TVをつけると、どのチャンネルでも専門家を招いてウクライナ危機を論じている。共通しているのは上っ面をなでるような現象面の解説である。
それに満足できない視聴者に必要なのは、手軽に得られる答えではなく、みずからが答えを出すために役立つ近現代史の論文、書籍ではなかろうか。
手前味噌になるが、私の近代史論集(ブログ)には答えを導くヒントが用意されている。
最近の論文「ノモンハン事件=ハルハ河の戦い/世界大戦の舵を切った限定戦争」では、ポーランドが今日のウクライナに相当していた。ポーランドがソ連領ウクライナと国境を接していた。ヒットラーが向きを変えて東進しポーランドをターゲットにした時、スターリン、チャーチル、蒋介石、ルーズベルトはどのように行動し、成功戦略を編み出していったか、詳述がある。
あるいは、2016.9.17付の論文「キューバ危機/世界核戦争瀬戸際の恐怖」では、世界核戦争の危機がケネディとフルシチョフという第2次世界大戦の体験を共有する二人の指導者の英知によって回避され、副産物として平和共存路線が敷かれた、という叙述に続いて、2014年のロシアによるクリミア併合に至る経過と原因が以下のように綴られている。
・ソ連は核ミサイルをキューバから撤去し、アメリカは以後キューバに侵攻をしないと約束した。
同時に、アメリカはソ連が求めているトルコからの核兵器撤去を、キューバからミサイルが撤去された後に、行う、と口約束した。これはケネディの立場を護るための密約である。
・私が心配するのは、ソ連崩壊後、西側が遠望深慮を欠いて戦争の種をまいたことである。ソ連は崩壊してロシアになりワルシャワ条約機構も解体したが、対ソ同盟のNATOは存続し、ソ連から独立した東欧諸国の加盟を進めて、東方に拡大した。
・そして隣国ウクライナのEU接近。キューバがアメリカの内庭ならばウクライナはロシアの横っ腹であろう。それが米ロ対立の大きな火種と火薬庫となった。
昨26日の朝日新聞「ひもとく」欄にロシア史研究家・下斗米伸夫教授が「なぜウクライナか」を寄稿して、数冊の好著と数人のロシア大使、歴史家の発言を引用しつつ、NATO東方拡大批判を展開している。ぜひ一読されたい。とくに気に入ったセンテンスを引用しておく。
・米国内の論調は一枚岩ではなかった。「だが東西和解の合意に抗して、クリントン政権が選んだのは同盟拡大というロシアを凍らせる選択だった。」
・ひ弱な民主化派が退潮すると元NATO担当の情報将校が登場した。「春秋の筆法で言えば、クリントンがプーチン政権を誕生させたのだ。」
・「米国のINF(中距離核戦力)条約破棄で、東西双方から見捨てられたゴルバチョフだが、彼の至言<核戦争に勝利者はない>が、交渉の原点に据えられたのは救いだ。」