人を許す事。
大きな心を以て他人の行った誤った行為を許す事。
故意・過失に拘らずに誰でも誤りを起こすのは人間の性です。
『
許す事』何と心地良い響きであり爽やかな風が漂うのだろうか。
誰に対しても寛容で、人間関係も波風が立たず、時に依っては美談にもなる。
人間の本性は「善」であると。
寛容、寛大な心をもって他人も自分も見つめる
こころ。
その心には憎しみとか妬みとか誹りとかの文字が無いが如くの清らかな思想しか存在しない。
傍で見るだけでも心地よく、地球上にいがみ合いなど存在しないが如くの心地よい風が通り抜ける。
イソップ寓話の「太陽と北風」を読んで育ったのに。
なのに、この性善説に立つ心暖まる寛大さが気に食わぬ。
なんと、醜い狭い心を持った人間なのかと自問自答してしまう。
勿論、
天邪鬼の私のブログです。
異を唱えこそすれ、同意する内容ではありません。
人の過ちを許さずに責める、料簡の狭い小さな人間と思っていただいても勿論結構です。
実際の度量の狭い小さな人間の自分のブログです。
故意であれ過失であれ人を罵り咎めずにはいられない。
度量の狭い意見を述べる前に、異なる側面から一言。
他人を誹り、咎める事は自分自身も他の方から誹り咎められるのである。
非を大目に見て見過ごされずに、咎められるのである。
自分自身が背筋を伸ばし清く正しく生きているかはわからない。
でも、社会全体が他人の誤った行いを咎め正す事は自分の行いにも跳ね返ってくるのである。
しかし、現在の日本の状況を見るにつけ、安易な人間関係の妥協の産物の様に感じてしまう。
他人を咎めぬ代わりに、自分の非も咎められずに許してもらう安易な社会に見えるのは自分の天邪鬼の心がなせる技なのか?
今回このスレッドを書き上げる気持ちにしてくれた物がこちらです。
先日、新聞に『太平洋戦争 DVD全集』なるものの販売の広告が載っていた。
TVのコマーシャルでも何度も放映されたいた。
神宮外苑での学徒出陣の映像とお○○戴の言葉が流れていた。
学徒出陣といい、神風特攻隊といい、何の罪のない人たちがお国の為にとの言葉に。
自己の人生を選択する事も出来ずに、指示命令に従い時の運命に翻弄される人々。
その時の日本国民、下級兵隊には悲しみを禁じ得ない。
その時代に生まれたと言うだけでこれ程の苦しみを味わう人生。
その時代を先導して国民を誤った方向に導いた責任は決して小さくない。
大きな大きな責任を負わねばならない筈である。
しかるに、その時の政治家&高級官僚&参謀本部など高級軍人など責任を問われてきたのだろうか。
占領軍から指弾されるのではなく、日本国民の中から責任が追及されてその過ちの責任が咎められなければならない筈である。
罪の意識に苛まれて自決するのと、責任追及は別物である。
死んだから死者に鞭打つことなく、無罪放免にして咎めるのを止める事は同じ環境下では又その悲劇が繰り返されるのである。
良い事は良い。
悪い事は悪いとして咎められて、二度とその過ちを起こさない堅い決意が必要ななずである。
東京電力の福島原発事故前からの経営陣など自分は決して許す事ができない。
福島の人だけに拘らず人類全員&それから地球上に生存する生物全体に責任があると思っている。
想定外の津波が来た等など真っ赤なウソである。
津波到来時の1~2週間前に巨大津波の報告書を出しているのである。
確率の問題として却下したにしか過ぎない。
原子力発電は既に神の領域に足を踏み入れたのである。
考えられる最大限の対策をせなばならなかったのにそれを怠った責任は重大である。
天邪鬼の自分としては、他人に対しても自己に対しても甘い社会が良い社会なのかとの思いが言わせる言葉なのかもしれない。
悪い事は悪い、良い事は良いと。
おまけの画像。
幸福を呼ぶポルトガルの雄鶏の
ガロです。
ガイドさんの説明を良く覚えて居た家内。
無実の青年の命を救った雄鶏です。
私は無実。
雄鶏が時の鳴き声をあげますと。
日本も幸福に満ち溢れる事を願いガロを。