週末を原村で

非日常性のユッタリした時の流れを信州は原村で。音楽を聴きながら星を眺め!最近は海外の旅の記事もアップします。

#0046 -’19. 自由学園明日館を訪問して(その一)

2019年06月19日 21時15分53秒 | 街角
昔から自由学園が東京都下、以前の北多摩郡に在ったことは事は知っていました。
今の東京都東久留米市です。
その建物の一部が池袋にあるとは知りませんでした。
池袋に京劇を観に行くならばと、自由学園明日館に見学に行くことを家内が計画してくれました。
私立学校はどこでも独特の建学の精神をもっていますが、自由学園は名が体を表す如くのどこか大正デモクラシーを感じさせる学園として自分の心の中にはありました。
学園が建学の精神として掲げるコンセプトはHPに載っていますので興味のある方はそちらをご覧ください。

自由学園明日館のHPから引用させて頂きます。
自由学園の歩みと明日館
自由学園の創立者、羽仁吉一・もと子夫妻は、20世紀初頭に近代化する日本に自分たちが考える新しい社会をつくりたいと、明治36年(1903年)に月刊誌『家庭之友』(『婦人之友』の前身)を創刊、次いで、大正10年(1921年)に自由学園を女子の学校として東京目白(現在の豊島区西池袋)に創設しました。
設立時の校舎は、20世紀を代表する世界的建築家である米国のフランク・ロイド・ライトとその高弟・遠藤新の設計によるものです。その後、初等部を創設。教育対象が広がるのに合わせて、昭和9年(1934年)にキャンパスは南沢(現在の東京都東久留米市)に移り、男子部、幼児生活団、最高学部が開かれました。
目白の校舎は、明日館(みょうにちかん)と名付けられ、卒業生が在学中に学んだことを生かして、社会に働きかける場所として活用されてきました。幸いにも関東大震災や太平洋戦争の被害を免れ、戦後は自由学園生活学校(1948年~1973年)の校舎としても使われました。
国の重要文化財となった自由学園明日館
明日館は平成9年(1997年)に国の重要文化財の指定を受け、その後、約3年間をかけて保存修理工事を行ないました。修復された後は広く一般の方々にも利用されています。
重要文化財を使用しながら保存する「動態保存」の成功例とされ、見学、公開講座、結婚式、コンサート、雑誌の撮影などで多くの方にご利用いただいています。
大正10年(1921年)4月15日、開校の日に入学式が行なわれた教室は、”Rm1921‟と名付けられ、現在の自由学園を紹介する写真などを展示し、見学可能な日にはご覧いただいています。学校紹介のパンフレット類もご用意しています。
自由学園明日館
所在地 : 東京都豊島区西池袋2-31-3  JR池袋駅メトロポリタン口より徒歩5分



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#0045 -’19. 小林可夢偉の心情を思うにつけ@ルマン24時間 2019

2019年06月19日 13時40分58秒 | 
今年のルマン24時間の耐久レースもTOYOTA CAZOO RECING の8号車のセバスチャン・ブエミ/中嶋一貴/フェルナンド・アロンソ組がラスト一時間になった時点で7号車のピットミス(ドライバーの責任に拠らないピットクルーの指示)で優勝を手にした。
レギュレーションの関係で総合優勝を争う相手は同一チームの二台のみである。
それでなくても、レーシングチームが同じとは言え号車の違う競争相手である事に変わりはない。
しかし、ステアリングを握る選手は誰よりも自分の手で、自分の実力で勝利を捥ぎ取りたいと願う。
せめて、チームが異なれば魔物が棲むルマンですから棚ぼた的に勝利が転がり込んで来ても嬉しいが、7号車のメカニカル・トラブルは8号車にも起こる危険性があり車体の開発、そしてエンジンの開発には共通認識に立って進められてきている。
レースですから運が左右することは致し方のない事ではあるが、今回の可夢偉のレース後のインタビューは見るに忍びなかった。
8号車トヨタTS050ハイブリッドと、マイク・コンウェイ/小林可夢偉/ホセ-マリア・ロペス組7号車トヨタがテール・トゥ・ノーズで競い合い最後には一分以上の差を開く優勝だと思われた。
それが、手から水がこぼれるが如くに優勝がすり抜けていってしまった。

今回の予選でも小林可夢偉が最速タイムでPPを獲得して文句なしの優勝と誰もが思った筈である。
自分も右前輪のスローパンクチャーでも優勝だと思っていた。
でも、ラスト一時間を切ったところでの再度のピットインです。
可夢偉にとってはかくも現実とは厳しい罰を与えるのかとの心境だったと思わずにはいられない。
レース終了後のJSPORTS1のインタビュアーのと会見ではサングラスを掛けて応じていた。
心の葛藤を読み取られまいとする姿が映し出されていた。
来年には是非ともルマンで優勝してほしいものである。

好きなレーサーは小林可夢偉中嶋一貴、そして佐藤琢磨を応援しています。

フランスはルマンのサルト・サーキットが明けてきました。
各チームにとっては朝が迎えられたことを祝してくれるが如くの日の出ですが、未だ日は昇っていないようです。
24時間経過まで残すところ9時間と6分です。
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総合一位を疾走する7号車のON BOARD CAMERA の画像です。
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ピット風景ですが、今は耐火スーツとヘルメット着用は義務です。
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クラス(カテゴリー)の異なる遅いポルシェを追い抜く所です。
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前の画面の三秒後です。
左でブルーフラッグが表示されているのが分かります。
夜は四角いランプが点灯していました。
時代も変わりました。
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ラスト9時間の時点での総合順位です。
1位七号車、2位八号車です。
レースは終わってみないとホント分かりません。
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異なるクラスのピット風景です。
右上には一位の7号車の画像が小さく映っています。
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こちらの画像も我が家のCATV(JSPORTS1)の場面を携帯電話で撮影させて頂きました。
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