雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

新・本と映像の森 17 瀬名秀明『デカルトの密室』新潮文庫

2017年03月09日 10時24分59秒 | 本と映像の森
 新・本と映像の森 17 瀬名秀明『デカルトの密室』新潮文庫

 新潮社、2008年(平成20年)6月1日発行、原著2005年(平成17年)、617ページ、781円 
 
 叙述サイドの主人公は4人(4人というべきか、3人と1体と言うべきか)。ロボット工学者 尾形祐輔、進化心理学者 一ノ瀬玲奈、そして少年型ロボットのケンイチ、そして編集者 奥山友美。

 タイトルは、哲学者ルネ・デカルトの名前から取られた。デカルトは、『方法序説』で、人間と機械の思考を比較検討した。

 4人は、人工知能コンテストの会場メルボルンに集結する。そこで事件は始まる。

 事件のドラマと平行して、主人公たちの「人間と機械について」の思考のドラマが進む。もちろん2つのドラマは密接にからみあっている。

 機械は思考するか? 人間の思考の特質は、どのようなものか? 人間と機械を見分けることはできるのか?

    ☆

 なお、この本の主人公のひとり、フランシーヌ・オハラと、森博嗣さんの連作『四季』の主人公・真賀田四季の類似は誰の目にも明らかであろう。

 フランシーヌ・オハラは事件をきっかけにネットの中に入っていく、「真賀田四季」も事件をきっかけではないが、ネットのなかに永遠の生命を保つ。

 しかも事件にはフランシーヌ・オハラの娘が深くかかわっている。真賀田四季の『すべてがFになる』事件では四季の娘が重要な役割を果たす。

 平成17年8月新潮社より刊行だから、2005年8月である。

 すでに森博嗣さんの連作『四季』は、4冊全部が2003年から2004年にかけて出版されている。

    ☆

 しかし似ているのは、ここまでで、この本の独創性を揺るがすものではない。

 この本の独創性は、ロボットと人間の違いと同等性についての思考実験の独創性にある。

 その叙述の正否は、いまだ人類全体で論争中といえるだろう。そういう重大な論争を「人類論争」と呼ぼう。

 人類論争は、裁判官のいない法廷であり、判決のない法廷である。この法廷に参加する個人・検察官・弁護士・加害者・被害者は、それぞれ自らが「現時点での裁判官」として「自らの判決」を書かねばならないのである。

 あなたは、どんな判決を書くだろうか?