良し悪し関係なく歴史的大事業は、盟約と宣言で始まる。キリスト教会と聖職者の腐敗堕落に抗して興った宗教改革運動に対抗して、1534年8月15日、パリ郊外モンマルトルの丘の礼拝所に集まったロヨラ、ザビエルら七人のパリ大学同窓生が、生涯を神にささげることと、エルサレムへの巡礼と清貧・貞潔を誓いあった。
これはモンマルトルの誓いとして知られ、イエズス会創立日となった。フランス人1名を除く、ロヨラ(初代総長)、ザビエルら6名はイベリア半島(現スペイン、ポルトガル)出身者である。
余談だが、教科書等で広く知られるザビエル像は高槻城主高山右近の元領地千提寺の旧家で発見され神戸市立博物館に現存する。2020年、発見100周年を記念して里帰りした実物を鑑賞できた。同地には、重要文化財級の、磔にされたキリスト像(木製)があるが非公開である。
「聖フランシスコ・ザビエルのサクラメント」と万葉仮名で記されている。
イエズス会士は最高の学識を身につけただけでなく、いくつも学院を興し大学を設立して、後に続く多くの修道士を輩出した。エルサレム行は叶わなかったが、北欧、中欧で結果を出し、法王の望むところならどこへでも行く、という誓い通り、アジア、アメリカ大陸に進出した。極東の日本と新大陸の臍にあたる大ミッション地方は、ヨーロッパから見ればまさに地の果てであった。イエズス会士の高い志が窺がわれる。
今回のテーマは、ヨーロッパ文化の華ともいうべきイエズス会神父と、地の果てで文字と貴金属をもたない野生グアラニー族の出会い(1610年)から150年経った大ミッション地方の村々の完成形、グアラニー文化である。
布教村づくりは神父みずからの力仕事ではじまった。首長の協力が無ければ何も始まらなかったことは勿論である。神父は大勢の人が安住できる適地を決めて、原木を切り倒して運び、雨露をしのぐ掘っ立て小屋を建てて起居し、礼拝所を建てた。さらに教会が板壁を経て石壁になるまでには、相当の歳月と技術の蓄積を要したことは容易に想像がつく。
その間、製材所、石切り場、煉瓦工場、作業場、木工、大工、石工などが揃っていく。教育を受けたグアラニーの新世代がそれらの活動をになった。ここまでは神父の自活力で開発できただろう。
最初の教化村となったサン・イグナシオ・グアスの設立(1611年)の立役者ロケ神父の八面六臂の働きを同僚が記している。「彼自身が建築家であり、大工であり、左官であり、自ら斧をもって木を切り、それを牛につないで現場まで運んだ。」(幻の帝国)北パラナのLondrina開拓にあたって、一からすべてを始めた父母の苦労が思い出されて感慨深い。
大ミッション地方の文化遺産は、世界遺産に登録された石造りの建造物ばかりが目立って、石像、木彫、絵画、音楽、宗教行事は紹介されることも、観光の対象になることも少ない。木と紙の素材が滅失しやすい所為seiもあるが・・・。前出の伊藤慈子著『幻の帝国』は訪問者による鑑賞から漏れがちな文化遺産を丹念に掘り起こして記録している。画像が鮮明でないのが残念だが、記事と併せて随時紹介したい。
やはり建築からはじめるのが順序だろう。
1730年ごろから最盛期に入った教化村に建築ブームが訪れた。木造の教会は石やレンガ造りのヨーロッパ風の大伽藍に建て替わった。イエズス会から派遣された優秀な専門家の一群が建築に携わった。イタリア人ブラッサネリは多くの村の建設にかかわった。そのほとんどは跡形をとどめないが、
サン・イグナシオ・ミニ(アルゼンチン)は地上30mあった教会の正面が12mのこっている。
撮影 市川芽久美氏「最も美しいイエズス会伝道所」2014.9.23
建物、造作、彫刻の指導、指揮はその道の専門家だが、造ったのはグアラニーの職人である。前出のザビエル像(絵画)もキリスト像(彫刻)も同じように作成されたと思う。ホモ・サピエンスの脳力構造に優劣がないことを改めて確認した。
前章で掲げたトリニダード遺跡(パラグアイ)と次章に掲載するサン・ミゲルの教会正面遺跡(ブラジル)はともにミラノ出身のプリモリが建てた。注目して欲しいのは、トリニダードの主祭壇上部を飾る天使の音楽家の彫刻である。
写真では欠けているが、一連の見事な彫刻は、音楽と踊りがグアラニーの生活に深く根付いていることを鮮やかに描き出している。その合唱団には200人のこどもが所属していた。ちなみにグアラニーの労働時間は6時間で木・日が休日である。
伊藤慈子さんが「息をのむばかりの美しさ」と評したこの石像は、著者が掬い取っていなかったら、今なお、人知れず片田舎の小さな祈禱所でたたずんだままでいることだろう。
大天使サン・ミゲル(ミカエル)は新世界征服の象徴として愛好され、従軍神父が常にその像を携行した。イエズス会神父とて同様である。その像のモチーフは剣か槍を持ちドラゴンに化けたサタンを踏みつけている姿である。
模倣から美術に昇華したグアラニー作成の像では、それがグアラニーの好み、グアラニーの姿に変容した。
上掲のサン・ミゲル像には、剣もサタンも描かれていない。稀有のことである。その優しい笑顔はぜんぜん西洋的でない。
バンデイランテを踏みつけるサン・ミゲル像
サン・ミゲル教化村近くの博物館で伊藤さんが目を停めたこの大天使像は、グアラニーの衣服をまとっている。両像とも指を出したブーツを履いているようだ。
イエズス会ミッションが後世に残した最大の文化遺産は、詳細を省くが、グアラニー語の実用化である。グアラニー語はパラグアイとボリビアでスペイン語と並んで公用語となっている。グアラニーのアイデンティティは生き残ったのである。