田舎暮らし(そのニ)では、リタイア後の田舎暮らしについて自分の考えをのべましたが、今度は若い世代についてです。
都会で職を得ている働き盛り世代について。
リタイヤ後の世代と異なり、生活の糧である職を確保せねば成らない事が大きな違いです。
大きな違いと言うより、これがこの世代の田舎暮らしの希望を打ち砕く最大の要因かもしれません。
自分自身の価値観に従い、大自然の残る田舎の地を我が子の故郷にしたいのです。
東京が自然が無いとは全くおもいませんが。
でも、自然に目に飛び込んでくる風景も。
自然に肌で感じる風も、臭いも香りも都会とは違います。
草いきれなど都市部では感じることはまずないはずです。
学校の帰りに田圃のあぜ道で虫を取り寄り道してくる幼少期でしょうか。
(今では田舎でもこんな風景がないのかもしれませんが。)
それでも、意識しないでも飛び込んでくる自然。
そんな中で大きく育って欲しいとの願いを抱いているのかもしれません。
その様な願いがあっても現実に田舎の地に居を構えて生活できる人が何人いるのでしょうか。
田舎生活をしたいと願いつつも。
生活の糧が、家庭を守る親の務めであるとして、田舎への移住を躊躇させてしまうのです。
経済的にその土地(土壌ではありません。)地域としての土地で生み出せる利益(富)は限られています。
働く事が義務付けられた世代は、次のような仕事に就き富を得なければ田舎生活は維持していけません。
○ 田畑を耕作することで利益を生み出す。
その田畑の広さ、耕作作物により生産額は決まってしまいます。
○ 近隣にある工場や事務所などで勤務することで利益を生み出す。
その工場・事務所の規模などにより就業人数に上限があるし、造る物によっても生産額が決まってしまいます。
他では作る事の出来ない高付加価値の製品を作っているのであれば嬉しいですが、そんなことは稀です。
○ 近隣のお店に勤めること又はお店を開く事で利益を生み出すこと。
それらが生み出す利益は制約を受けます。
商業圏としての人口の多少や購買層により、そのお店の生産額(販売額)が決まってしまいます。
その近隣の生活空間で人口が多ければお店もソコソコ繁盛するかもしれません。
工場も、国際経済と競争して勝てるだけの要素を備えて居なければ、工場は海外に出て行ってしまいます。
○ 地方の地場産業を継承していく特別な技能を持った匠として利益を生み出すこと。
または、匠に師従して生活の糧を得る。
将来的にも発展が望める地場産業があることが必要条件です。
○ その他、起業したり、遠隔勤務すること。
地方自治体でも、その土地での利益の創出の為、産業団地など社会的インフラの整備を行い雇用の創出に努めている訳です。
円も安く、国際社会に於いて生産工場であった昭和の世代とは今の子育て世代は大きく異なります。
賃金も上がり、物価も上がり、日本国内で物を作れる社会体制ではなくなってしまった現在の日本。
国際経済からみても国内で作るメリットが無い時代です。
それこそ、日本国内で消費する製品ですら海外から入ってくる時代です。
海外で作るより良い物が出来ると言っても、値段的にかないません。
また、それ程製品の品質にも違いが無くなって来た21世紀の世です。
国内で生産して国内で消費する社会で有れば未だ少しの雇用は確保できます。
少し脇道にそれてきましたので本道に戻しますと。
情報社会のネット時代を活用して田舎で在宅勤務できる特殊な技能・才能を持った職種の方を除き、述べて来たその土地でも生産額に影響される訳です。
在宅で勤務する事で生活の糧を得るのは限りなく少人数です。
それでも、田舎生活を目指す若者は沢山居るのです。
この人達の夢が叶う社会になるためにはどうすれば良いのでしょうか。
人口構成が紡錘型や逆三角形ではない、三角形の人口ピラミッド型になるのは不可能なんでしょうか。
リタイアした方達はその土地から派生する利益(富)の影響を受けません。
ですから、住みたいところに居を構える事が至って簡単です。
リタイアした人は反対に地域外から居住する田舎に利益を運んでくる人たちです。
終の棲家として田舎の地に富を外部から運んでくるのと、その地域がその方々の看護養育の社会負担の増大との損益分岐点は。(後日)
健全な地域は健全な人口構成をしていなければなりません。
老人のみの地域では健全な社会は構築できません。
幼児の泣き声がして、子供達の遊び声がしてこそ健全な地域社会であるはずです。
公園の子供達の声が煩いと訴えるこのご時勢です。
泣き、笑い、喜怒哀楽を表す子供達の姿のある社会でありたいものです。
その本来有るべき人口構成を回復できるのがこの働き世代です。
田舎にとっても、国土保全にとっても重要な担い手の筈です。
では、その夢を叶えるために個人の資質だけにたよるのでしょうか?
ネットや通信インフラが整備されたとは言え、これらのツールを駆使して田舎で生活を営み生計をたてること、仕事はパソコンでと言う方は限られた人達です。
この子育て世代が生活の糧を確保でき、地方の高齢化・過疎化が回避される事が最も望ましいと思っています。
それを実現する手立てを思いつかないのが残念です。
田舎暮らし、国土の有効利用。
必ず訪れるであろう食料危機。
これらを回避する有効な手立ては?
今回は論旨も定まらず、言わんとする事も纏まりなく、それでも最後まで読んでくれた方がいらしたら感謝します。
都会で職を得ている働き盛り世代について。
リタイヤ後の世代と異なり、生活の糧である職を確保せねば成らない事が大きな違いです。
大きな違いと言うより、これがこの世代の田舎暮らしの希望を打ち砕く最大の要因かもしれません。
自分自身の価値観に従い、大自然の残る田舎の地を我が子の故郷にしたいのです。
東京が自然が無いとは全くおもいませんが。
でも、自然に目に飛び込んでくる風景も。
自然に肌で感じる風も、臭いも香りも都会とは違います。
草いきれなど都市部では感じることはまずないはずです。
学校の帰りに田圃のあぜ道で虫を取り寄り道してくる幼少期でしょうか。
(今では田舎でもこんな風景がないのかもしれませんが。)
それでも、意識しないでも飛び込んでくる自然。
そんな中で大きく育って欲しいとの願いを抱いているのかもしれません。
その様な願いがあっても現実に田舎の地に居を構えて生活できる人が何人いるのでしょうか。
田舎生活をしたいと願いつつも。
生活の糧が、家庭を守る親の務めであるとして、田舎への移住を躊躇させてしまうのです。
経済的にその土地(土壌ではありません。)地域としての土地で生み出せる利益(富)は限られています。
働く事が義務付けられた世代は、次のような仕事に就き富を得なければ田舎生活は維持していけません。
○ 田畑を耕作することで利益を生み出す。
その田畑の広さ、耕作作物により生産額は決まってしまいます。
○ 近隣にある工場や事務所などで勤務することで利益を生み出す。
その工場・事務所の規模などにより就業人数に上限があるし、造る物によっても生産額が決まってしまいます。
他では作る事の出来ない高付加価値の製品を作っているのであれば嬉しいですが、そんなことは稀です。
○ 近隣のお店に勤めること又はお店を開く事で利益を生み出すこと。
それらが生み出す利益は制約を受けます。
商業圏としての人口の多少や購買層により、そのお店の生産額(販売額)が決まってしまいます。
その近隣の生活空間で人口が多ければお店もソコソコ繁盛するかもしれません。
工場も、国際経済と競争して勝てるだけの要素を備えて居なければ、工場は海外に出て行ってしまいます。
○ 地方の地場産業を継承していく特別な技能を持った匠として利益を生み出すこと。
または、匠に師従して生活の糧を得る。
将来的にも発展が望める地場産業があることが必要条件です。
○ その他、起業したり、遠隔勤務すること。
地方自治体でも、その土地での利益の創出の為、産業団地など社会的インフラの整備を行い雇用の創出に努めている訳です。
円も安く、国際社会に於いて生産工場であった昭和の世代とは今の子育て世代は大きく異なります。
賃金も上がり、物価も上がり、日本国内で物を作れる社会体制ではなくなってしまった現在の日本。
国際経済からみても国内で作るメリットが無い時代です。
それこそ、日本国内で消費する製品ですら海外から入ってくる時代です。
海外で作るより良い物が出来ると言っても、値段的にかないません。
また、それ程製品の品質にも違いが無くなって来た21世紀の世です。
国内で生産して国内で消費する社会で有れば未だ少しの雇用は確保できます。
少し脇道にそれてきましたので本道に戻しますと。
情報社会のネット時代を活用して田舎で在宅勤務できる特殊な技能・才能を持った職種の方を除き、述べて来たその土地でも生産額に影響される訳です。
在宅で勤務する事で生活の糧を得るのは限りなく少人数です。
それでも、田舎生活を目指す若者は沢山居るのです。
この人達の夢が叶う社会になるためにはどうすれば良いのでしょうか。
人口構成が紡錘型や逆三角形ではない、三角形の人口ピラミッド型になるのは不可能なんでしょうか。
リタイアした方達はその土地から派生する利益(富)の影響を受けません。
ですから、住みたいところに居を構える事が至って簡単です。
リタイアした人は反対に地域外から居住する田舎に利益を運んでくる人たちです。
終の棲家として田舎の地に富を外部から運んでくるのと、その地域がその方々の看護養育の社会負担の増大との損益分岐点は。(後日)
健全な地域は健全な人口構成をしていなければなりません。
老人のみの地域では健全な社会は構築できません。
幼児の泣き声がして、子供達の遊び声がしてこそ健全な地域社会であるはずです。
公園の子供達の声が煩いと訴えるこのご時勢です。
泣き、笑い、喜怒哀楽を表す子供達の姿のある社会でありたいものです。
その本来有るべき人口構成を回復できるのがこの働き世代です。
田舎にとっても、国土保全にとっても重要な担い手の筈です。
では、その夢を叶えるために個人の資質だけにたよるのでしょうか?
ネットや通信インフラが整備されたとは言え、これらのツールを駆使して田舎で生活を営み生計をたてること、仕事はパソコンでと言う方は限られた人達です。
この子育て世代が生活の糧を確保でき、地方の高齢化・過疎化が回避される事が最も望ましいと思っています。
それを実現する手立てを思いつかないのが残念です。
田舎暮らし、国土の有効利用。
必ず訪れるであろう食料危機。
これらを回避する有効な手立ては?
今回は論旨も定まらず、言わんとする事も纏まりなく、それでも最後まで読んでくれた方がいらしたら感謝します。