サーマルソアリングとは、太陽の熱で発生した上昇気流を捕まえて、グライダーが上昇、あるいは、長時間飛び続けることを言います。
このサーマルソアリング。この方法で本格的にグライダーが飛ぶようになったのは戦後の話…。と、されているのですが…。
どう考えても、それ以前の大戦中に既に日本でサーマルソアリングが行われていたと考えざるを得ない出来事があるのです…。
今回はそのお話をいたしましょう!
私が住む茨城県の南部は、太平洋戦争中、海軍の様々な施設が存在していました。
鹿島には海軍の飛行場、土浦には修理工場に予科練の学校などがあり、この予科練の友部分校は、映画「永遠のゼロ」でも1シーンとして紹介されていました。
そして、石岡市にはロケット戦闘機「秋水」の格納庫が建設され、そこから3キロほど離れた場所には、「大日本滑空協会中央訓練所」があ
り、この滑空所で飛行士の訓練や、世間に対する海軍飛行隊のデモンスチレーションなどが行われていました。
さて、以前私はこのブログの中で、特攻グライダー「神竜」について紹介させていただきました。
この神竜、固体ロケットエンジンのあるグライダーで、爆弾ともども敵に体当たりするという非人道的兵器なのですが、これについて個人的に
調べているうちに屋口正一氏にお会いすることが出来ました。
屋口氏は、特攻グライダー神竜についてのご記憶があり、私はこの方のおかげで、更に神竜についてその詳細を知ることが出来たと皆さんにお伝えしたのですが…。
実は、この屋口氏との話の中で、どう考えても当時のグライダーがサーマルソアリングしていたと考えざる
を得ない証言があったのです!
で、その証言とは…。
大日本滑空協会中央訓練場の近くの龍神山の風が良くてね…。グライダーがずいぶん長く飛んでたんだよ…。と、言わ
れていたのです。
龍神山とは石岡市にある海抜100メートルほどの小山。
大戦中は上でご紹介したロケット戦闘機「秋水」の格納庫が建設されていた山でもあるのですが、この龍神山の上でグライダーがソアリング
(グライダーが上昇気流を使い長時間飛行すること)をしていたと証言されているのです。
ちなみに…。
この当時、既にグライダーでソアリングは行われていたのですが、その方法は「リッジソアリング」という方法のみでした。
リッジソアリングとは、山の斜面を駆け上がる上昇気流を使ってグライダーを長時間飛行させる方法です。
この方法は、山の形に上昇風が吹くので、サーマルソアリングよりも容易に行うことが出来るのです。
しかし…。
龍神山と大日本滑空協会中央訓練場との距離は3キロほど離れています。
で、
当時、龍神山の上を飛んでいたグライダーはドイツのオリンピアマイゼン。世界第一級の性能を誇り、滑空比は30対1ほどだと思
います。
このオリンピアマイゼンだけは他の訓練用のグライダーと違い、飛行機で曳航されて高い高度まで上がり、(このころ、グライダー
と言えば練習機ばかりで、その飛ばし方はゴム索で打ち出すという方法だった。)そこから広い範囲を飛び回っていたのですが…。
もし、オリンピアマイゼンが龍神山でリッジソアリングをしていたとすると、山が低すぎて、いざというと
き滑空所まで帰れなくなってしまうはずなのです。
で、もっとも可能性が高いのは、当時既に龍神山から出るサーマル(熱上昇気流)を使ってかなり高い高度まで上昇していたことです。
この山で高度を上げられれば、楽に滑空所まで帰ることが出来ます。
実は、私はこの龍神山をハンググライダーで何度か上空を通過したことがあるのですが…。
かなり高い確率で、いつもこの龍神山にはサーマルが発生しており、しばしば雲底(積雲の下)高度まで上昇できています。
つまり、当時も当然同じ風は吹いていたはずであり…。
どう考えても、当時のオリンピアマイゼンはサーマルソアリングを行っていたと考えざるを得ないのです。
グライダーの歴史を分かる範囲で調べてみたのですが、当時はまだサーマルソアリングって出来るだろうなどと言われながらも、まだまだ得体のしれないものだったと思うのです。
おそらく、グライダーの聖地と言われる、ドイツのワッサークッペの丘くらいで、それっぽいことはしていたのでは?というくらいです。
私は当時この場所で、世界でも最先端のサーマルソアリングという滑空技術が存在していた!と考えても良いように思えるのです。
ちなみに現在の龍神山の様子です。
砂利をとるために当時と比べ中央部分がかなり削られてしまいましたが、真ん中に見える山の左下くらいに「秋水」の格納庫があったと聞いていますが、現在は削られてしまい残っていません。
このサーマルソアリング。この方法で本格的にグライダーが飛ぶようになったのは戦後の話…。と、されているのですが…。
どう考えても、それ以前の大戦中に既に日本でサーマルソアリングが行われていたと考えざるを得ない出来事があるのです…。
今回はそのお話をいたしましょう!
私が住む茨城県の南部は、太平洋戦争中、海軍の様々な施設が存在していました。
鹿島には海軍の飛行場、土浦には修理工場に予科練の学校などがあり、この予科練の友部分校は、映画「永遠のゼロ」でも1シーンとして紹介されていました。
そして、石岡市にはロケット戦闘機「秋水」の格納庫が建設され、そこから3キロほど離れた場所には、「大日本滑空協会中央訓練所」があ
り、この滑空所で飛行士の訓練や、世間に対する海軍飛行隊のデモンスチレーションなどが行われていました。
さて、以前私はこのブログの中で、特攻グライダー「神竜」について紹介させていただきました。
この神竜、固体ロケットエンジンのあるグライダーで、爆弾ともども敵に体当たりするという非人道的兵器なのですが、これについて個人的に
調べているうちに屋口正一氏にお会いすることが出来ました。
屋口氏は、特攻グライダー神竜についてのご記憶があり、私はこの方のおかげで、更に神竜についてその詳細を知ることが出来たと皆さんにお伝えしたのですが…。
実は、この屋口氏との話の中で、どう考えても当時のグライダーがサーマルソアリングしていたと考えざる
を得ない証言があったのです!
で、その証言とは…。
大日本滑空協会中央訓練場の近くの龍神山の風が良くてね…。グライダーがずいぶん長く飛んでたんだよ…。と、言わ
れていたのです。
龍神山とは石岡市にある海抜100メートルほどの小山。
大戦中は上でご紹介したロケット戦闘機「秋水」の格納庫が建設されていた山でもあるのですが、この龍神山の上でグライダーがソアリング
(グライダーが上昇気流を使い長時間飛行すること)をしていたと証言されているのです。
ちなみに…。
この当時、既にグライダーでソアリングは行われていたのですが、その方法は「リッジソアリング」という方法のみでした。
リッジソアリングとは、山の斜面を駆け上がる上昇気流を使ってグライダーを長時間飛行させる方法です。
この方法は、山の形に上昇風が吹くので、サーマルソアリングよりも容易に行うことが出来るのです。
しかし…。
龍神山と大日本滑空協会中央訓練場との距離は3キロほど離れています。
で、
当時、龍神山の上を飛んでいたグライダーはドイツのオリンピアマイゼン。世界第一級の性能を誇り、滑空比は30対1ほどだと思
います。
このオリンピアマイゼンだけは他の訓練用のグライダーと違い、飛行機で曳航されて高い高度まで上がり、(このころ、グライダー
と言えば練習機ばかりで、その飛ばし方はゴム索で打ち出すという方法だった。)そこから広い範囲を飛び回っていたのですが…。
もし、オリンピアマイゼンが龍神山でリッジソアリングをしていたとすると、山が低すぎて、いざというと
き滑空所まで帰れなくなってしまうはずなのです。
で、もっとも可能性が高いのは、当時既に龍神山から出るサーマル(熱上昇気流)を使ってかなり高い高度まで上昇していたことです。
この山で高度を上げられれば、楽に滑空所まで帰ることが出来ます。
実は、私はこの龍神山をハンググライダーで何度か上空を通過したことがあるのですが…。
かなり高い確率で、いつもこの龍神山にはサーマルが発生しており、しばしば雲底(積雲の下)高度まで上昇できています。
つまり、当時も当然同じ風は吹いていたはずであり…。
どう考えても、当時のオリンピアマイゼンはサーマルソアリングを行っていたと考えざるを得ないのです。
グライダーの歴史を分かる範囲で調べてみたのですが、当時はまだサーマルソアリングって出来るだろうなどと言われながらも、まだまだ得体のしれないものだったと思うのです。
おそらく、グライダーの聖地と言われる、ドイツのワッサークッペの丘くらいで、それっぽいことはしていたのでは?というくらいです。
私は当時この場所で、世界でも最先端のサーマルソアリングという滑空技術が存在していた!と考えても良いように思えるのです。
ちなみに現在の龍神山の様子です。
砂利をとるために当時と比べ中央部分がかなり削られてしまいましたが、真ん中に見える山の左下くらいに「秋水」の格納庫があったと聞いていますが、現在は削られてしまい残っていません。