・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

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無罪とはどういう意味か

2012年05月04日 | つぶやきの壺焼

ニュースもドラマも、犯罪に絡んだものがやたらに多い。
犯罪にかかわりがないと面白みが出ないとみてのことか。
面白がったり宣伝したりしているうちに、犯罪がないとメディアがなりたたなくなってしまうのではないか。
犯罪景気、犯罪立国、これではあまり気分がよくない。

犯罪の一歩手前で、犯罪が成立せずに、刑罰の対象にならないことさえも「犯」の名がついているのがあるという。
「不能犯」がそれで、普通なら犯罪になりそうな怪しげなことを考えはしたが、やってしまったことにはその性質上まったく狙った効果がなく、実現できなかった場合である。
紅茶に毒薬のつもりで砂糖を入れて出したようなときは「不能犯」だという。
だが、砂糖入りの紅茶を飲ませられた人が糖尿病患者だったらどうなのか。
元気を出させるように砂糖を入れてあげましたなどと言いつくろうのはどうなのか。

運良くというか失敗のおかげというか、影響が出ずに罰せられなくても、ひとに害を与えるつもりで行ったことの罪は罪、それを犯したことに変わりはない。
無罪判決は、刑罰に処しきれなかったという結論表現の意味でしかない場合もある。

気づかなかった、悪意はなかった、などと言っても、刑罰をまぬかれたから罪人ではないと威張りかえる人間は、政治・経済の主要な職に就かせないほうが賢明であると思う。