・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

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日本語の役割

2013年04月26日 | つぶやきの壺焼

日本でも英語を公用語にしたらどうかなどと、ばかなことをまじめぶって提言する人もいるが、日本語の役割をあらためて考えてみた。

日常生活のこととまぜこぜにしたのでは、話がはじまらないことを、ここで断っておく必要はまさかないだろう。

英語には英検というのがあるが、日本語にはそういう検定はあるのだろうかという疑問がことの起こりなのだが、それが二つもすぐに見つかった。
日本語能力試験と、日本語教育語能力検定試験である。

日本語能力試験は、日本語を母語としない人を対象に日本語能力を認定する検定試験である。
外国人に仕事をしてもらう場合に、日本語をどの程度使えるかは、3分も面接すればわかるのにと思うのだが、選定には検定という裏づけの欲しい人に、この検定試験は大いに役立つのだろう。

もう一つの日本語教育語能力検定試験は、「日本語教員となるために学習している者、日本語教員として教育に携わっている者を対象として、日本語教育の実践につながる体系的な知識が基礎的な水準に達しているかどうか、状況に応じてそれらの知識を関連づけ多様な現場に対応する能力が基礎的な水準に達しているかどうかを検定することを目的とする」試験とされている。

この「日本語教育の実践につながる体系的な知識」が、日本語にとっていちばんだいじなところなのだ。
実践につながることと、体系的であること、これを条件に立てれば、必要な知識はきわめて広範囲に広げられる。
それぞれに10とおりや20とおりのことがらはすぐに用意できるから、それだけで二つの条件を組み合わせれば100から400の必要な知識を並べることができる。
検定試験に必要な問題群は、ごくわずかな設備投資で大量生産可能である。

日本語という言語形式は、決して粗末に扱ってはならないだいじなものなのである。

ここに来て妙なことに気づかされた。
普段読んで書いて話すときは、日本語という呼び方も形式も、何も必要なかったのだ。
おやおや。

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