Google の「画像」で「人権 イラスト」と呼んだら、真っ先に出てきたのが人権イメージキャラクターでした。
人権の3要素はなんだろうと考えてみました。
1.イメージ
2.キャラクター
3、OS
イメージを描くことはまあよいとして、キャラクターが人権の要素と言ったのではOSのお怒りをこうむるかもしれません。
OSは、コンピューターのオペレーションシステムではなく、OかSか、両方かという駄洒落です。
Oは organization 組織、団体、構成、編成、体制、機構
Sは system システム、系、制度、方式、体制、組織
なのですが、人権ということを、巷で叫ぶ人がどうとらえているのか、それによって人権の扱いがどうなるのか、人権派と呼ばれる仕事をしている人たち、人権団体と呼ばれる組織に属している人たちは、このあたりをどう思っておられるのかが、関心の及ぶところであります。
ちかごろ頓に評判の落ちてきた日本国憲法の第二十五条には、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という読み方によってはずいぶんバカにされたような条文があります。
こういう権利も人権の一部なのでしょうか。
最低限度の生活を営む人権があるとしても、それを望まないという人権もあるでしょう。
すこぶる健康でも文化的とは言えないパチンコ三昧の生活、文化の泉に浸っているようでも不健康な昼夜逆転の生活、どちらもいけないと言えば人権侵害だと言われそうです。
よくよく考えてみると、人権は、あまねく平等などと大声で言われても、ある種の敵対的な立場におかれたとき、尊重の仕方に醜くかつ酷い偏重を生み出す奇妙な概念であって、ニコニコ仲良しキャラクターとは、イメージが合いにくいような気がしているのであります。