二段階方式を導入している町の保健師さんからの質問です。
「大正15年生まれの86歳の女性の方です。年齢も今日の日付も言えました。
かなひろいテストが、正答数が5、見おとし数が4、内容把握はできません。
(これは、注意力を集中させることも分配させることもうまくできなくなっている前頭葉機能低下状態です)
1対1でお話を伺ったところ、7月8日に57歳の息子さんを交通事故で突然亡くしたとのことでした。まだ16日しか経っていません。
『家にいても・・・つらいし、今日はようやくいきいき教室にきた。皆がいろいろ慰めてくれるけど・・・』ということでした。
しばらくお話をしていると、嗚咽をこらえ、涙を流され、まだまだ大切な息子さんを亡くした悲しみは大きい事が伺えました。<o:p></o:p>
そんな状態でしたので脳機能検査は中止して、お話を聞かせていただくだけとしました。
役場の職員が近所にいましたので、どんな方と聞いたら、しっかりしている人だとのことでした。
そういう方の次回のかなひろいやMMSをどうしたらいいでしょうか? 参加者の方の次回の評価は、3月を予定しています」
T口さんちのハスの実いろいろ
私の返信メールです。<o:p></o:p>
「『その出来事が、生きる力をどのくらい奪うか』によって脳の老化が加速されるスピードが変わってきます。
今回のようなケースの場合はそのダメージがものすごく大きいことが予測されますね。<o:p></o:p>
そうですね。三か月は待ってあげる必要があるでしょう。
悲しみを受け入れるためにです。
四十九日忌までは、夢中。文字通り夢の中というか、熱に浮かされたような心理状態だろうと思うのです。
それでも少しずつ落ち着いて現実感がよみがえってくる(その結果もっと悲しいことがあるにしても)のに最低四十九日くらいかかるものなのではないでしょうか?
亡くなった方の供養という意味もあるでしょうが、残された人のための期間でもあると思います。
神道では五十日祭と、ほとんど同じ期間というのも、うなずけるものがありますね。
そしてさらにひと月半。生活ぶりは脳機能に反映されますから、どのような生活を送り始めたか脳機能検査をしてあげるのです。そのうえで適切な生活指導をしてあげましょう。
もちろんその間、今回のように「一緒にいきいき教室に行きましょう」というような近所の人の誘いは、とても意味があることですから、積極的に声かけをしてあげるように頼んでください。<o:p></o:p>
今は、時=5点なのでMMSは24点以上。役場の職員が「しっかりしている」というくらいですから、事故の前には、正常であったと思います。<o:p></o:p>
三か月後、10月になって、これは訪問が必要だと思いますよ。
その時の前頭葉の具合を測ってあげなくてはいけません。<o:p></o:p>
低下があったら、気分が上向きでも、念のためにさらに三カ月後。1月に。
低下がないようなら、みなさんと同じ来春。<o:p></o:p>
普通のきっかけ、退職とか病気やけがの後、生きがいも趣味も交友もなくし、さらに運動もしないナイナイ尽くしの生活に入っていくと、だいたい半年経つとはっきりと前頭葉の機能低下が測れるようになります。
今の前頭葉低下状態は嵐の後で、混とんとしているような感じ。
高熱が出た後ボーとしているような感じ。とでも言えばいいでしょうか。
それが確定的になるのに半年かかる。と考えたらわかりやすいでしょう。
確定されたら困るので、三カ月後に会って話をして脳機能検査をしなくてはいけないのです。
脳機能検査は、検査結果を知るために実施するのではありません。あくまでもその結果をもとにして、よりよい生活ができるように指導するために行います。
このことは、あまりにも当然で、あまりにも基礎的なことですが、「検査をしなくては!」と思うあまりに本質を誤ることがないようにしてください。
その観点から言うと、今回脳機能検査を中止して話を聞くことに終始した判断は正しいですね。だからこそ、フォローが必要ということにもつながります。
一方で、たとえ嫌がられても脳卒中直後の検査は不可欠ですよ。
どこができるかも、どこができないかも、はっきりさせてあげないと生活上の工夫につながりません。
半年後、1年後と再検査することで、後遺症が改善していってるのかどうかも確認できます。<o:p></o:p>
3.11の後、エイジングライフ研究所では「半年経ったら小ボケが出てくる」と主張していましたが、10月ごろから「不活発病」という表現がみられるようになりました。
(前回のブログも読んでみてください)<o:p></o:p>
どう考えても認知症は、生活のあり方(脳の使い方)と密接な関係がありますね。<o:p></o:p>
この方にはちょっと密に連絡をとってあげてください。電話でもいいのです。
寂しい時には『ひとりで生きているのではない』と実感させてあげることが不可欠です。
一人じゃないから、ということでようやく意欲の火をかきたてることができると考えてあげましょう。
どうぞお大事に」<o:p></o:p>
子供に先立たれた高齢の方に会うと、「このままにしておくとボケてしまう」と私たちは心配します。
世間の常識は「イキイキとその人らしく生きていないと(今回のように、生きていけない場合も含めて)認知症になる」ですね。
そこにはアミロイドベータもタウ蛋白もありません。
直感的に「認知症は生き方」の問題ととらえる世間の常識に脱帽します。
正しいのですもの!<o:p></o:p>