裁判で無罪とされ人を、どうしても罪人に仕立てないと気がすまない人がいる。
有罪とされたがことによると無実ではないのかという見方と逆のことに見えるが、どこかに共通点もありそうだ。
この共通点は、むりに探すこともないからそちらに足を向けるつもりはないが、無罪が気に入らないというのはどういう考えなのだろうか。
無罪であるという裁きに異論があるのか、裁ききれなかった別のことに異議があるのか。
判決が気に入らない人は、多分裁判とは何かを勘違いしているのではないのか。
裁判は、誰かがしたことが法に照らして正当であったかどうかで裁定される。
法に照らしてであって、人の道に照らしてではない。
法は論理で組み立てられており、人の道の倫理とは別ものなのだ。
法に触れてなければ何をしてもよいと、論理だけで行動する人は、倫理のことは顧みもしなければ気にもかけない。
人の道に外れたことに、裁判で決着をつけさせようという、ごくあたりまえに考えられそうなことは、倫理のことを論理で裁いてもらおうという、見当違いのむなしい願いでしかない。
ロリコンというあまたれ症があるらしいが、何でも裁判という根性もあまたれ症のひとつで、そこにこだわるのはロリる傾向の中期症状ではないかと思うのだがどうだろうか。