雨宮日記 7月25日(木) 暑いのに労基署・浜松市へ則子さんと申し入れ
午前中から、というか、朝からボクが起きれるようになりました。つまり、普通人のくらしに復帰しつつあるので、長女や則子さんが午前中から、ぼくを使うようになりました。まあ、嫌じゃないです、嬉しいですけど。
今日は、午前9時過ぎに車で則子さんと家を出て、まず浜松労基署へ向かいました。則子さんが中区中央の「県総合庁舎」と言い張っていたので、おかしいなと思いながら、それに「夫は妻に従いつ…」を守って、口論せずに、まず総合庁舎の駐車場へ入ろうとしました。
門番の人に「労基署へ行きたいんですけど」と言ったら「それは、ここじゃなくてすぐ東の合同庁舎の駐車場です」と言われて、そっちへ回りました。
則子さんは、ぼくのような「理論」を信じるのとちがって、自分の行動と自分の体験以外は信じない「行動派」なのですが、ときどき困ります。
ちょうどうまく「合同庁舎」の駐車場に入れて、8階の「浜松労基署」へ行きました。
前日までに2人で作ったA4でほぼ2ページの、かなり詳細な文書をもって、労基署と浜松市の障害福祉課に現状を説明しました。
「則子さん文書」、読みたい方は、連絡ください。
どっちも、向こうが「もう終わり」と言わないので、かなり詳細に話をして、浜松市の障害福祉課と話を終えたのが12時直前でした。
則子さん1人の給与を取るのだけが目的ではないです。障害者も健常者も、まともに働ける、いい職場をつくる努力をしたいと思います。
「わたみ(和民)」みたいのが、あっちこっちにあるのは異常です。
☆
午後は、ぼくは「浜岡原発裁判静岡県西部の会」事務局会議へ参加。則子さんは、夕方から静岡市へ、夜、「原水爆禁止世界大会静岡県実行委員会総会」へ、浜松を代表して出ないといけないので、午後の会議はパスして、ぼくだけ出ました。
福島原発事故のリアルな実態をこの眼で見たいということで、西部の会で、福島現地見学調査を論議しました。
ぼくは、もともと「歴史科学」ですから「実際に、この眼で見ないと」成り立たない、のであれば、そもそも「歴史科学」は成り立たないので、見ないとダメだということではないです。
「講談師、見てきたようなウソをつき」になりますからね。
でも、実際にみれるなら、その方がいいですし、正確になります。
☆
次女のアイさんが、夜帰って来て、則子さんとボクの部屋へ来て言った一言。
「お父さん、わりあい片付いてきたね」
(片付いてきたのではなくて、単に、奥の、ぼくの使っている2部屋へ、機械的に移動しているだけなんですけど)
「なんだよ、(姉の)Tさんに、お父さんがちゃんと、自分が里帰りする1月までに片付けるか、監視して、って言われた?」
「そうでもないけど、片付かなかったら、お父さんに、アパートへ通ってもらうって、言ってたよ」
それは、いい考えですね。その方が楽かも…。