駅からさほど遠くないT字路の商店が遊びのセンターだった。
ひさしが広く張り出していてバス待ちの人の休憩所になっていた。
同学年の遊び友達がいて、その子の祖父が様々な商売をしていた。
最初は若い女を売っていた。
下校途中の口さがない中学3年生がからかった。
「や~い、パンパン」
2階の窓辺に連なって座った女たちが巧みに応じた。
「きれいに洗って待っているからね」
もともと、パンパンとは、一般の女子を駐留軍人から護るために政府が占領軍が
到着する10日前に設置を通達した慰安所の女性たちにたいする蔑称である。
*8月18日内務省通達「外国駐屯軍慰安設備に関する整備要項」
施設には資金と布団や避妊具が支給された。
*占領軍によるレイプ事件の統計がある。
ドイツ、沖縄で各万単位
神奈川県下で最初の10日間で1,336件
この考えられない国の対応の速さと占領軍によるレイプ暴発数に、今国際問題に
なっている従軍慰安婦問題を考えるヒントがあると思う。
当時わたしも内心彼女たちを馬鹿にしていたが、最近NHKの土曜ドラマを観て
いてそのなかで「彼女たちは男たちが始めた馬鹿な戦争の尻拭いをしているのだ」
というせりふを聞いて見方を変えた。
まもなくおじいさんは商売をパチンコに替えた。
われわれは雨の日などは床に落ちている玉を拾ってせこい稼ぎを狙ったものだ。
来る日も来る日もビー玉遊び、パッチリ(めんこ)遊びに夢中になった。
ある雨の日パチンコ屋のひさしの下でパッチリをしていたとき高1ぐらいの体の
でかい見知らぬ若者が2人来て遊びに割って入った。
何が気に障ったのか分からないがいきなり一人が長靴をはいた足でしゃがんで
いる私の胸を思い切り蹴って去った。
手加減いや足加減のない蹴りだった。
腹を抱えてうずくまるわたしの耳に「あいつらはソメだ」という遊び友達の
つぶやきが聞こえた。
そんな地名には今でも心当たりがない。