・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

気が向いたときに、覗いてご覧ください。
何が見えるかは、覗く方々のお眼め次第です。

理解

2011年12月03日 | つぶやきの壺焼

小中学生に先生の評価をさせたらどうかと言った人がいる。
評価の仕方は、授業がわかりやすいかどうか、それなら生徒にもできるだろうとその人は言う。
しかし、わかりやすいかどうかぐらいのことで先生の評価をしてよいのだろうか。これは至極怪しい論法ではないかと思う。

話を理解する方法を持たない生徒が大勢いる小中学生に、理解のしやすさを先生の評価要素にさせたのでは、見当違いの評価結果が出ないだろうか。

理解しにくければとりあえずそういうものかと覚えておけばよいことはいくらでもある。
自分の頭の悪さにはまだ気づかない子が多い年代だから、頭の悪さを棚に上げてという表現が適切ではないにしても、わかりやすさの工夫ばかりでは、よい授業はできないだろう。
わかりにくいことに自力で考えていってこそ、考える力がつくのだ。
わかりやすさの追求は、ものの値段の安さの追求と似たところがあって、供給側の質の問題にもかかわってくる。
わかりやすさを目指すことが、全体の質と水準の向上に向かうとは限らないのだから。

コメント
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