雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

遠州古代史ニュース 4月 北区細江町狐塚古墳は方墳と判明しました

2011年04月16日 20時57分29秒 | 遠州古代史
遠州古代史ニュース 4月 北区細江町狐塚古墳は方墳と判明しました

 これまで「円墳」とされていた、北区細江町の狐塚古墳は、浜松市の発掘調査で5世紀半ばの方墳と分かりました。

 ここまで書いたところで、電源が「ピロピロ」と切れかけて、ビックリしましたが、なんとか修復しました。
 つまり「ジュラシック・パーク」状態でした。

 発掘調査によって、狐塚古墳は、一辺が約22mの2段築造で、静岡県内で3番目に大きい方墳となりました。

 新聞やネットでの報道によれば(というより浜松市の発表によれば、でしょうね)、表面を「葺き石」で覆ったことと、円筒埴輪が規則的に立ち並ぶ状態で出土したこと、身分の高い人物にさしかけた「傘」の形象埴輪が出土したこと、防具「短甲」が鉄板を革紐でとじた技法であることなど、大和政権との関係を強調した報道でした。

 この5世紀は、中国文献でいう「宋書」「倭の五王」の時代です。
 
 大和政権との関係は肯定できるとしても、それがどういう文脈(コンテキスト)のなかで交流があったのか、すこしは考えてもいいのではないでしょうか。

 つまり、大和政権に従属せざるを得ない「消極的」選択なのか、それとも朝鮮半島への侵略という文脈での、大和政権が地方政権を一定、懐柔せざるをえないという文脈なのか。

 ぼくのような歴史マニアは、とくに「方墳」は、前方後円墳ではない、という意味で、もっと厳密で、史的な考察をしなければならないと思います。
 そういうことは、マスコミと巨大新聞に期待するものではないですが、でも、ひょっとして、という期待はありますね。
 だめでしょうけど。