今回提案する事は公共交通機関内で座席を譲られた時の話です。
席を譲られたときの貴方の行動は如何にです。(席を譲る側の貴方なら幸せです。)
自分が善意を素直に受けるべきと感じた状況は次の時です。
我が家は宇治の平等院、次に萬福寺を参拝して京都に戻る時のJR奈良線の車内のお話です。
千本鳥居の有る伏見稲荷大社の人気は日本人に止まらず海外からの訪日客には絶大です。
京阪電鉄線か奈良線を利用して京都駅に戻るのが一般的です。
JR線は各駅停車でなければ人気ナンバーワンの伏見稲荷の最寄り駅は通過して停まりません。
我が家が乗車したJR黄檗駅からの乗車時はガラ空きでした。
京都も近くなりJR線の伏見駅から沢山の乗客が乗車してきました。
沢山の方が立って乗車する状況です。(関西に多い4人掛けのボックスシーツです。)
混んではいますがぎゅうぎゅう詰めと言う事はありませんでした。
座る方は座り、立っている沢山いました。
高齢なご婦人が席を譲られていましたが、大丈夫と譲ってもらった行為を辞退していました。まだ、席を譲られるほど高齢では無いと思ったのでしょうか。それと、京都駅は近くなっていましたから辞退したのでしょうか。それとも反射的に辞退したのでしょうか。少し離れていましたから、ご婦人の意志は推し量るすべもありません。譲ってくれた方は外国人なのかもよく分かりませんでした。席を譲られて座ってもおかしくない高齢だとはおもいました。
その時自分が思った感情は「善意は素直に受けましょう」です。好意は素直に受ける事によって次の好意に繋がるからと思うからです。
思うほど直感的には行動に反映はできません。反射的に辞退する事が無いように善意は次の善意に繋がる蕾だと思い、善意は受けるべしと強く感じだ次第です。
ここからは追加の記事と写真です。
この日の行程です。JR京都駅⇒JR宇治駅⇒(宇治の平等院)⇒京阪宇治線宇治駅⇒宇治線黄檗駅⇒(黄檗宗萬福寺)⇒JR黄檗駅⇒京都駅です。
JR黄檗駅で乗車した京都駅各駅電車です。
車内はご覧の通りすいていましたが、その後伏見で沢山乗車してきました。