写真はわが家の農場の全景。放牧場の上端に見える2つの建物は雇い人家族の住居。
わが家はその上手、地平線に三角屋根を突き出しているが見えにくい。
物心つき始めた頃のある光景が忘れられない。
すらりとした美しい若い先住民の女性が白人と思しき男か女か憶えていない連れと
いっしょに、野次馬の列の前をさっさと通り過ぎて行った。
うちの農場で10数人の人が群がるとすれば居宅の新築祝いの日だったのだろう。
それともわたしの好奇の目の数だけ幻の群衆が記憶に刻まれたのか?
彼女は花柄のワンピースを着ていたが足元は裸足だった。
なんの偏見もなく単純に魅惑されたわたしは幼かったためにまだ純粋だったんだなぁと思う。
これが生きているインディオとの最初で最後の出会いだった。
他にはうちの農場のはずれにあった湿地帯の水源脇で生活土器のかけらを拾ったことがあった。
写真の中程に白く放牧地が見える。馬と豚が写っているが判別しにくい。
その左端部に湧水があった。漂泊するインディオ家族がそこで煮炊きしたと思うと切なくなる。
わたしのまわりでは入植者と先住民の出会いはこの程度に希薄だった。
数の少ないインディオは銃で脅されるまでもなく文明を避けて奥地へ奥地へと移動して行ったようだ。
もっとも、先住民の人口密度の高かった地域では虐殺もひんぱんに起きたであろう。アマゾン一帯では今日なお「保護区」の侵略と殺戮のニュースが絶えないのだから。
奥地に追い詰められたインディオ家族の孤立と悲惨な生活は文化人類学者レヴィ・ストロースの『悲しき熱帯』で広く文明世界に伝えられた。
この本はわたしが生まれた頃に同氏が実施したフィールドワークの成果である。
開拓当時だれもわたしをふくめて先住民の生活圏や生物多様性の保護に関心を寄せることはなかった。
侵略者だという自覚が無いから罪の意識を感じることもなかった。
そしてわずか70年足らずで世界中の人が地球環境の危機と人類の未来を心配するまでになった。
昨年100歳の長寿を全うしたレヴィ・ストロースは数年前にTVで憂えている。
「人口が過密になったこの地球は居心地が悪い。」
「多くの動植物、さまざまな生物が恐ろしいまでに消滅している。この過密状態のせいだ。」
わたしもこの凝縮された文明史の始終を目撃し体験した一人であると今感じて何とも名状しがたい複雑な心境である。
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