自分史 物怖じしない国際人を育てるヒント集

近現代史に触れつつ自分の生涯を追体験的に語ることによって環境、体験、教育がいかに一個人の自己形成に影響したか跡付ける。

父の故郷と仮住まい

2012-04-23 | 体験>知識

不思議と富士山、ヒロシマの記憶がない。
列車が久留米駅に着くや否や親戚たちがうわっと駆け寄ってきた。
老いてやや前かがみの祖母を押し出すように父の姉、妹たちが続いた。
弟は一人だけだった。
戦争で二人逝ってしまっていた。
父は長男でありながら13歳で志願して親類にしたがって渡伯した。
ふるさとの家族を支えたい一心で苦労に耐え34年ぶりに故郷に帰還した。
ふるさとの肉親たちはまさに百姓として、つまり小作農、農協職員、看護婦、
調理士、出征兵士として苦労した。
そして双方の想いがいま合して一塊の炎となって燃え上がった。
自分はといえばとくに感動も興奮もなくクールに傍観するばかりだった。
落ち着いた先は叔父を戸主とする普通のわらぶきの百姓家だった。
父が生まれたときの家屋敷はすでに人手に渡り畑に変わっていた。
土間に入ると小船が天井から吊り下がっていた。
当時筑後川の氾濫に備えてどの家にも小船があった。
玄関の小部屋を抜けると仏壇のある畳敷きの客間があった。
そこが私たちの仮の宿だった。つぎに板敷きの居間があり2家族が集まって
そこで食事をした。
あと狭い台所と風呂場と厠があった。
家の裏に狭い野菜畑と鳥小屋、ウサギ小屋があった。
古い日本の生活を体験できたことはその後の私にとって財産となった。