昨夜、友人と電話でおしゃべりしました。
「お姉さんが入院して、たまたま入った4人部屋で『毎日楽しいの』って言うのよ」
その内容は同室の人に看護師さんが質問をする「今日の日付けは?」その答え「3月かな」違うといわれたら「6月かな」「今、冬でしょう!」といわれ「ああ。そういえば確かにそうだよね」
そのやり取りがとても珍妙で聞き方によったらユーモアまで感じるということらしいのですが、ユーモアにあふれているわけではなくて、脳機能レベルが中ボケ…前頭葉機能は不合格。脳の後半領域いわゆる認知機能は30点満点のMMSEで言えば20点を切っている。
「お姉さんが入院して、たまたま入った4人部屋で『毎日楽しいの』って言うのよ」
その内容は同室の人に看護師さんが質問をする「今日の日付けは?」その答え「3月かな」違うといわれたら「6月かな」「今、冬でしょう!」といわれ「ああ。そういえば確かにそうだよね」
そのやり取りがとても珍妙で聞き方によったらユーモアまで感じるということらしいのですが、ユーモアにあふれているわけではなくて、脳機能レベルが中ボケ…前頭葉機能は不合格。脳の後半領域いわゆる認知機能は30点満点のMMSEで言えば20点を切っている。
時の見当識は、ナイナイ尽くしの生活が続いて脳の老化が加速されていくときにはわからなくなる順番が決まっています。
日→曜日→年→月→季節→昼夜。
夜中に騒げば「ボケちゃった」といわれますが、昨日まで普通に生活していた人が突然夜中に騒ぐわけではなく、上のような経過をたどって皆さんが想像するような脳機能からいえば「手遅れの認知症」になっていくのです。
話せば普通ですし、家庭生活は自分でやるのですが、やることなすこと誰かの気配りが必要なレベル。
ただし、いわゆる認知症と断定できるような症状は一つもないという、実にわかりにくいレベルです。
もちろん服薬管理はできません。
ただし、いわゆる認知症と断定できるような症状は一つもないという、実にわかりにくいレベルです。
もちろん服薬管理はできません。
「検査だから~しないでください」が守られるはずもありません。
「いなくなった」と大騒ぎされ、思いがけないところで発見される。
食事中「え!それを混ぜるの!」というようなドキッとする食べ方。
もう少し進めば、点滴を抜いたりもします。などなど
気を配らないといけないことが多発していることは病棟では気づかれているはずです。
この患者さんに対して、皆さんは「認知症」とは思わないでしょうが「今、何月かがわからない」という脳機能の状態になっている…このレベルを私たちは中ボケと呼んでいます。中ボケなら進行させないことは可能なのですよ!
以下は2010年7月に投稿した記事の再掲です。
「猊鼻渓舟下り(時の見当識)」写真が恥ずかしい出来ですが…文章ともに多少修正しました。
「猊鼻渓舟下り(時の見当識)」写真が恥ずかしい出来ですが…文章ともに多少修正しました。
仕事で気仙沼へ行きましたので途中下車。
岩手県一関市には厳美(がんび)渓と猊鼻(げいび)渓という二つの渓谷があります。厳美渓には何度か行って、散策や名物郭公団子を楽しんだことがありますから、一度は猊鼻渓も尋ねてみたかったのです。
東北新幹線一関駅に14:13到着。大船渡線スーパードラゴンに乗り換えて、猊鼻渓駅に15:20到着。船着き場まで5分くらいでしょう。
東北新幹線一関駅に14:13到着。大船渡線スーパードラゴンに乗り換えて、猊鼻渓駅に15:20到着。船着き場まで5分くらいでしょう。
木製の船、長い竿。たった一人の船頭さんが竿一本で船を操ります。
舟は両岸の滴るような緑の中、とろりとしたような川面を進んでいきます。
高い岩には、凌雲岩とか壮士岩・少婦岩、錦壁岩などの難しい漢字の名前が付いていて、それはそれで雰囲気をよく表していました。
高い岩には、凌雲岩とか壮士岩・少婦岩、錦壁岩などの難しい漢字の名前が付いていて、それはそれで雰囲気をよく表していました。
渓谷の終わりのところでは舟を下りて、少し歩きます。
巨大な岩が屹立しなかなかに見ごたえがありました。そして猊鼻渓の名前のいわれにもなった「獅子の鼻」のような岩も確かに見てとれました。 (写真の中央上部)
「癒しとエコな舟下り」がキャッチフレーズの猊鼻渓舟下りは、ほんとに一本の竿だけで船を操っていきます。その竿さばきを見ながら考えたことをお話ししましょう。
竿を水に突き刺せば、固い川底がその竿を受け止めて、一瞬止まる(かどうか知りませんが)少なくともそこからがまたスタートになる。そこからなら進むだけでなく方向も変えられる。
舟は流れるように進んでいきますが、竿さした時点がいつもいつもスタート。
「時」もとどまることはありません。
でも、その「時」に対して私たちは今日とか明日とか区切りをつけて生きていきますね。
その区切りは、時間を区切るというだけの意味ではなくて、この「今の時」に何をするか、どう生きるかということの基本設定をしているように思います。
でも、その「時」に対して私たちは今日とか明日とか区切りをつけて生きていきますね。
その区切りは、時間を区切るというだけの意味ではなくて、この「今の時」に何をするか、どう生きるかということの基本設定をしているように思います。
脳の老化が加速して、中ボケになったら、信じられないくらい繰り返し「今日は何日なのか?」を尋ねるようになります。
家族は、あまりにも度重なるのでそのうちに「まったく、もう。覚えようとしないんだから!」とか「自分でカレンダー見ればいいのに!」などと叱責したりします。
家族は、あまりにも度重なるのでそのうちに「まったく、もう。覚えようとしないんだから!」とか「自分でカレンダー見ればいいのに!」などと叱責したりします。
竿を何度突刺しても、突き刺しても、止まってくれない。
場所を替えてもだめ、受けてくれる底がない。
このような状態になったら、船頭さんはどんなに困るでしょう。
場所を替えてもだめ、受けてくれる底がない。
このような状態になったら、船頭さんはどんなに困るでしょう。
日付を何度も確認するレベルの時は、まさにこのような状態と考えてあげると、中ボケの困惑が少し理解できるかもわかりません。
家族は「しゃべらせたら普通なんですが、やることは幼稚園児みたいなんです」と訴えます。判断して的確にしゃべっているというよりも、長年の言語体験の蓄積で適当に話していてもまあまあそれなりに会話になっているように思われているだけです。問いに対して的を得た答えを返すのはなかなか難しくなっています。
家族は「しゃべらせたら普通なんですが、やることは幼稚園児みたいなんです」と訴えます。判断して的確にしゃべっているというよりも、長年の言語体験の蓄積で適当に話していてもまあまあそれなりに会話になっているように思われているだけです。問いに対して的を得た答えを返すのはなかなか難しくなっています。
私たちも、今日の日付があいまいなことがあります。でも、落ち着いてちょっと前の出来事のあった日はいつか考えてみる。またはちょっと先の予定の日はいつか考えてみる。そのようなことをすれば今日がいつなのかすぐに行きつくことができます。
竿をさせば、ちゃんと竿の先は川底をとらえ、次に進むことができるのです。
私たちでも起こす度忘れの「時の見当識障害」と中ボケになった人たちが陥っている「時の見当識障害」は全く別物だということをわかってあげてほしいと思います。
by 高槻絹子