伊能忠敬…。
言わずと知れた、日本で一番最初に、測量による正確な地図を作った方ですね!
この方の地図、実はとんでもない精度を持っていることをご存じでしょうか?
もっとも驚くべきところは、「御前崎」から「能登半島の先端」まで距離の誤差が、なんと約16メートル…。
今、皆さんが普通に使うようになったGPSでさえ、出はじめは2~3メートルの誤差が出るのは当然でした。
私は、どうして江戸時代の測量技術で、これだけの精度が出せたのかずっと不思議に思っていました。
そして…。
この伊能忠敬の測量精度は、どうしてこれだけ高いものだったのか、その秘密について考えることにハマったので
す…。
実は、私は測量については全く知識がありません。
でも、学生時代に飛行機の航行について専門的に勉強したことがあります。
そのため、時計と、その時計が経度何度のところの時刻を表示させているか…。
それと、北極星が見える条件だけ与えてもらえたら、だいたい自分がいる緯度経度は出せると思います。
まあ、その程度のものなのですが、伊能忠敬の地図の精度がなぜそんなに高かったのか…。
今回その秘密について考えてみたいと思います!
まず、伊能忠敬の地図といえば、ぐるっと日本を歩いて回り、紐や鎖のような道具、場合によっては「歩幅」で測量をし
ていたというのは有名ですよね!
しかしながら、そのような方法では、当然ながら「誤差」が重なって、正確な地図を作ることは、常識的に「無理」で
す。
実は、伊能忠敬は、そんな「誤差」を補正するため、奥の手を使っています。
その手とは…。高い山の頂上を、違う複数の場所で測量し、誤差の修正を行っています。
具体的には…。
上の図のAとB地点より、おなじ山頂の位置を測量します。
この方法により、彼は地図の補正を行っていたようです。
このことは、千葉県佐原市にある、伊能忠敬記念館の資料にも記されています。
上図のaやbの距離は、cの距離を正確に測れば導き出されますよね!
こんなことを繰り返して、伊能忠敬は正確な地図の作成を行っていたようです。
それでは、この方法で、本当に最初にご紹介した「御前崎と能登半島先端の距離の誤差16メートル」は実現するのでしょ
うか?
実は、答えは「NO」なんです…。
これは間違いありません。
なぜそんなことが言えるのかというと、下を見てください。
伊能忠敬の地図と、現在の地図を重ね合わせると、緯度についてはほぼドンピシャなのですが、経度を見てみるとそれな
りのズレがありました。
これは、当時の測量方法では、もう仕方がないと私は思います。
「経度」については、「正確な時計」と、「正確な方位」が分かればドンピシャで出せるはずです。
しかし…。
当時はそんな正確な時計がなかったんです!
そのため、伊能忠敬が当時行っていた経度を測る方法は、上に説明した地道な測量の積み重ね、それと…。
場所ごとに起こる、月食や日食が始まる時間のズレを測っていたようなのです。
この方法も、チャンスはそうそうあるものではなく、また、当時は「正確な地球の大きさ」も不明だったため、正確な月
食日食が始まる時間そのものも、アバウトでしか計算できなかったので、やはり、正確な経度の測定は無理だったんで
す…。
ちなみに…。
アバウトでしたら、地球の大きさは棒2本あれば、簡単に測れることはご存じでしょうか?
その方法とは、緯度が違う二点で棒を立て、同じ時間に棒の影が出来る、その角度を測るだけなんです。
その影の角度差は、地球の中心から違う2点間が作る角度と同じになるため、360/2点間の影の角度差×2点間の距離で地球
のだいたいの円周がだせます。
昔はこんな方法で地球の大きさを知るしかなかったんですね!
さて、それでは「御前崎から能登半島先端の測量の正確さ」は、どのような方法で実現できたんでしょうか?
これについては、私も相当考えました!
考えて、考えて、あきらめずずっと考えて…。
その答えが…。
…。
…。
長くなりましたので、その答えは次回に!