雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 7月4日(木)の2 スイカの皮を捨てずに炒め物に

2013年07月04日 22時42分35秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 7月4日(木)の2 スイカの皮を捨てずに炒め物に

 エコライフです。

 今までスイカの赤い実を食べて、皮は捨てていたのですが、則子さんがテレビを見て、スイカの皮も捨てずに「食べれる」というので、やってみました。

 スイカの皮をベーコンと炒めました。

 んん?まずくはないです。

 おいしい?かなあ?

 


雨宮日記 7月4日(木) 変人「探偵ガリレオ」のようにはいきませんが

2013年07月04日 22時31分50秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 7月4日(木) 変人「探偵ガリレオ」のようにはいきませんが

 いまテレビで毎日やっているドラマ「ガリレオ」、帝都大学湯川学准教授と、警視庁岸川刑事(若い女性)との関係は、「解決してください!」「謎ですよね」「どう思います?」と責められるという点において、ぼくと則子さんとの関係と同じです。

 行動タイプで、まず体が動くという則子さんと、思考タイプで、自分では動かないくせに、まず思考が先行するぼくと、30数年前に出合ってしまったことが、すべての始まりでした。

 「ガリレオ」のように「物理学的」問題なら、まだ「方程式」で解けるのですが、ぼくが則子さんから「解決しなさい!」と責められるのは、「社会的」「集団的」「個人的」諸問題で、数学の方程式では解けません。

 もっと複雑怪奇な、社会学・集団学・個人学を駆使しないと解決できません。

  ☆

 湯川さんは岸谷刑事と、研究室で会うだけなのですが、ぼくは、あいにく則子さんと四六時中、24時間、家で逢っていないといけないので、もっと「過酷」です。

  

 


遠州の遺跡・寺社・地名 106 北区都田町の郷ヶ平4号墳

2013年07月04日 21時46分29秒 | 遠州古代史

遠州の遺跡・寺社・地名 106 北区都田町の郷ヶ平4号墳

 「遠州の遺跡・寺社・地名」は、すべて実際に行った記録です。2013年(平成25年)7月2日(火)踏査。

 現地は、三方原公民館の横を通る道路を北へ走り、西部養護学校横、ジュピター横を通り、信号「都田口」を越えて、最初の信号を越えると、道が右へ(東へ)曲がっていきます。

 東向きになったあたりに、左手(北側)に、養護老人ホーム「九重荘」が見えてきますので、その「九重荘」の建物の東側を北へ入ります。

 車で入れます。

 すぐ目の前に、林と低い丘が見えてきます。

 それが郷ヶ平4郷墳です。郷ヶ平古墳群の中では、唯一、墳丘が残っています。浜松市が2006年に「史跡指定」したので、説明看板が立てられています。

 前方後円墳で、ほぼ北向き(雨宮は、前方部から後円部を見た方向を「前方後円墳の方向」としてます)、全長26.5m、後円部直径16.5m、墳丘の高さ2.5mです。

 幅約4mの周溝があります。

 北向きといっても、ズレがあって、古墳の主軸は真北から22度西に振っています( 『郷ヶ平古墳群』p10 )。

 円筒埴輪、朝顔形、馬形埴輪が出土しています。

 時代は6世紀中葉と推定されています。

 この4号墳は、ほぼ北向きなのに、これより前の5世紀末と推定されている「郷ヶ平3号墳」は、東向き、というのが、「実に面白い」ですね。

 なお、以前に 遠州古代史ニュース 2013年6月 郷ヶ平古墳群で新たに前方後円墳

2013年06月14日 15時41分21秒 | 遠州古代史 で書いた「郷ヶ平6号墳」は発表では6世紀前半とされています。この6号墳は北向き(ほぼ正確に)です。
 
 つまり、郷ヶ平3号墳 → 郷ヶ平6号墳 → 郷ヶ平4号墳、という歴史が確認されたわけです。
 
 前方後円墳の向きは、東向き(3号墳) → 北向き(ほぼ正確に、6号墳) → 北向き(西に22度振れる、4号墳)となります。
 
 日の出の方向を拝む「太陽信仰」あるいは「女神信仰」から、北を拝む騎馬民族的な「天」信仰への変化が、日本の古墳の方向も規定していると思います。
 
 東向きの郷ヶ平3号墳と同時代で、当時の浜松で最大規模(全長55m)の陣座ヶ谷古墳も東向きです。
 
 ところが、郷ヶ平3号墳や陣座ヶ谷古墳より少し時代が前の、天竜市二俣の「光明山古墳」(推定で5世紀中葉、全長82mの前方後円墳)は北向きです。
 
 つまり、東西軸の太陽信仰と、南北軸の天神信仰がせめぎ合い、だんだんと、南北軸に変化していくのが時代の趨勢ということだと思います。