さてさて昨日の水天宮と六本木の間には、虎ノ門駅の「金刀比羅宮」に寄っていたのです。
銀座線「虎ノ門駅」にはこれまたいろいろ思い出があります。出来たばかりの霞が関ビルに担当の客先が移転、真新しいビルに営業に通ったこと。ある官庁の外郭団体の機関誌の編集長に可愛がられ、写真が趣味の編集長と真新しい霞が関ビルに撮影に行ったことなどです。
そんな訳で霞が関の隣の虎ノ門駅もよく利用しました。「金刀比羅宮」の幟を見たこともあり、なんとなく神社があるとは思っていましたが周囲をビルで囲まれお社らしきものも見えず、ビルの建物のなかにでもある特殊な神社かなと思っていたのです。
先日六本木を最終点として、水天宮との間で地下鉄でお参りできる神社を探したのです。他にも幾つかありましたが、駅から近いかなと、この神社に決めました。
神社は周囲を高層ビルで囲まれていますが、この神社は万治三年(1660年)に讃岐国丸亀藩主であった京極高和が、その藩領内ある金刀比羅宮(本宮)の御分霊を当時藩邸があった芝・三田の地に勧請し、延宝七年(1679年)、現在の虎ノ門(江戸城の裏鬼門にあたる)に遷座されたそうです。
昔から“金毘羅大権現”と親しまれ、特に海上守護、大漁満足で名高いと、漁港とか漁師さんのドキュメントなどで紹介されていたと記憶しています。
ふつうは16×11センチの大きさですが、「金刀比羅宮」の御朱印帳は18.5×12.5センチで、一回り大きい立派なものです。
銀座線「虎ノ門駅」にはこれまたいろいろ思い出があります。出来たばかりの霞が関ビルに担当の客先が移転、真新しいビルに営業に通ったこと。ある官庁の外郭団体の機関誌の編集長に可愛がられ、写真が趣味の編集長と真新しい霞が関ビルに撮影に行ったことなどです。
そんな訳で霞が関の隣の虎ノ門駅もよく利用しました。「金刀比羅宮」の幟を見たこともあり、なんとなく神社があるとは思っていましたが周囲をビルで囲まれお社らしきものも見えず、ビルの建物のなかにでもある特殊な神社かなと思っていたのです。
先日六本木を最終点として、水天宮との間で地下鉄でお参りできる神社を探したのです。他にも幾つかありましたが、駅から近いかなと、この神社に決めました。
神社は周囲を高層ビルで囲まれていますが、この神社は万治三年(1660年)に讃岐国丸亀藩主であった京極高和が、その藩領内ある金刀比羅宮(本宮)の御分霊を当時藩邸があった芝・三田の地に勧請し、延宝七年(1679年)、現在の虎ノ門(江戸城の裏鬼門にあたる)に遷座されたそうです。
昔から“金毘羅大権現”と親しまれ、特に海上守護、大漁満足で名高いと、漁港とか漁師さんのドキュメントなどで紹介されていたと記憶しています。
ふつうは16×11センチの大きさですが、「金刀比羅宮」の御朱印帳は18.5×12.5センチで、一回り大きい立派なものです。