熊手も飾りの度が過ぎると熊手の態をなさなくなります。
お酉さまの熊手は、その機能が、散らばったものを集めることから、縁起物という実質的役割を放棄して意味だけが残っているものに、見事に転換しています。
総合経営という名のもとに、あれもこれもと始めた企業が、たねをかき集めるだけで、植え付けも育成も人任せにしたおかげで、収穫を得られなくなった例が目立ってきました。
P社も、S社もと挙げていくと、ラテンアルファベットの数だけ出てくるかもしれません。
言葉も性格も違う人たちが、生活環境が変わっても、ずっと同じように仕事を続けてくれるものと思い込んでいた間違いもあるでしょう。
しかし、半農半漁などという器用なことを、誰もが何でもできる、できるようであって欲しいという見当違いの願望が、失敗のもとであったかもしれません。
飾り熊手を仕立ててはみたが、肝心の縁起がついて来ず、そのときにはかき集めの機能もなくなっているので、残ったのは見栄えだけということなのでしょう。
見栄えの利くのは、最初の年だけでしかなかったようです。