新・本と映像の森 25(SF5) オーウェル『一九八四年』ハヤカワepi文庫、2009年
ジョージ・オーウェル著、高橋和久訳『一九八四年 <新訳版>』早川書房、509ページ、定価本体860円。
原著1948年、イギリス。
1984年の近未来、世界はオセアニアとユーラシアとイースタシアに3分割され、つねに戦争状態にあった。
オセアニアでは、党と≪ ビッグ・ブラザー ≫が支配し、≪ ニュー・スピーク ≫によって人々の思考まで支配されようとしていた。
過去は絶え間なく改編され、確定された歴史は存在しない。
各個人の部屋には≪ テレ・スクリーン≫があり、現代のテレビと各個人の部屋を透視し、盗聴する2つの機能を持っている。
政府は、平和省と真理省と淳沢省と愛情省がある。
平和省は戦争をし、「愛情省は法と秩序の維持を担当」する。愛情省が管轄する警察は、この世界では「思想警察」と呼ばれる。
文字通り、思想そのものを取り締まるからだ。
政府のスローガンは次の3つである。
戦争は平和なり
自由は隷従なり (これはたぶん「隷従は自由なり」だと思う)
無知は力なり (これは「知は力」のパロデイ)
≪ ニュー・スピーク ≫ということは、現代日本でも無縁ではないだろう。
現代日本の政府は、「戦争」を「安全保障」といいい、「墜落」を「不時着」といい、「戦闘」を「武力衝突」という。
☆
心に不満を抱えるウィンストン・スミスは、真利省記録局に勤めながら、ひそかにひとり、日記を書き始める。それが知られれば、重罪として確実に逮捕され、収容所へ送られることになる。
ボクみたいに公開のブログ日記を書くなど、この世界では、あり得ないことなのだ。
物語はスミスが美女ジュリアと禁止されている恋愛行為にふけりだしたかとで、新たな展開をみせる‥‥。
☆
社会のなかに階層があって、下層の「プロール」たちの描き方だけは、納得がいかない。何より下層の人々にたいしては、支配がゆるいという叙述は、現実にはあり得ないだろう。
ジャンルを「SF」としたけど、著者が、この本をSFとして書いたかどうかは、今まだ、わかりません。そうでないような気がします。
ところで、この本はいい本か?
ボクは、100%いい本であると答えます。すくなくとの、誰もが読んで論争すべき本でしょう。