雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

本と映像の森 148 空想小説館「銀河鉄道の第2夜」

2011年04月25日 07時07分29秒 | 本と映像の森
本と映像の森 148 空想小説館「銀河鉄道の第2夜」

 実在しない「本」なので、恐縮です。
 自分に実力があれば、書きたいのですが、心許ないので、妄想だけを書きます。

 宮沢賢治さんの「銀河鉄道の夜」は、1920年代~1930年代に、日本の岩手県を出発して、イタリア風の名前の少年・ジョバンニとカンパネルラが「銀河鉄道」に乗り込んで織りなす「死と生の物語」でした。

 銀河軽便鉄道に乗り込んで、南へ降りていく2人の少年の物語ですね。
 目的地は、天国です。

 この「第2夜」は、カンパネルラと会いたいジョバンニが、再び銀河鉄道に乗り込む話です。

 ところが、ジョバンニが,懐かしい「銀河ステーション」に行くと、「銀河鉄道」で出発準備をしていたのは…。
 
 ソ連のスターリンさん、ドイツのヒットラーさん、日本の天皇ひろひとさん…
 しかも向かう方向が…南ではなくて、北です

 もちろん目的地は「地獄」です。

 「地獄めぐり」で有名なのは、中世イタリアのダンテさんですが。
 
 「地獄巡り」で好き(「好き」というと変ですね)なのは、永井豪さんのマンガ「デビルマン」での主人公の地獄旅と、「デビルマン・レデイス」での通称・ダンテ(本名は宇津井…)の地獄旅ですね。

 宗教的な精神では、人間は現世で罪を犯すと、地獄にいくことになっていますが、罪を地獄でつぐなうと天国にいけるのでしょうか?

 人間は罪を犯すとその罪で魂が重くなって、地獄へ行きますが、地獄で苦しんでその罪をつぐなうと魂が軽くなって,フワフワと浮いて、天国へ行くことが出来ます。
 うわ、すごい妄想です。

 誰か、戯曲を書いてもらえませんか?
 

雨宮日記 4月24日(日)の3 野菜や人間へのハラスメント行為

2011年04月25日 06時49分48秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 4月24日(日)の3 野菜や人間へのハラスメント行為

 「本と映像の森 147 水上勉さん『土を喰う日々』新潮文庫、1982年」で、野菜や農作物を、ほんとうに大事にして、すべて使い切るという、水上さんの話を書きました。

 それにたいして、ちょっと放射能がかかったから、あるいは放射能があるかもしれないから、と,ゴミのように捨てる、ことは、人間的な行動なのでしょうか。

 もちろん、資本主義的な眼でいえば、より安全な物、より価値の高い物を求めるのは当然でしょうけど…。

 千葉のある街で、福島から非難してきた生徒とわかったら、まわりの子どもたちが、いっせいにいなくなったそうです。
 その子と親は、いやになって、福島へ帰ったそうです。
 実話です。

 なにか、大事なことが抜け落ちてしまっています。

 牛などの家畜や犬や猫などのペットが、放射能地帯に放置されて,やせ細っていくのを見ました。

 植物も,動物も,人間も、ほんとうにだいじにされる社会を、どうつくればいいのでしょうか。

 わが妻、則子さんとともに、ぼくも「風の谷のナウシカ」のように行動したいと思います。

 

雨宮日記 4月24日(日)の2 未来を選択するため、捨てるものは捨てる

2011年04月25日 06時18分09秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 4月24日(日)の2 未来を選択するため、捨てるものは捨てる

 今日は時間があったので、夜、則子さんと台所でいろいろ話しました。

 妻の則子さんがいないと、つまらないので、今日は、つまらなくなかったです。
 つまり、妻がいないと、つまらないです…。

 則子さんに、「部屋を片付けるために、決意して断舎利するから」、全国的なある市民団体の「会員は維持するから、新聞は停止して」と言いました。

 則子さんは、あきれたような顔になりました。
 「智彦くん、ふつう、夫婦で会員のとき、女性の方の新聞を止める人が多いでしょ?」と言うのです。 

 ぼく「えー、だって、部屋を片付けないといけないのはボクだから。ゴミを捨てる決意を込めて○○新聞は止めるんだよ。いいでしょ?」
 則子さん「○○新聞はごみじゃないでしょ?」
 ぼく「40年間の○○運動にかかわってきたんだからね、何か決断しないと。喪失の哀しみですよ」
 則子さん「わかった。本気なのね…」
 ぼく「うん…」

 あんまり大きな声でしゃべると、次女のIさんが「うるさい」という顔で、ドアを閉めに来るので、静かにしゃべりました。
 
 果てしない未来へ続くためには、原発も捨てたいですね。
 (小松左京さんの傑作SF小説「果てしなき流れの果てに」を参照)
 
 

本と映像の森 147 水上勉さん『土を喰う日々』新潮文庫、1982年

2011年04月25日 05時56分35秒 | 本と映像の森
本と映像の森 147 水上勉さん『土を喰う日々 ~わが精進十二ヶ月~』新潮文庫、1982年8月25日発行~2008年12月20日22刷、235ページ、定価400円+消費税

 小説家の水上(みずかみ)勉さんは、京都の禅宗寺院で小僧として育ちました。
 その禅寺で水上さんが教えられたのは、寺の畑で育っている野菜を材料にして料理をつくることでした。
 つまり「精進料理」ですね。

 この本は、軽井沢の水上さんの自宅の庭でとれた野菜を材料に、1年12ヶ月、水上さんが自ら包丁を持ってさばいた旬の料理を紹介しています。

 とてもおもしろいです。
 水上さんは言います。
 「材料のない中から総菜をつくるのである。つくるというより、絞り出すといった方があたっていた。これが老師の教えた調理法の根のように思う。」
 「つまり、いまのように、店頭へゆけばなにもかもがそろう時代とちがって、畑と相談してからきめられるものだった。」(p10)

 たとえば「くわい」の料理法とか。
 たとえば、あの道元さんが「典座(てんざ)教訓」という料理法の本を書いているとか。
 たとえば「すりこぎ」の話とか。
 たとえば、むかしの「辛い大根」の話とか。
 
 高野豆腐、山菜、竹の子…
 昨年から、里山の管理にかかわってきて、なんとなくですが、水上さんの意見に、実感して、共感できるようになりました。

 やはり、まず自分で里山でとってきて、自分で調理してみて「本と映像の森」コーナーではなくて、「マイ料理」コーナーをつくって紹介するしかないようです。