最期は悲劇だったけれど、モーガンは幸せな男ですね。
わが国の分厚いハード・バップ愛好者層から絶大な支持を受け、更にショキングな死がドラマティック性を呼び、ほぼBN一筋に作品を吹き込んでいるスタンスも好ましく映り、マイルスの人気には及ばないもののケリー(p)、モブレー(ts)同様に「愛される」尺度でいけば一番手だろう。映画まで制作されている。
ただ、視点を変えると、この天才トランペッターならメジャーから引き抜きが有ってもおかしくないはずなのだがどうなんだろう?
モーガンがメジャーの制約を嫌ったのか、それともメジャーがモーガンの私生活の乱れに腰を引いたのか、恐らく両方だろう。
1963年録音の”THE SIDEWINDER”の大ヒットで華々しくカムバックし1971年のラスト・アルバムまでの8年間でモーガンはリアルタイムでリリースされた作品が11枚、「お蔵入り」して後年、日の目を見た作品は自分が知る限る8枚、計19枚分をレコーディングしている。突出する「8枚」はライオンがモーガンの生活基盤(吹き込み料)が崩れないよう「お蔵入り」をある程度想定していた事を物語っている。
その内の2枚のLP(国内盤)と輸入CD1枚をピック・アップ。
LP(↑)は” ALL STAR SEXTET”(1967年)と”SEXTET”(1969年)
前者はBNのお友達とは言え陣容は強力ですね。後者も実力者揃いです。共通性のカヴァ、しかも、かなり若い時代はやむを得ない事情があったのでしょう。
CD(↓)” STANDARDS”(1967年)のメンツも充実、しかも多彩です。
3枚共、ペットの鳴り自体は悪くなく、卒なくまとまっているが、肝心のモーガンの顔は霞んでいる。均して年2枚を上回るハイ・ペースはお膳立てされたものに頼らず未来の延長線上に身を置き、常に前向きの姿勢でないと中身がマンネリと化す。モーガン・ファンにとっては余計なことかもしれないけれど、もし、メジャーで揉まれていたならば・・・・・・、モーガンの天賦の才はこんなものではない。
1972年2月18日、ヘレンが放った一発の凶弾は、見方を変えれば、限界が迫る中、神が差し伸べた救いの手だったのではないか。
4日後の22日、モーガンの初リーダー作(1956年、SAVOY)で共演し、共にハード・バップの屋台骨を支えてきたモブレーはC・ウォルトンとの共作”BREAKTHROUGH!”(COBBLESTONE)で季節外れと思えるガーシュインの”Summer Time”を曲想から外れ呻き声を交えハードにモーガンの死を嘆き、カデンツァでは悼んでいる。そして、この日を最後にモブレーもジャズ・シーンの表舞台から姿を消した。
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