先週は本当に久しぶりの北海道でした。もう20年以上も前のことですが、北海道国保連合会の予防事業の一環で北海道各地での認知症予防講演会に伺いました。札幌などの大きな町はもちろん、多くの難読地名の町も含め何十回も北海道に足を運びました。
その当時、お知り合いになったA川先生。お付き合いは20数年になります。
2019年2月A川先生は亡くなられました。
さようなら A川先生
どうしても、お別れというかご挨拶がしたかったのです。用意万端準備をしてその日を待っていました。北国に行くとき一番大切なことは足元です。

十分な用意をしたにもかかわらず、なんと発達した爆弾低気圧の接近と私の北海道行きのタイミングがぴたりと一致してしまいました。
前後のフライトは欠航が決定。私の搭乗予定便は「天候調査中」。考えてみれば、出発が決まっていない状態で空港に行ったことはありません。品川に着いた時点でも、まだ決まっていませんでした。出発が決まったのは離陸予定時刻の前一時間を切ってから!(離陸が11:15.このお知らせは10:17でした)

羽田に帰る可能性も承知させられて、いよいよ出発。離陸できるかどうかはハラハラしましたが、曇り空の旭川空港着陸はスムーズなものでした。
10年ぶりの旭川駅はすっかり様変わり。雪は積もっていますが、タクシー乗り場までの歩道は、ロードヒーティングされているのか、まったく雪はありません。

タクシーの運転手さんが
「2月の旭川でこんなに暖かいのは初めて。ただね、こういう日の翌日は荒れるんだよね」と話してくれました。
「明日朝一番にJR北海道の列車運行状況を確かめなくっちゃあ。JRが止まるくらい雪が降ったら、自動車も動きませんか?」
「いや車は大丈夫だと思いますよ」などと話しているうちに到着。懐かしい。

奥様(私たちは、郁さん・きぬちゃんと呼び合ってます)から、いろいろなお話を聞きながら、記憶があいまいになっていて驚いたり、膝を打って笑ったり。その時ふっと横を見ると、まるでA先生がそこでニコニコしてくださっているような気がしました。
郁さんと電話でおしゃべりするときに、A川先生が亡くなられて1年近くまでは元気がちょっと足りないなあと感じていました。仲のいいご夫婦でしたから、それも納得です。
郁さんは油絵制作、フォークダンスサークルなど趣味を楽しむ生活ができていました。少しずつ復帰できたところにこのコロナ騒ぎ。お仲間もコロナを恐れ、欠席の方もいらっしゃるそうですが「認知症予防にもなると思って行ってますよ」
今はもう、A川先生は郁さんの胸の中にいらっしゃるようでした。
この作品のサイズがわからなくて、今ラインで尋ねました。うれしいことにすぐにお返事が。「F100号です」そして「ちらちら雪、融ける気配ありません」と気持ちを共有できるコメントが追加されています。生で会ったばかりですから、声まで聞こえるようです。郁さん、ありがとうございました!

お隣に住む息子さんご一家も、かわるがわるお顔を出してくださいました。メル友のお嫁さんMさんとは、生トークにちょっと盛り上がりすぎ(笑)

郁さんは、私が差し上げた手紙の類も私の本も全部大切にしてくださっていて、感激してしまいました。
小さな壁飾りもちゃんと飾ってくださって。

実は、あまりにもおしゃべりが過ぎて写真一枚も撮ってきませんでした。
翌日ホテルから電話で「写真を撮って送ってください」とお願いしました。
「前はやってたけど…できるかな…80歳なのよ」
「わからなかったらMさんにちょっと聞いて」と励ましたら、速攻で送られてきましたから、たぶん独力かと思います。こういうふうにちょっとした働きかけを、自分の生活を変えるきっかけにできるということは、前頭葉機能が:イキイキしている証拠でもあります。
「これからもいい写真が取れたら送ってください」とお願いしました。
駅前ホテル11階からの夜の旭川駅前。

さあ翌朝。駅裏口(南口)の様子。

みどりの窓口の方によると「函館本線西行き、札幌方面はたぶん大丈夫ですよ」
駅では、JR北海道で列車の運休は90本だと放送されていました。この函館本線でも旭川以東は運休でした。稚内方面、根室釧路方面、そして函館方面も大変な様子にもかかわらず、ここは「雪は降るでしょうけども。北海道って広いんですよ」との説明に一安心して、駅直結イオンシネマで映画を見ることに。もちろんこれはWEBでチェック済み。
年若い友人が、FBで薦めてくれていた『哀愁シンデレラ』。
見ごたえのある作品でした。ちょっと怖い。
それから、同じフロアにある食堂街で一軒のお店に惹かれました。一人鍋のお店のことは情報として知っているだけでしたから、この際体験しなくてはということで挑戦しました。

野菜は食べ放題。

まだ時間があります。旭川駅は見事に生まれ変わっていました。観光案内所に特産館が併設されています。

啄木像がありました。啄木というと函館ですが、短い滞在だった旭川はお気に入りになったそうですよ。

旭川で読まれた短歌。学生時代の友人が短歌をやっていて、つい先日「感想」を求められたので、彼女にさっそく写メールを送りました。

アイヌ文様も目につきます。

駅構内には、アイヌ資料館もありました。長く会っていない友人の顔が大きく胸に広がりました。手芸家の彼女がアイヌ文様を取り入れた手甲を見せてくれたシーンも思い出しましたよ。

その当時、お知り合いになったA川先生。お付き合いは20数年になります。
2019年2月A川先生は亡くなられました。
さようなら A川先生
どうしても、お別れというかご挨拶がしたかったのです。用意万端準備をしてその日を待っていました。北国に行くとき一番大切なことは足元です。

十分な用意をしたにもかかわらず、なんと発達した爆弾低気圧の接近と私の北海道行きのタイミングがぴたりと一致してしまいました。
前後のフライトは欠航が決定。私の搭乗予定便は「天候調査中」。考えてみれば、出発が決まっていない状態で空港に行ったことはありません。品川に着いた時点でも、まだ決まっていませんでした。出発が決まったのは離陸予定時刻の前一時間を切ってから!(離陸が11:15.このお知らせは10:17でした)

羽田に帰る可能性も承知させられて、いよいよ出発。離陸できるかどうかはハラハラしましたが、曇り空の旭川空港着陸はスムーズなものでした。
10年ぶりの旭川駅はすっかり様変わり。雪は積もっていますが、タクシー乗り場までの歩道は、ロードヒーティングされているのか、まったく雪はありません。

タクシーの運転手さんが
「2月の旭川でこんなに暖かいのは初めて。ただね、こういう日の翌日は荒れるんだよね」と話してくれました。
「明日朝一番にJR北海道の列車運行状況を確かめなくっちゃあ。JRが止まるくらい雪が降ったら、自動車も動きませんか?」
「いや車は大丈夫だと思いますよ」などと話しているうちに到着。懐かしい。

奥様(私たちは、郁さん・きぬちゃんと呼び合ってます)から、いろいろなお話を聞きながら、記憶があいまいになっていて驚いたり、膝を打って笑ったり。その時ふっと横を見ると、まるでA先生がそこでニコニコしてくださっているような気がしました。
郁さんと電話でおしゃべりするときに、A川先生が亡くなられて1年近くまでは元気がちょっと足りないなあと感じていました。仲のいいご夫婦でしたから、それも納得です。
郁さんは油絵制作、フォークダンスサークルなど趣味を楽しむ生活ができていました。少しずつ復帰できたところにこのコロナ騒ぎ。お仲間もコロナを恐れ、欠席の方もいらっしゃるそうですが「認知症予防にもなると思って行ってますよ」
今はもう、A川先生は郁さんの胸の中にいらっしゃるようでした。
この作品のサイズがわからなくて、今ラインで尋ねました。うれしいことにすぐにお返事が。「F100号です」そして「ちらちら雪、融ける気配ありません」と気持ちを共有できるコメントが追加されています。生で会ったばかりですから、声まで聞こえるようです。郁さん、ありがとうございました!

お隣に住む息子さんご一家も、かわるがわるお顔を出してくださいました。メル友のお嫁さんMさんとは、生トークにちょっと盛り上がりすぎ(笑)

郁さんは、私が差し上げた手紙の類も私の本も全部大切にしてくださっていて、感激してしまいました。
小さな壁飾りもちゃんと飾ってくださって。

実は、あまりにもおしゃべりが過ぎて写真一枚も撮ってきませんでした。
翌日ホテルから電話で「写真を撮って送ってください」とお願いしました。
「前はやってたけど…できるかな…80歳なのよ」
「わからなかったらMさんにちょっと聞いて」と励ましたら、速攻で送られてきましたから、たぶん独力かと思います。こういうふうにちょっとした働きかけを、自分の生活を変えるきっかけにできるということは、前頭葉機能が:イキイキしている証拠でもあります。
「これからもいい写真が取れたら送ってください」とお願いしました。
駅前ホテル11階からの夜の旭川駅前。

さあ翌朝。駅裏口(南口)の様子。

みどりの窓口の方によると「函館本線西行き、札幌方面はたぶん大丈夫ですよ」
駅では、JR北海道で列車の運休は90本だと放送されていました。この函館本線でも旭川以東は運休でした。稚内方面、根室釧路方面、そして函館方面も大変な様子にもかかわらず、ここは「雪は降るでしょうけども。北海道って広いんですよ」との説明に一安心して、駅直結イオンシネマで映画を見ることに。もちろんこれはWEBでチェック済み。
年若い友人が、FBで薦めてくれていた『哀愁シンデレラ』。
見ごたえのある作品でした。ちょっと怖い。
それから、同じフロアにある食堂街で一軒のお店に惹かれました。一人鍋のお店のことは情報として知っているだけでしたから、この際体験しなくてはということで挑戦しました。

野菜は食べ放題。

まだ時間があります。旭川駅は見事に生まれ変わっていました。観光案内所に特産館が併設されています。

啄木像がありました。啄木というと函館ですが、短い滞在だった旭川はお気に入りになったそうですよ。

旭川で読まれた短歌。学生時代の友人が短歌をやっていて、つい先日「感想」を求められたので、彼女にさっそく写メールを送りました。

アイヌ文様も目につきます。

駅構内には、アイヌ資料館もありました。長く会っていない友人の顔が大きく胸に広がりました。手芸家の彼女がアイヌ文様を取り入れた手甲を見せてくれたシーンも思い出しましたよ。

その隣には、さすが旭川という展示が。

木工作品は旭川の特産品です。ここにあった椅子は世界中で評価が確定されている作品群。まったく古さを感じさせないことに驚きました。左上のロッキングチェアは1860年オーストリア製。右下の竹製椅子は三越製で1937年!

旭川駅自体も木を多用した、安らぎを感じることのできる建物でした。

左半分:駅ホームに上がるエリアに、名前が入った板で壁が作られていました。
右上:駅のコンコースに一枚板のテーブル、全部デザインの違う木製椅子が用意されたゆったりとした休憩コーナーがありました。
右下:エレベーターも木に囲まれていました。
素敵ですね!ホームには小さな雪煙が渦巻いていました。それもまた旭川!
とくべつなフロク
不思議なことが時々起こります。
両親のお墓参りとか、親しい人の訃報に接したときとか、亡くなった人のことを話題にしたときとか…「亡くなった人と心が通じ合ったなあ」と思ったときに虹に出会うのです。もちろん必ずというわけではありませんよ。
あの日。
名残を惜しんだ後、駅前のホテルへ息子さんが送ってくださいました。部屋でメールのチェックをしていて思わず声が出てしまいました。伊豆の友人から届いていました、見事な虹の写真が!


木工作品は旭川の特産品です。ここにあった椅子は世界中で評価が確定されている作品群。まったく古さを感じさせないことに驚きました。左上のロッキングチェアは1860年オーストリア製。右下の竹製椅子は三越製で1937年!

旭川駅自体も木を多用した、安らぎを感じることのできる建物でした。

左半分:駅ホームに上がるエリアに、名前が入った板で壁が作られていました。
右上:駅のコンコースに一枚板のテーブル、全部デザインの違う木製椅子が用意されたゆったりとした休憩コーナーがありました。
右下:エレベーターも木に囲まれていました。
素敵ですね!ホームには小さな雪煙が渦巻いていました。それもまた旭川!
とくべつなフロク
不思議なことが時々起こります。
両親のお墓参りとか、親しい人の訃報に接したときとか、亡くなった人のことを話題にしたときとか…「亡くなった人と心が通じ合ったなあ」と思ったときに虹に出会うのです。もちろん必ずというわけではありませんよ。
あの日。
名残を惜しんだ後、駅前のホテルへ息子さんが送ってくださいました。部屋でメールのチェックをしていて思わず声が出てしまいました。伊豆の友人から届いていました、見事な虹の写真が!
