週末を原村で

非日常性のユッタリした時の流れを信州は原村で。音楽を聴きながら星を眺め!最近は海外の旅の記事もアップします。

#0035 -’19. 六月大歌舞伎

2019年06月06日 12時25分29秒 | 日常の出来事(日記)
予約してあった六月大歌舞伎を観に歌舞伎座に来ています。
最近は、歌舞伎座の地下の木挽町広場でお弁当を買わずに晴海通りを挟んだ通りの反対側の辨松でお弁当を買って歌舞伎座に向かいます。
これからお弁当を買うために昭和通りを渡る所です。
出光の隣には歌舞伎座がみえます。
この先を行くと月島そして晴海です。
東京オリンピックで大工事の晴海です。
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お弁当を買って11時の開演も迫ってきましたので先を急ぎます。
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右側の昼の部の四つの演目を観ます。

一、 寿式三番叟 (ことぶきしきさんばんそう)    11:00-11:30
二、 女 車 引 (くるまひき)         11:45-12:03
三、 梶原平三誉石切 (かじわらへいぞういしきり)  12:33-1:54
四、 恋飛脚大和往来 (こいひきゃくやまとおうらい) 2:14-3:33
   【封印切】
演目の内容は歌舞伎美人(かぶきびと)から引用させて頂きます。
昼の部、最初の演目は、荘厳かつ華やかな舞踊『寿式三番叟』です。厳かな雰囲気のなか、東蔵演じる翁、松江演じる千歳が、天下泰平を祈って舞い始めます。鼓が軽快なリズムに変わると、幸四郎と松也、二人の三番叟が力強く足拍子を踏み鳴らし、躍動的に舞いました。

続く演目は、『女車引』。『菅原伝授手習鑑』のひと幕、「車引」の登場人物をそれぞれの女房に置き換えており、兄弟の争いを描く「車引」とは違い、陽気な雰囲気がある舞踊です。松王丸の妻千代を演じる魁春、梅王丸の妻春を演じる雀右衛門、桜丸の妻八重を演じる児太郎がまとう衣裳には、それぞれの夫の名前にちなみ、松、梅、桜の柄があしらわれており、なんとも目に鮮やかなひと幕です。

3つ目の演目は、時代物の名作『梶原平三誉石切』。歌舞伎の様式美あふれる演目です。吉右衛門が当り役の、情と智を兼ね備えた武将、梶原平三景時を勤めます。歌六演じる青貝師六郎太夫が、米吉勤める娘の梢とともに刀の買い上げを願い、鶴ヶ岡八幡宮の社頭へやってきます。名刀の証として、景時が手水鉢を切る場面に、客席からも思わず声があがりました。

昼の部の切は、『恋飛脚大和往来』「封印切」。「封印切」で、仁左衛門が当り役とする忠兵衛を歌舞伎座で勤めるのは、平成元(1989)年以来、30年ぶりです。忠兵衛が恋慕する傾城梅川には孝太郎、井筒屋おえんに秀太郎、恋敵の八右衛門に愛之助と、松嶋屋一門がそろいます。八右衛門の挑発に乗ってしまい、公金の封印を切る忠兵衛。手元からこぼれ落ちるお金が、悲しくも、きらきらと輝きます。身請けした梅川との死出の旅へ向かい、花道を引っ込む二人の姿に、切ない幕切れとなりました。
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もう少し詳しく知りたい方は、『六月大歌舞伎』吉右衛門、仁左衛門が古典で魅了する「昼の部」開幕レポートとしてニコニコニュースでアップされています。
是非ご覧ください。


二つの演目が終了して昼食時間です。
緞帳などの説明もあり、公演中は写真、録画、録音が禁止ですがこの時だけは撮影できます。
幕とお弁当の撮影です。
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八割がたの人が席でお弁当などを広げて食事するのが歌舞伎座の独特の所です。
江戸時代からの習わしでしょうか。
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今回は初めて二階席です。
結構良いかもです。
ロビーに色々な絵画や彫像が飾られていたが朝丘雪路の父の伊東深水の日本画が飾られていたので一枚。
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#0034 -’19. 昭和新撰江戸三十三観音 第22番補陀山大本山永平寺別院長谷寺(ちょうこくじ)

2019年06月06日 08時11分16秒 | ご朱印・納経(神社仏閣)
この日の目的ちの二つ目、根津美術館の後に訪問しました。
曹洞宗大本山永平寺東京別院 長谷寺(麻布大観音)です。

目的は昭和新撰江戸三十三観音巡り第22番長谷寺の訪問です。
観音様は麻布大観音(十一面観世音菩薩)さまです。
ご真言が「オン ロケイジンバラ キリク」「オン マカ キャロニキャ ソワカ」のどちらなのか分かりませんでした。
少し知識不足なのが残念でした。

こちらは六本木通りから曲がる所にかかっていた看板です。
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立派な大本山永平寺別院長谷寺(ちょうこくじ)が見えてきました。
一度だけ東尋坊と永平寺の訪れたことがあった。
寺院によって自然と自己の中で格付けしているみたいで、永平寺と言うと背筋がピンと伸びる感じがしてしまう。
他の寺院がそんなことが無いと言う訳ではないが、高野山も永平寺もまたお邪魔してみたいものだ。
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スマホの悲しい所です、直射日光が画面にあたると被写体の状況が分からずにシャッターを押している。
大本山の上部が消えている。
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山門の右に架かる大本山永平寺別院の看板と左に架かる長谷寺専門僧堂と架かる修行の場である事を示す看板。
その時は意識もせずに撮影しましたが、若い修行僧が勉学に励む所である事を今になり感じる次第です。

HPから引用させて頂きます。
専門僧堂としての歴史
長谷寺は昭和43年に曹洞宗宗務庁より認可を受け、修行僧の教育機関として大本山永平寺別院長谷寺専門僧堂となりました。以来、春と秋には仏道を志す者が修行にやって来ます。現在は約30名の修行僧と、その指導役10名の計40名の僧侶が寝食を共にし日夜修行に励んでいます。

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一般の寺院の本堂にあたる法堂(はっとう)です。
家内と共にお参りする時に、托鉢を終えた修行すが法堂に戻ってきたところでした。
指導僧にお参りの方の邪魔にならないようにするべく指示をうけておりました。
その配慮には反対に修行僧の邪魔にならないようにこちらが恐縮してしまいました。
修行僧は撮影したいでくださいとの注意書きがありましたので写真はありません。
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