奥会津の日本ミツバチセミナーに参加するために、ちょっと回り道をしました。
前から一度は尋ねたいと思っていた大内宿。
「江戸時代にタイムスリップするような」と形容される大内宿。
言にたがわず、500メートルほどの道の両側に、大きなかやぶき屋根の家々が続いています。
宿場町の常で、間口が狭く奥行きが深い家並みですが、みごとに一軒残らず寄棟作りで、さらにすべて妻側が道に平行というどこか端正なたたずまいを感じさせる街並みでした。
お土産屋さん、蕎麦屋さん、それから宿になっている家もありました。
日光と会津をつないだ街道ですから、もちろん本陣もありました。(現在は再建されて資料館になっています)
同行の友人がびっくりしながら言いました。
「ねえ、気が付いた?こういうお店って同じものが並んでいるのが普通じゃない?でもここはそれぞれのお店に特徴があるのよね。店頭のお菓子だってバラエティに富んでるし。同じものでも手づくりしてるとか、何かちょっとずつ違うのね」
確かに古さを誇りながら、新しいものを加味していこうとしている気概が感じられました。
昼食時間になりましたので、もちろんお蕎麦を!
街道の突き当りの食堂で。
なかなか雰囲気のあるお店でした。かんぴょうの炭入れの大きなこと!一抱えほどもありました。
「高遠そば」・・・
去年、高遠町に行ったので謂れはわかります。
江戸時代の名君、保科正之は高遠で育ち、最上藩を経て会津藩のお殿様になりました。
転封の時、高遠から人や文化を連れて行った結果が、現在の大内宿の「高遠そば」にまで脈々と連なっているという訳です。
本家高遠町では消えてしまっていたというのに。
宿場のはずれには小高い丘があって、ひなびた神社がまつられていました。
そこからの景色。視点が違うと宿場の様子も全く違って見えました。
新しいアイディアが盛り込まれて、それぞれの独自性が発揮されている店と、数百年の文化を維持してきた事実と。
会津人の深さを感じました。
会津人の前頭葉ができあがる過程では、半年は雪という自然の中で粘り強く生きる環境と、「ならぬことはならぬのです」という会津藩の価値観から大きな影響を受けたことでしょうね。
前から一度は尋ねたいと思っていた大内宿。
「江戸時代にタイムスリップするような」と形容される大内宿。
言にたがわず、500メートルほどの道の両側に、大きなかやぶき屋根の家々が続いています。
宿場町の常で、間口が狭く奥行きが深い家並みですが、みごとに一軒残らず寄棟作りで、さらにすべて妻側が道に平行というどこか端正なたたずまいを感じさせる街並みでした。
お土産屋さん、蕎麦屋さん、それから宿になっている家もありました。
日光と会津をつないだ街道ですから、もちろん本陣もありました。(現在は再建されて資料館になっています)
同行の友人がびっくりしながら言いました。
「ねえ、気が付いた?こういうお店って同じものが並んでいるのが普通じゃない?でもここはそれぞれのお店に特徴があるのよね。店頭のお菓子だってバラエティに富んでるし。同じものでも手づくりしてるとか、何かちょっとずつ違うのね」
確かに古さを誇りながら、新しいものを加味していこうとしている気概が感じられました。
昼食時間になりましたので、もちろんお蕎麦を!
街道の突き当りの食堂で。
なかなか雰囲気のあるお店でした。かんぴょうの炭入れの大きなこと!一抱えほどもありました。
「高遠そば」・・・
去年、高遠町に行ったので謂れはわかります。
江戸時代の名君、保科正之は高遠で育ち、最上藩を経て会津藩のお殿様になりました。
転封の時、高遠から人や文化を連れて行った結果が、現在の大内宿の「高遠そば」にまで脈々と連なっているという訳です。
本家高遠町では消えてしまっていたというのに。
宿場のはずれには小高い丘があって、ひなびた神社がまつられていました。
そこからの景色。視点が違うと宿場の様子も全く違って見えました。
新しいアイディアが盛り込まれて、それぞれの独自性が発揮されている店と、数百年の文化を維持してきた事実と。
会津人の深さを感じました。
会津人の前頭葉ができあがる過程では、半年は雪という自然の中で粘り強く生きる環境と、「ならぬことはならぬのです」という会津藩の価値観から大きな影響を受けたことでしょうね。