・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

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設計の感覚:3

2013年03月28日 | つぶやきの壺焼

上等な設計と言えるのは、使われる状況、据付けられる状況、運ばれる状況、組み立てられる状況、作られる状況と、だんだんさかのぼって、すべての状況を頭に描きながら進められた設計であると思います。

しかし、それでもなお足りないところがあります。
使われるところまでの考えでは、故障が起きたときの状況が、頭に入ってないからです。
もう一つ同じものを買っておいて貰えばよいという、贅沢な二重化依存は、設計者の頭のねじを緩めます。

壊れたら分解しないでください、これも中途半端な設計です。
分解されると、設計の恥部が見えますが、それを恐れてはなりません。

分解しにくいということは、組み立てにくいことなのですが、汎用工具では組み立ての逆工程をさかのぼれない意地悪設計もあります。
ねじの頭にプラスでもマイナスでもない、6弁花形に耳たぶ形の凹みを配置した形のものを、組み立ての要所に配置してある電話機がありました。
トルクスあるいはヘックスローブと呼ばれるねじで、専用のドライバーがないと回すことができません。
家庭用にそれをもっている人はごく少ないでしょう。

故障すると容易に直せない設計もあれば、面倒なことを厭わなければ直せる設計もあります。
作って売るほうか、買って使うほうか、どちらかに味方するようになっています。
そのあたりが、設計感覚の分かれ道のような気がします。


昨日の話題の、ちょっとしたことで動かなくなった時計は、寿命が尽きたととは言えません。
買ったものでも、もらったものでも、使う側としては、故障しても直れば直して使いたいと思います。

針の位置を変えようとして止まってしまったこの時計は、どこかに何かが食い込んでしまったということなのでしょう。
長針、短針、秒針の相対位置を少しずらせてやれば動き出すかもしれません。
文字盤の前の透明板を外して、秒針の軸をちょっと前に引っ張ってみました。
電池を入れたら、それまでひとところにがんばっていた秒針が動き出しました。

あとは透明板をはめ込んで、針の位置を合わせれば終わりです。
今度は方向を間違えないように、ちょっと行き過ぎたら、面倒でも同じ方向にぐるぐる回してまた止まってしまわないように気をつけました。

こんなところに動かなくなる仕掛けをしておくのは、あまり素直でない設計感覚のように思うのですが、いかがでしょうか。
仕掛けではなく、気づかなかったのであれば、もう一段階下ということになります。

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