何か事が起こると、報道陣はすぐに理由を聞きたがる。
理由が早くわかったところで何も役立たないことにでも、「理由は何ですか」と迫る。
何かの事件で理由をおさえるのがだいじであったのに、そちらがお粗末になったとき、大目玉を食らって、その後は理由を真っ先に聞くことにしているという記者もいるかもしれない。ステレオタイプの見本である。
大きな試合に勝てずに終わる。
勝てないのにも理由はある。
誰かが一つのチャンスで力を出せなかった、そんなことが勝てなかった理由にされがちだが、多分そういうのは三次原因ぐらいで、試合に臨んだとき、すでにチームの力が勝ちを引きずり込める域に達していないことが多い。
監督、コーチの顔を見ながら力を出そうとするサラ選、サラリーマンという呼び名が嫌がられるようになって久しいが、決められた賃金を貰うだけ働くというサラリーマン根性のようなものが身についてしまった選手がいる。
サラ選揃いのチームでは、結果は試合の前からわかってしまう。
コーチが練習の場や夕食会に出ないなどという不満を、わざわざ報道人に漏らす甘サラ選もいるらしい。
甘えはアマチュアリズムに通じたところがあって、アマなのかプロなのかわからなくなる。
アマプロイズムといえるかもしれないそんな空気が漂っていれば、幹部のかけたハッパが、勝ちに向けて力を出さずに、位相の逆転した内向反発にしかきかない。
勝てなかった理由は、聞かなくてもわかっていても、聞かないことには報道のタネにならず、愚問と愚答が繰り返されて総括でない総滓として残り、そして澱む。
どうなってんのという状態は、理由の宝庫とも言えるから、それが上手に報道されれば転機への引き金になる。
そうなってこそ、報道の価値が出てくるのだと思う。