自分史 物怖じしない国際人を育てるヒント集

近現代史に触れつつ自分の生涯を追体験的に語ることによって環境、体験、教育がいかに一個人の自己形成に影響したか跡付ける。

教養時代末期/学習と活動

2015-09-17 | 体験>知識

戦後も永らく世は教養主義時代だった。
大学の最初の2年間は専門課程ではなく教養部だった。
大学のカリキュラムには力を入れなかったが、活動家に求められた基本文献は勤勉に
学習した。
共産党宣言、賃労働と資本、ロシア革命史、帝国主義論、国家と革命等。
レーニンの国家消滅ヴィジョンにはそのご永くとりこになった。
日本のシベリア出兵(1918~1922)を評して将来の日米戦争を予言したレーニンの帝国主義論の有効性には深い感銘を受けた。
教養部時代は良き時代だった。
何でもあり、で、人文・社会科学でも文学、哲学でも、古典あるいは名作を読むのが学生のステイタス・シンボルだった。
体育会、文系サークル、学生運動、アルバイトと好きな活動に打ち込めた。
こうした専門領域を超えた体験と交流が人格形成におおいに役立った。

日本が経済的に豊かになったとき教養は括弧つき「教養」となり若者に軽蔑され、公立小中学校ではいじめのネタにされた。優等生は身をかがめ教師は馬鹿にされた。
ちなみにナチスは教養を本能と身体の発達を妨げる邪魔物として見下した。
バブル時代には、教養がなくても良い生活が得られると信じられた。
バブルがはじけたとき、そういう若者は思い知らされることになったが、時すでに遅しで、親の貧困が子の貧困の原因となる格差固定社会ができあがってしまっていた。
今日は、6人に1人が生まれながらにして「下流」であるという異常社会である。

大学では軒並み教養部が廃止され教育学部が軽視された。
人間や社会、自然を根源から理解するための教養、古典的教養に代わって就職後に必要になるスキル教育が重視されるようになった。
安倍首相の大学教育への実学攻勢がそれを促している。
「学術研究を深めるのではなく、もっと社会のニーズを見据えた、もっと実践的な、職業教育を行なう」(OECD閣僚理事会での演説)
目先に対応するためには新しい教養も必要だが、50年先、100年先の環境、社会、人のあり方、世界と人類の未来を考えて物事を判断する教養が希薄になった。
昨今の政治家、官僚、経営者の教養劣化は眼に余る。
したがって緒制度の硬直化、劣化が耐え難いまでになっている。

話を安保闘争後の秋に戻そう。
東京におけるブントの分裂が活動に色濃く影を落とし始めた。
関西ではまだ分裂はなかったが、学習会の研究対象が現代の学者、理論家、思想家
の著作になった。
宇野経済学、吉本隆明の評論、黒田寛一革命理論、廣松渉哲学・・・。
彼らの著作が買われ話題の中心、論議の的となった。
マルクス主義のゆがみををただし戦後世界の変革に貢献せんとする著者や論者の意
図は分かるが、かんじんのマルクスを勉強していない新参のわたしにとっては研究の
対象にならなかった。
代わりにマルクス、エンゲルスが資本論を書くまでに格闘した思索の跡をメモした「ドイツ・イデオロギー」、「経済学哲学手稿」に魅了された。
まわりの活動家も同じ興奮を経験していたようだ。
世の中の事象を読み解く方法論を、史的唯物論とか弁証法とかいうと分かりにくいが
上記二著にちりばめられた珠玉のことばは、原始の森の中を流れる清冽な渓流の様に、おおいにわたしを元気付けてくれた。
そのおかげでわたしは安保闘争後おおくの活動家を襲った挫折感を経験していない。