海のそばを自転車で走っていると
白い帆を張るヨットを見かけます
海原を滑るようにで
気持ち良さそうだなと思うのですが
実際に、自分で操作したら
きっと大変なのでしょうね
僕ではもしかすると
体力的に追いつかない位に
風の流れを捉えようと
普段から感じ取っていると
その見えないものにも
敏感になるのでしょうね
僕が感じれない
風の吹いてる方向を予想できたりもして
そんなことを勝手に想像しながら
ヨットの滑る様を見ている自分です
海のそばを自転車で走っていると
白い帆を張るヨットを見かけます
海原を滑るようにで
気持ち良さそうだなと思うのですが
実際に、自分で操作したら
きっと大変なのでしょうね
僕ではもしかすると
体力的に追いつかない位に
風の流れを捉えようと
普段から感じ取っていると
その見えないものにも
敏感になるのでしょうね
僕が感じれない
風の吹いてる方向を予想できたりもして
そんなことを勝手に想像しながら
ヨットの滑る様を見ている自分です
歩道橋に上ると、一直線の道路に添うように続いている
銀杏の街路樹が、青々と茂って綺麗でした
夏空にその先端を差し出して
空に届こうとして、空からの音信を
受け取ろうとしているかのようです
きっと大きな街路樹もまだ成長をしていて
夏の空に潜む見えない手が
その幹の先端を引っ張り上げようとしている
そんなイメージが自分の中に広がりました
時々、昔、心を寄せた人を
思い出す時があります
もう音信も途絶えて
それ以降の気持ちも伝えられなくなった人
思い返せば感謝の気持ちしかありません
今ではその気持ちを伝えれば
きっと迷惑でしかないその宛名に
時々は思いを伝えたくて書き連ねる言葉
気づいてもらっても今さらという感じなのですが
どこか気づいて欲しいという気持ちもあって
人は誰かに伝えたい事だらけで
言葉を書き連ねるのでしょうね
小さな女の子が二人
波打ち際に遊んでいました
一人は見た目、1歳位
もう一人は3歳位でしょうか
いずれにしろずっと飽きずに遊んでいて
時々、歓声を上げます
何が「やったー」なのか分からないのですが
何度も「やったー」を繰り返していました
あんな夢中になれる遊びを
いつから僕は忘れてしまったのかなと
ちょっと寂しく思いました
いつからか目の前のことよりも
未来に何か、いいことが起こらないかと
遠くばかりを見ているような気がします
目の前の一つ一つに
懸命に向き合わなければいけないのだと
自分を戒めていました
波打ち際に佇んで見ていると
戻る波と
新たに押し寄せてくる波がもつれあい
行ったり来たりを繰り返します
まるで定まらない自分の心を見るようです
思い立って一瞬は気持ちが昂るのですが
それを否定する思いも湧いてきて
結局、迷いのままに
何も行動に移せない繰り返し
自分の性分なのでしょうが
我ながら情けなくなる時もあります
街で暮らしていると
沢山の視線に
体を切り裂かれるようです
きっと僕が
そうしたことを気にし過ぎるからなのでしょうが
その視点に晒されるごとに
おろおろとしていしまい
右往左往とする自分です
そんな気分は
もしかすると多少なりとも
皆感じているものかも知れませんね
心苦しさが街の雰囲気のようになって
心に毎日のしかかっています
その日は少し冷たい雨が降っていました
僕は駅で電車を待っていたのですが
通過する電車も雨に濡れて
手すりにつかまり立っている人たちの姿も
濡れた車窓の向こうに歪んで見えていました
笑って会話をしている人、俯いている人
スマホに熱中する人と
それぞれだったのですが
心の奥底には本当は
泣きたい気持ちを抱えていて
濡れた車窓の上にそれが
現れているようで
勝手な納得感を持って
通り過ぎる電車を眺めていました
速度を少し落とすために
ブレーキをかけた電車と
レールとが軋む音も
悲鳴のように聞こえていました
一年で随分と大きくなった
我が家のムシトリスミレ
子供たちが喜ぶかなと思い買ってきたのですが
子供たちはさして興味は示さず
僕だけが可愛がっています
それがこの春には花を咲かせました
花茎が伸びて来て
本当に菫に似た形の
可愛らしい花を咲かせるので
思わず写真を撮ってしまいました
それが1つで終わるのかと思いきや
4輪も花を咲かせました
自分もまだまだ
咲かせられるものがあるのではと
思いをため込もうと思います
口にはここのところ
お気に入りとなっているハッカ飴を齧り
近場に散歩に出かけました
風が心地よく
口の中に広がるハッカを肌の上にも感じるようです
僕はもっとその清涼感が欲しくなり
がりっとまだ大きな飴をかみ砕き
今はその爽やかさでは負けないつもりの
自分の息で口笛の音色を奏でました
木々の緑に染まった初夏の風と競い合うように
そうして空の下を川の流れに沿って
歩いていました