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何故、原発の作業環境が劣悪なまま放置されているのか

2011年05月17日 07時08分42秒 | 福島の犠牲の上に胡坐をかくな
 缶コーヒーとクラッカーの食事だけで、交替や休憩も満足に取れずに、夜は防護服を着たまま免震棟の中で雑魚寝。既に一部新聞記事でも報じられた、このような原発作業員のお話にならない劣悪な作業環境が、何故今まで放置されてきたのか。幾ら非常事態とはいえ、天下の大企業たる東電ともあろうものが、幾ら何でもこれでは異常ではないかと、今までずっと思ってきました。
 しかし、よくよく考えてみると、こうなるのも当たり前ではないかと、思うようになりました。以下はあくまでも私の推測ですが、当たらずとも遠からじではないでしょうか。

 事故で補修に大量の人が要る。でも被曝のおそれがあるので、長時間は働かせられない。勢い人海戦術に頼るしかない。しかし、一日数時間しか働かせられない労働者ばかり、それもズブの素人ばかりを何百人、何千人と投入されて、僅かな現場管理者だけで使いこなせと言われても、そりゃあ無理ですわ・・・。自分の身に引いて考えればよく分かります。勢い管理不在とならざるを得ません。
 そうなるのも、原発労働自体に元々無理があるからです。そんな危険作業を行わせる事自体に。もっと言えば、原発の存在自体に無理がある。

 元々原発って、経済合理性から生まれたものじゃあないでしょう。戦後間もない頃の米国による核兵器独占が、やがて中ソやフランスの核実験で破られる事になってしまった。焦った米国は、保有する核技術を発電システムに転用して世界に売りに出す事で、引き続き核の独占体制を維持しようとした。そこから生まれたのが原子力発電なのです。だから、原潜で使用されていただけの技術が、核廃棄物の処理も未完成なまま、原発として日本にも持ち込まれる事になった。正に「トイレの無いマンション」の例え通りです。その時に、日本への原発導入に積極的に動いたのが、当時の読売新聞社主・正力松太郎と、後に自民党原子力ロビーのドンとなる中曽根康弘でした。

 そのように、政治的思惑が先行した未完成な技術でしたから、経済的に引き合う訳が無い。二酸化炭素を出さない、エコだ何だと言われていますが、そんなの嘘っぱち。放射能や核廃棄物の処理が大変なだけでなく、ウランの採掘・精製にも莫大な化石燃料を消費する。そのくせ、原発の熱効率は3割程度しかなく、残りの7割は温排水となって海に捨てられるだけ。
 つまり原発そのものが、コスト的にも引き合わない、無理を抱えたシステムだという事です。だから、原発の維持管理や補修にも、莫大なムリやムダが付きまとう事になる。おまけに放射能被曝の危険があるので、人が寄り付かない。そこで見かけの高給をエサに、半ば騙すように、何も知らない人間を連れてきて働かせるようになる。つい先日も、大阪・西成の「あいりん地区」で、宮城県でのダンプ運転手募集だと聞いて行ったら、実は福島原発での瓦礫除去作業だったという事件がありましたよね。

 放射線量の管理はしても、元々が使い捨てを前提とした労働だから、アリバイ的なものにならざるを得ない。何も知らない人間を、時給1万円だと言って働かせる。その人間は何も知らないから、「たった3時間で3万円も貰えるのか」と、何の疑問も持たずに働く事になる。「放射能も計測しているので大丈夫だろう」と。
 しかし、所詮は防護のためではなくアリバイ作りのための放射能計測なので、長年働けば被曝の影響がやがて出てくる。防護服にも放射線防護機能なんて全然無い。あれはただ単に、放射線管理区域内の塵や埃を外に持ち出さない為のものだ。ところが、白血病やガンは別に被曝しなくても発症するので、原発との因果関係の立証には困難がつきまとう。よって被曝の事実は、闇から闇に葬られる事になる。
 要するに、「原発労働まず先に在りき」で、その為には、ちょっと作業環境の劣悪さがマスコミに叩かれても一向に構わない。そのうちにホトボリが冷めるであろうし、余り煩いようだと、スポンサーの権力を利用して、マスコミを黙らせれば良い。恐らくそんな所ではないでしょうか。

 そういうと必ず出てくるのが、「原発なしにどうやって電力を賄っていくのか?」という反論です。しかしこれも、鳴り物入りで実施された「計画停電」とは裏腹に、実際に原発がなければ電力不足に陥ったのは、今までの中で90年代の夏場の僅かな一時期だけだった事や、フランス以外の西欧諸国が今や続々と脱原発に転換しつつある事からも、「原発利権に固執する者の言い訳」にしか過ぎないのは明らかです。
 しかし、仮に百歩譲って「原発なしに賄えなかった」としても、だからと言って、地方や下請けの作業員が、その犠牲にされなければならない謂れはない。下請け搾取や被曝労働によって成り立つ、このような原発システムは、一刻も早く転換されなければならない。でないと、私も職種こそ違えど同じ下請け労働者、いつ何時、先の「あいりん地区」の労働者と同じ目に遭うとも限らない。
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