本と映像の森 143 宮崎駿さん著『トトロの住む家』朝日新聞社
現実世界の映像は、津波の押し寄せる自然の猛威や、まるであばら屋のような壊れ方をした福島原発やら、心楽しくない映像ばかりなので、すこしは、楽しい「本と映像」を書いてみました。
昨日、次女のIさんが「お父さん、読む?」と言ったので、即時に「読む!」と答えました。
なんせ、宮崎駿さんと「トトロの住む家」ですからね。
宮崎駿さんが「トトロが喜んで住みそうな「懐かしい家」(7つの家)を訪ねてみた」本です。
台所でぱらぱらめくってみて、すぐにIさんに「ほら、これだよ!こういう台所。こういう電球が、いいんだよ」と口走ってしまいました。
さらに「こういう樹木がいっぱいある庭!これ、むかしの雨宮家だよ!」と。つまり、ぼくが7才まで過ごした新町の借家そのものだと、今やっと気づきました。
宮崎さんは、子ども時代には、こういう家の秘密や迷宮や闇が必要だと書いています。
同感ですね。
つまり「真っ黒黒介」が住める影ということです。
影も闇もない、のっぺらぼうな世界は、人間の住む世界ではありません。
この物語の最後のページは「こんなトンボ池がほしい」と書いてある、小さな男の子が座って見ている、水草がいっぱい生えた小さな池です。
Iさんに「ほら、こういう池、いいねえ」と言ったら
「今の親は、こういう池があったら、柵をつけるんじゃない?」と。
さらに「小学校に、アメンボの池があったの。今もあるかしら」と。
ぼく「今もあるか、2人で見に行こうか?」
「懐かしさがしみ通る」だけではなくて、大震災の悲惨な事態に、どうやって未来に行き着けるか、あらためて過去に戻ってみる必要があるのではないでしょうか。
さて、ここまで書いて、ぼくや則子さんもかかわりあっている里山の「里の家」。
これこそ、トトロが住んでいそうな懐かしい家、そのものではないでしょうか。
そういう家に、毎日のように(行かない日もありますが)、「ただいま」と帰って行ける幸せ…をかみしめながら、この幸せを、もっとたくさんの人に味わってもらいたいと思います。
現実世界の映像は、津波の押し寄せる自然の猛威や、まるであばら屋のような壊れ方をした福島原発やら、心楽しくない映像ばかりなので、すこしは、楽しい「本と映像」を書いてみました。
昨日、次女のIさんが「お父さん、読む?」と言ったので、即時に「読む!」と答えました。
なんせ、宮崎駿さんと「トトロの住む家」ですからね。
宮崎駿さんが「トトロが喜んで住みそうな「懐かしい家」(7つの家)を訪ねてみた」本です。
台所でぱらぱらめくってみて、すぐにIさんに「ほら、これだよ!こういう台所。こういう電球が、いいんだよ」と口走ってしまいました。
さらに「こういう樹木がいっぱいある庭!これ、むかしの雨宮家だよ!」と。つまり、ぼくが7才まで過ごした新町の借家そのものだと、今やっと気づきました。
宮崎さんは、子ども時代には、こういう家の秘密や迷宮や闇が必要だと書いています。
同感ですね。
つまり「真っ黒黒介」が住める影ということです。
影も闇もない、のっぺらぼうな世界は、人間の住む世界ではありません。
この物語の最後のページは「こんなトンボ池がほしい」と書いてある、小さな男の子が座って見ている、水草がいっぱい生えた小さな池です。
Iさんに「ほら、こういう池、いいねえ」と言ったら
「今の親は、こういう池があったら、柵をつけるんじゃない?」と。
さらに「小学校に、アメンボの池があったの。今もあるかしら」と。
ぼく「今もあるか、2人で見に行こうか?」
「懐かしさがしみ通る」だけではなくて、大震災の悲惨な事態に、どうやって未来に行き着けるか、あらためて過去に戻ってみる必要があるのではないでしょうか。
さて、ここまで書いて、ぼくや則子さんもかかわりあっている里山の「里の家」。
これこそ、トトロが住んでいそうな懐かしい家、そのものではないでしょうか。
そういう家に、毎日のように(行かない日もありますが)、「ただいま」と帰って行ける幸せ…をかみしめながら、この幸せを、もっとたくさんの人に味わってもらいたいと思います。