自分史 物怖じしない国際人を育てるヒント集

近現代史に触れつつ自分の生涯を追体験的に語ることによって環境、体験、教育がいかに一個人の自己形成に影響したか跡付ける。

カストロ死す/2016.11.26

2016-11-26 | 体験>知識

リアルタイムでブログを書いている。午後2時半、TVのニュースで訃報を知った。私はカストロが90歳なので覚悟をして記事を書くための資料を集めねばと思いつつできなかった。
奇しくも60年前のこの日カストロは同志82名と共に親米独裁政権打倒を目指して亡命先のメキシコからキューバに向かってヨット・グランマ号で船出している。1956年30歳だった。

私たちはカストロとよんでいるが、キューバ国民はフィデルと愛称で呼ぶ。かれは両親が名付けたとおりの生涯を生きた。
FIDEL忠実! 人民に忠実だった。革命の大義に忠実だった。
もともと社会主義路線そのものが維持困難なのに、アメリカによる経済封鎖の中でよく持ちこたえた。普通ならとっくに極端にはしり国民に大惨禍をもたらすのが革命史のならいである。カストロは死後の個人崇拝の危険まで知悉していた。火葬を遺言している。
 1853.1.28~1895.5.19  ラテンアメリカ希望の星
フィデルは「人民に忠実であれ」という思想をキューバの思想家ホセ・マルティから受け継いだ。詩人でもあったホセ・マルティはキューバ独立戦争でスペイン軍の銃弾に斃れた。キューバ独立の使徒として国民に敬慕されている。
革命前からホセ・マルティの思想はキューバ国民の魂に触れていた。国民歌「グアンタナメラ」にホセ・マルティの歌詞ヴァージョンがあった。それを革命直後ピート・シーガーがカーネギーホールで歌ったのがきっかけとなって全世界で愛唱されるようになった。私は幸運にもそれをピート・シーガーが来日したときライヴで聴いた。
歌詞のさわり Yo soy un hombre sincero・・・[わたしは椰子が繁るところから来た正直な農夫です]・・・「大地の貧しきものたちと運命を分かち合いたい」

カストロと日本との関わりは革命以前にさかのぼる。
1953年、ホセ・マルティ生誕100年に、青年弁護士カストロはモンカダ兵営を襲撃して捕らえられた。首謀者は誰かの尋問に「ホセ・マルティ」と応えた。そして
法廷ではみずからを弁護した。その記録『歴史は私に無罪を宣告するだろう』でカストロは10万人が亡くなった東京大空襲無差別爆撃をアメリカによる戦争犯罪として断罪している。
ヒロシマについてもしかりで、かれは2003年に広島を訪れて献花し「人類の一人としてこの場所を訪れて慰霊する責務がある」と語った。

練りに練った弔辞を書くつもりでいたが間に合わなかった。革命後どういう哲学でどんな社会をつくろうとしたのか、グローバリズムによる格差の拡大と地球にかかる負荷の増大にどういう生き方を対置したのか、遅ればせながら、駐キューバ大使・田中三郎著『フィデル・カストロ 世界の無限の悲惨を背負う人』を読むことから始めたい。

追記1 ホセ・マルティの墓の横にカストロは埋葬された。墓碑にはFIDELとだけ刻まれた。
追記2 革命は自壊し得る。破壊するのは彼らではない。我々自身だ。
マルクス、レーニンの理論はそれぞれの時代の諸条件のもとで成立したものであり普遍化できない。新しい社会主義像は君たちの創造にかかっている。2015年11月 ハバナ大学大ホールで講演