都市伝説という呼び方がある。
街のうわさ話と言ってしまえば簡訳にはなるが、簡訳には意味がずれやすい危険がある。
都市伝説の都市は、「都市の、都会の」というような地域を示しているのではなく、「都市化した」という意味で使用されていると、ウィキペディアには書かれている。
しかし、「都市化」という言葉にはよくわからないところがあり、それに「した」がつくとなおわからなくなる。
言葉は、組み合せ単位の数が増えるほど解釈の範囲も広がっていくからか。
何かと言えば珍重される「グローバル」という言葉は、思想というより商用の匂いが強そうである。
グローバルを強調されると、たちまちカネの香がただよってくる。
「グローバル」を「伝説」と組み合わせると何か意味をもちそうである。
global lore グローバロア、どこかでもう使っていないかと検索してみたが、「グローバロア に一致する情報は見つかりませんでした」という返事だった、しめしめ。
グローバルが商用語なら、グローバロアは地球全体に広がる商用伝説だ。
グローバロアの代表作には、「日本は資源がない国」というのがある。
日本は、エネルギー資源を輸入するしかないものと思い込むよう誘導されてきた。
石油を、何よりも安いエネルギー源と買い続けさせておいて、他のものには手が届きにくくなったある日、突然価格を吊り上げるという戦法にしてやられた。
都市伝説がときに恐喝の道具に使われるように、グルーバロアも外交の道具にされる。
エネルギー資源を売りにする国は、「日本は資源がない国」というグルーバロアをだいじに育ててきた。
資源輸入を仕事にしている人たちも、もちろんこのグルーバロアを教典のように扱う。
命令を受けて行った人たちには気の毒だが、グローバロアを護るために、海賊との戦いを自衛と言いくるめられ辛酸をなめさせらる。
伝説というものは、まことに罪深いものである。