を待たずに建物の破壊撤去を認める「仮執行宣言」つきの反動判決(控訴棄却)をおこないました。とんでもない判決に対して煮えたぎる怒りの声がわき上がる中、弁護団は仮執行に対する執行停止の申立を粘り強く闘いぬいていました。
 この成り行きを見守っていた人々に対して、裁判所と警視庁が結託し、不当な逮捕、弾圧をおこなってきたのです。
 「現闘本部の破壊撤去は許さない!」という反対同盟の不退転の決意と全国からの怒りの声の前に焦りにかられた権力の弾圧にほかなりません。
 「公共」の名の下に、安全を無視して必要のない工事をおこなう成田空港建設の真の姿がここにあります。フクシマの怒りは成田の怒りです。

●「銀座のマチ弁(弁護士遠藤きみのブログ)」から一部、抜粋。

 荻原事務局次長からの説明のうち「仮執行の取り消しを申し入れるため、弁護士と一緒に裁判官へ面会を求めた」との部分は、正確には、判決言渡しの後、弁護士会館内での打合せが行われて、高裁の事件係の窓口で、上告状の提出と強制執行停止の申立書の提出をした後、高裁第15民事部に行って、代理人の弁護士さんたちが裁判長との面会を求め、その交渉が行われている間、反対同盟と支援者の皆さんは、廊下や控え室で待っていたということのようです。

 上訴に伴う強制執行停止の申立てをした時点で、代理人が裁判官との面接を求めるというのは、ごく普通のことです(執行停止の決定を認める場合には、急ぎ供託の必要のある保証金の額も決めなければならないので、どの程度の額とするのが適当かの判断との関係で、裁判所としても、申立代理人との面会をしておく必要があります。)。

 代理人が書記官室の窓口で、交渉していた間、その成行きがどうなるのか心配しながら、依頼者である反対同盟の皆さんや、支援の方々が、廊下や控え室で待っていたというのも、ごく普通のことで、裁判所が警視庁に連絡して大勢の警察官が来て、いきなり「不退去」の現行犯として50名全員を逮捕して、一人ずつ別の警察署に連行というのは、余りにもおかしな話です。

 恐らく、こういう筋書きは、事前に計画されていたことで、反対同盟の皆さんと代理人の弁護士さん及び支援の皆さんは、空港会社、裁判所、警視庁が準備していた「罠」にアッサリ嵌ってしまったということなのでしょう。

●「千恵子@詠む...」より一部、抜粋。

当日参加したひとの話では、傍聴希望者は140人いたとのこと。いまどきの中核派が平日の裁判所に、そんな大人数を集められるわけないじゃないの。

ツイッター情報では、「逮捕された50人の中には裁判所内の待合室で抗議行動が終わるのを待っていただけの人も。帰ろうとするのをエレベーターのところで邪魔して1時間半も拘束したあげくの逮捕。「不退去罪」というが、真逆」という発言もある。

少なくとも逮捕された50人全部が中核派じゃないだろうに。勝手に決めつけ=分断しないでよ。

わたしは中核派を支持するものではないが、嘘=デマゴギーは許せない。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


ではマスコミのかたよった報道の一部を。

●テレビ朝日5月21日

成田空港の用地に空港反対派が設けた小屋の撤去をめぐる裁判で、判決に抗議するために裁判所内に居座ったとして反対派の代表ら50人が現行犯逮捕されました。

 警視庁によると、三里塚・芝山連合空港反対同盟の代表・北原鉱治容疑者(89)や中核派活動家ら50人は20日午後6時ごろ、東京高等裁判所の職員に建物から出るように警告されたにもかかわらず、居座った疑いが持たれています。東京高裁ではこの日、反対同盟が成田空港内に設けた小屋の撤去などを認める判決が出ていて、北原容疑者らは職員に対し、「裁判長に合わせろ」「不当判決だ」などと叫んでいたということです。
(抜粋終了)
 http://bund.jp/modules/minidiary/index.php?page=detail&bid=189&req_uid=107
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ただ「ルールだから守れ」では独裁と同じ

2011年05月26日 20時26分20秒 | 監視カメラよりも自由な社会に
・国歌斉唱「不起立の教員やめさせる」 維新の条例案、橋下知事 政令市も検討対象(産経新聞)
 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110517/lcl11051700070001-n1.htm

 先日、大阪府知事の橋下徹が府議会で言及した、公立学校での「日の丸・君が代」不起立教員への処分方針について。実は、もっと早くにブログで取り上げるつもりでしたが、他の雑用にかまけているうちに、とうとう今日になってしまいました。遅くなってしましたが、簡単に書いておきます。
 いつもは貶す一方だった大阪府知事の橋下徹が、付け焼刃とは言え、曲がりなりにも「脱原発」表明した事で、「タマには好い事も言うじゃないか」と、ホンの少しだけ評価した矢先に、早速それを打ち消すような事を言ってのけました。この件について、今さら改めて言うのも何ですが、私はこの処分には大反対です。

 その第一は、今の「国旗・国歌」法案が自民党・小渕内閣時代に成立した時に、当時の自民党政権は何と言ったか。「この法案は、単に日の丸・君が代を国旗・国歌と定めただけの内容であって、それを掲揚しなかったり歌わなかったからといって、決して処分したりはしない」と明言していた筈です。これは、当時の国会審議における政府側答弁からも明らかです。つまり、これがこの法律の解釈であり、ルールなのです。だから、橋下が「ルールを守らせる」と言ってやろうとしている事が、実は「法律の拡大解釈」であり「ルール違反」なのです。

 第二に、「ルール」の内容の是非を問わずに、「ルールだから兎に角守れ」と言うのでは、横暴以外の何物でもありません。そんな事を言い出せば、ナチスの政権掌握や、戦前日本の治安維持法や、今の北朝鮮の金正日個人崇拝だって、彼の時代や彼の国の「多数決」で合法的に決まった事だからという事で、従わなければならなくなります。いずれの事例も、形式上はあくまでも、当時の(ドイツ)ワイマール憲法や、日本の帝国議会や、朝鮮労働党総会や最高人民会議(北朝鮮の国会)の議決を経て、決められたのですから。
 しかし、実際はそうじゃありません。幾ら「合法的」に決められた事でも、その内容が非民主的でトンデモなものであり、ろくに議論もされずに決められたものであるなら、反対するのは当然です。何故なら、「多数決」というのは、単なる議事手続きの一つにしか過ぎず、それを以って民主的に議論が行われたとは、とても言えないのだから。「ジャンケン」で決めるか、「多数決」で決めるか、「全員一致」で決めるか、という違いでしかないのだから。
 つまり、「民主的に議論を尽くしたか否か」が、最も大事なのです。「日の丸・君が代」も然りです。「日の丸」や「君が代」が、本当に今の日本の国旗・国歌として相応しいものなのか。若し相応しくないなら、他にどんな「国旗・国歌」があるのか。そういう議論を、国会などで、一度たりともやった事があったか?
 自民党や右翼からは事あるごとに「米国から押し付けられた」と言われる、今の日本国憲法も、制定されるまでには、国会で何度も審議されました。そういう議論が、「日の丸・君が代」についても為されたのか?
 確かに民間レベルではありました。戦後間もない一時期に、それまでの「日の丸・君が代」に代わる、戦後の民主日本に相応しい「国旗・国歌」を作ろうという動きがあり、実際に「我ら愛す」という公募曲が取り上げられたりもしました。そういう草の根の議論を逆に封じ込めてきたのが、今の自民党であり右翼だったのではなかったか。そういう、「民主主義」を圧殺するような事をしておいて、ひたすら既成事実を積み上げてきた後で、ただ単に「ルールだから守れ」「知事のいう事だから聞け」だけでは、「ヒトラー・金正日」の独裁と、全く同じではないか。

 そう言うと必ず出てくるのが、「国旗・国歌を敬うのは、民主主義云々以前の問題だ」という議論です。その例としてよく持ち出されるのが、かつての韓国民主化運動の集会などで韓国の国旗が掲げられたり、この前のジャスミン革命でチュニジアやエジプトの国旗が掲げられたりした事例です。それで「国旗・国歌への崇敬の念は、たとえ野党や反体制派であっても、持っていなくてはいけない」という事がよく言われる。
 しかし、この場合で引き合いに出される韓国・チュニジア・エジプトなど、アジア・第三世界諸国の国旗・国歌への当該国民の崇敬の念というのは、単に「今の国家体制への忠誠心」から出たものではなく、圧制や植民地支配への抵抗のシンボルとして、その国の民衆に広く共有されている所から来るのです。翻って、今の「日の丸・君が代」や「ユニオンジャック」「ハーケンクロイツ」に、それだけの求心力がありますか。ありませんよね。但し、フランス革命に由来する「三色旗」や「ラ・マルセイエーズ」なんかは、ある程度、韓国・エジプトの国旗・国歌に近いものがあるかも知れません。中国や北朝鮮の国旗・国歌も、かつては「独立・解放・革命」の象徴だったのが、今や「抑圧」の象徴になりつつあるのかも。
 つまり、同じ「国旗・国歌」でも、それがその国の中で、圧制への抵抗や独立戦争・革命・民主化のシンボルとして捉えられているか、逆に「支配・抑圧」や単なる「伝統回帰」の意味に捉えられているかによって、重みが全然違ってくる。果たして、今の日本の「日の丸・君が代」に、それだけの重みがあるか。民主的な議論を一切尽くさず、一方的に「ルールだから」という理由だけで押し付けられたものに、そんな重みなぞある筈が無い。それが第三点。

 第四は、その上での、特に「日の丸・君が代」の歴史的経過について。両方とも、戦前のファシズムや、帝国主義・植民地支配、天皇制の下での言論弾圧を陰で支えてきた。そうして、国民が「奴隷根性」に囚われ、主権者意識や民主主義・人権意識を育てる上で、常に足かせとして作用してきた歴史がある。第三の理由ともかぶりますが、「抵抗・解放」ではなく逆に「支配・抑圧・恫喝」のシンボルとして機能してきた。そうして、時の政府の意のままにならない人間を、「非国民」として排斥してきた。同様の例が戦前のナチス・ドイツやイタリア・ムッソリーニ時代の国旗・国歌だが、少なくともドイツ・イタリアについては、戦後に国旗・国歌の見直しを図っている。戦前からの国旗・国歌をそのまま踏襲しているのは、旧日・独・伊三国の中で、唯一日本だけです。

 第五に、特に「君が代」の歌詞に見られる「万世一系の皇統」なるものの胡散臭さ。右翼や天皇主義者は、よく古事記・日本書紀や源氏物語の記述を引き合いに出して、それを主張しますが、それはあくまでも当時の貴族社会に限った話でしょう。当時の庶民は、山上憶良の「貧窮問答歌」の例でも分かるように、食うや食わずで、天皇どころではなかった筈です。それに加えて、中世南北朝の争乱では天皇家自身が南朝と北朝に分裂して、互いに皇位の正統性を争うまでになった。江戸時代に至っては、当時の百姓・町人にとっては徳川将軍家こそが権威の象徴であり、天皇の存在なんて殆どの人間が知らなかった。だから、明治新政府は、わざわざお触れまで出して、天皇の存在を庶民に知らさなければならなかった。そんな、明治以降になって、時の政府によってでっち上げられたような「伝統」を、さも有難いものであるかのように、今の我々に強制される筋合いが、果たしてあるのか否か。

 第六に、「日の丸・君が代」であれ、それに代わる他の国旗・国歌であれ、そもそも、そんな「国家のシンボル」が、そんなに大事なものなのか、という問題もある。フーリガンの出現などによって、各国のナショナリズムが衝突すると言われるワールドカップですら、現実にはプロ選手は高い報酬を求めてチーム移籍を繰り返し、国籍変更すら今や日常茶飯事となっている訳で。実際は、みんなその時の雰囲気で、「国旗・国歌」に酔ったり酔わなかったりしているだけじゃないか。だったら、もうそれで好いじゃないか。それを、何故そこまで必要以上に「国旗・国歌」に拘るのか。

 そして第七に、そもそも今の日本国家ひいては現政権に、偉そうに「国旗・国歌を敬え」なぞと国民に説教する資格はあるのかどうか。ある筈が無い。この福島原発事故で、国土も国民生活もムチャクチャにして、故郷を捨てなければならなくなった「難民」を大量に生み出した原発推進勢力(これは今の民主党政権だけでなく前・自民党政権も同罪です)に、「国旗・国歌を敬え」なぞという資格があるのか否か。
 国民に偉そうに「国を敬え」なぞと説教する前に、「自然に国を愛したくなるような政治をする」のが先決です。実際の政府を離れて、抽象的な「国」を想定しても仕方がありません。今の故郷をどう取り戻すのか。破壊された国土をどう再建するのか。その中で、「どんな国を再建するのか」「その国のシンボルとして、果たしてどんな国旗・国歌が相応しいのか」、そういう具体的な議論から離れた所で、画餅の様な「国家」を想定しても仕方がない。そして、少なくとも今の原発推進勢力に、それを言う資格は一切ない。
 それが何ですか。政府や電力業界は、都合の悪い情報やデータは悉く隠蔽し、極力小さく見せかけようとする。「今直ちに健康被害が出る事は無い」というばかりで、「将来についてはどうなる?」という国民の懸念・不安に、まともに応えようとはしない。果ては、何ら科学的根拠も示さず、年間1ミリシーベルトから20ミリシーベルトへと、放射線規制値を緩めようとする。そんな「実際の国の姿」を等閑にしたまま、徒に「国旗・国歌」ばかりに拘る事は、結局は原発ヨイショ・現体制ヨイショにしかならない。

 最後に、最も肝心な事が抜けていましたので、補足しておきます。それが第八の、「公務員だから国の決めたルールには従わなければならない」という橋下の詭弁に対する反論です。―「間違ったルールには従う必要は無い。寧ろ、そんなルールは、一刻も早く改めなければならない。それは公務員であろうと民間人であろうと変わりない。」
 橋下のいう「ルール」なるものが、どれだけ恣意的でデタラメな物であるかは、今まで述べてきた通りです。公務員は国家権力の奴隷(私兵)ではありません。国民全体への奉仕者(公僕)です。公僕としての仕事をするに当たって、まず第一にルールとすべきなのは日本国憲法です。憲法に違反さえしなければ良いのです。若し国家公務員法や地方公務員法に、憲法に反する条文があるなら、それは違憲立法として、寧ろ変えていかなければならない。それが真っ当なルールです。
 それが、若し橋下の言うように、「どんな思想を持とうと勝手だが、公務員である限りは、国の方針には従わなければならない」なら、民間人も「どんな思想を持とうと勝手だが、社員である限りは、会社の方針には従わなければならな」くなってしまいます。恣意的な就業規則や内規によって、どんな不当労働行為や犯罪その他の違法行為であっても、「社内のルールだから」という事で、従わなければならなくなる。

 つまり、学校現場での「日の丸・君が代」強制は、
(1)そもそも「国旗・国歌法」からの逸脱・越権行為である。
(2)その是非が一切問われないまま、勝手に決めた「ルール」で一方的にごり押しするのは、反民主的である。
(3)「抵抗・民主化」ではなく「盲従・侵略」のシンボルとして用いられてきたものを、今さら強制される筋合いはない。
(4)かつて帝国主義や侵略戦争を礼賛する道具として用いられてきたものを、今さら強制される筋合いはない。
(5)「日の丸・君が代」の基になる歴史的根拠そのものが薄弱である。
(6)グローバル化の現実に背を向け、ひたすら「国家」ばかりに拘る、後ろ向きで時代遅れの議論でしかない。
(7)ことさら「国旗・国歌」を強調する事で、現実の悪政から目をそらさせようとする卑劣な態度であり、為政者による環境破壊や棄民政策などの「非愛国的政治」を、「愛国心」の名で逆に免罪する行為である。
(8)間違った事に従う必要は無い。それは公務員であろうと民間人であろうと変わりない。
―という事です。そんなものを、教師だから公務員だからという理由だけで、ごり押しされて良い筈はありません。
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