自分史 物怖じしない国際人を育てるヒント集

近現代史に触れつつ自分の生涯を追体験的に語ることによって環境、体験、教育がいかに一個人の自己形成に影響したか跡付ける。

ファゼンダで生活環境一変/広い環境と狭隘な文化/第三期

2010-11-19 | 体験>知識

ファゼンダ(大農場)はさらに峠一つ市街地から離れたところにあった。
はじめて自転車を買ってもらった。
大人用だったので足がペダルに届かず横乗りをした。
Uフレームの婦人車などなかったので三角フレームの間に脚を入れてペダルをこぐのが普通だった。
まもなく足が届くようになって行動範囲がいっきょに広がった。
自転車で15kmぐらい先の市街地に行くことができた。
友達環境も一変した。シッチオ(小農場)では両隣の日本人の兄妹たち、オラリアではガイジンのこどもたちの中でほぼ一人の日本人だった。
いとこたちはみな年少だった。
ファゼンダではNさんファミリーのこどもたちと契約農のガイジンの子たち、総勢20人ほど、そんな環境だった。
忘れるところだったが我が家の隣も日本人だった。こどもがたくさんいた。
ガイジンはほとんど、陽気で騒がしいイタリア系だった。
女の子を入れるとフットボールチームができるほどのこども社会だったが、まったくフットボールと縁のないという意味で文化的に孤立社会だった。
最初のころボールをもって家を出たがNさんファミリーのこどもたちに見下された空気を感じてやめた。
その後60年経って日系の青年はみなフットサルに興じるようになったが、いまだに日系のスーパスターが出ない背景には入植当時から引きずる日系人独特の価値観がある。教育熱が高い分だけフットボールを軽んじる空気がある。